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日本文学史中古

中古文学(794-1192)

特徴:

貴族文学・女流文学(かな文学)

凌雲集(りょううんしゅう)は、平安時代初期の弘仁(こうにん)5年(814年)に嵯峨天皇(さがてんのう)の命により編纂された日本初の勅撰漢詩集。

全1巻。

正式名称は凌

雲新集。

小野岑守(おののみねもり)、菅原清公(すがわらのきよきみ/きよとも)らによって編纂された。

作者は平城天皇、嵯峨天皇、大伴親王ら23人で、全90首。

なお、後に1首が加えられ、91首となって現在に伝わっている。

文華秀麗集(ぶんかしゅうれいしゅう)は、平安時代初期の弘仁9年(818年)に、嵯峨天皇の勅命により編纂された勅撰漢詩集。

全3巻。

先に編纂された凌雲集に続くもので、勅撰三集の一。

藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)、菅原清公(すがわらのきよきみ/きよとも)などにより編纂された。

作者は嵯峨天皇、淳和天皇(じゅんなてんのう)をはじめ28人に及び、渤海(ぼっかい)使節や女流詩人の作品も収めるという。

もともとは148首が収められていたが、内5首は伝わらない。

経国集(けいこくしゅう)は、平安時代初期の天長(てんちょう)4年(827年)、淳和天皇の命により編纂された勅撰漢詩集。

全20巻。

良岑安世(よしみねのやすよ)、菅原清公(すがわらのきよきみ/きよとも)らが編纂。

作者は、淳和天皇、石上宅嗣(いそのかみやかつぐ)、淡海三船(おうみのみふね)、空海ら。

なお、現存するのは1巻など計6巻。

『古今和歌集』(こきんわかしゅう)とは初めての勅撰和歌集である。

醍醐天皇(だいごてんのう)の勅命によって編まれ、平安時代の延喜5年(905年)に成立、同年4月18日(5月29日)に醍醐天皇に奏上された。

『万葉集』から撰者らの時代までの140年間の名歌を集めている。

略称「古今集」。

真名序は紀淑望(きのよしもち)、仮名序は紀貫之(きのつらゆき)が執筆した。

和歌集としてだけでなく、古今和歌集仮名序は後世に大きな影響を与えた歌論として文学的に重要である。

天皇が勅命を出し国家事業として和歌集を編むという伝統を確立した書でもあり、八代集・二十一代集の第一に数えられる。

平安中期の国風文化確立にも大きく寄与し、『枕草子』では古今集を暗唱することが平安中期の貴族にとって教養とみなされたことが記されている。

撰者:

紀貫之,紀友則(きのとものり)(死亡),壬生忠岑(みぶのただみね),凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)

構成:

20巻で構成され、歌数は総勢1111首。

その中に長歌5首・旋頭歌4首を含む。

残りはすべて短歌。

土佐日記(とさにっき)は、紀貫之(きのつらゆき)が土佐の国から京まで帰京する最中に起きた出来事や思いなどを書いた日記。

原本は土左日記(とさのにき)とあったとみられる。

成立は935年(承平(じょうへい、しょうへい)5年)頃と言われる。

930年(延長(えんちょう)8年)から934年(承平4年)土佐の国の国司(こくし、くにのつかさ)だった貫之が、任期を終えて土佐から京へ戻るまでの55日間の紀行を仮名文で綴った。

57首の和歌も含まれている。

内容は様々だが、中心となるのは土佐国で亡くなった愛娘を思う心情、そして行程の遅れによる帰京をはやる思いである。

日本文学史上、おそらく初めての『日記文学』だが、現代でいう日記というより紀行に近い要素ももっていた。

その後の仮名による表現、特に女流文学の発達に大きな影響を与えている。

『蜻蛉日記』、(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)『和泉式部日記』(いずみしきぶにっき)、『紫式部日記』むらさきしきぶにっき)、『更級日記』(さらしなにっき、さらしなのにき)などの作品にも影響を及ぼした可能性は高い。

また文学史上の意義として、日本文学史上初めて諧謔表現(ジョーク、駄洒落などといったユーモア)を用いたことも特筆される。

竹取物語(たけとりものがたり)は、日本最古とされる物語である。

竹取物語は通称であり、竹取翁の物語ともかぐや姫の物語とも呼ばれた。

成立年、作者ともに不詳。

仮名によって書かれた最初期の物語の一つでもある。

光り輝く竹の中から現れて竹取の翁の夫婦に育てられたかぐや姫の物語。

『万葉集』巻十六の第三七九一歌には、「竹取の翁」が天女を詠んだという長歌があり、この物語との関連が指摘されている。

作者が不詳。

粗筋:

遠い昔、竹を取り様々な用途に使い暮らしていた竹取の翁(おきな)とその妻の嫗(おうな)がいた。

翁の名は讃岐造(さぬきのみやつこ)といった。

ある日、翁が竹林に出掛けていくと、光り輝いている竹があった。

不思議に思って近寄ってみると、中から三寸ほどの可愛らしい女の子が出て来たので、自分たちの子供として育てる事にした。

その後、竹の中に金を見付ける日が続き、翁の夫婦は豊かになっていった。

翁が見つけた子供はどんどん大きくなり、三ヶ月ほどで年頃の娘になった。

この世のものとは思えない程美しくなった娘に、人を呼んで名前を付ける事になった。

呼ばれてきた人は「なよ竹のかぐや姫」と名付けた。

この時、男女を問わず人を集めて、三日に渡り祝宴をした。

幼子を見つける竹取の翁(土佐広通、土佐広澄・画)

世間の男達は、高貴な人も下層の人も皆何とかしてかぐや姫と結婚したいと思った。

その姿を覗き見ようと竹取の翁の家の周りをうろつく公達は後を絶たず、彼らは竹取の翁の家の周りで過ごしていたが、その内に熱意の無い者は来なくなっていった。

最後に残ったのは好色といわれる五人の公達で、彼らは諦めず夜昼となく通ってきた。

五人の公達は、石作皇子(いしづくりのみこ)、車持皇子(くらもちのみこ)、右大臣阿倍御主人(あべのみうし、大納言大伴御行(おおとものみゆき)、中納言石上麻呂(いそのかみのまろ)といった。

彼らが諦めそうにないのを見て、翁がかぐや姫に「翁も七十となり今日とも明日とも知れない。

この世の男女は結婚するもので、お前も彼らの中から選ばないか」というと、かぐや姫は「なぜ結婚などしなければならないの」と嫌がるが、「『私の言う物を持って来る事が出来た人と結婚したいと思います』と彼らに伝えてください」と言った。

夜になると例の五人が集まって、或る者は笛を吹き、或る者は和歌を詠い、或る者は唱歌し、或る者は口笛を吹き、扇を鳴らすなど行っていた。

翁は公達を集めてかぐや姫の意思を伝えた。

その意思とは石作皇子には仏の御石の鉢、車持皇子には蓬莱の玉の枝、右大臣阿倍御主人には火鼠の裘(かわごろも)、大納言大伴御行には龍の首の珠、中納言石上麻呂には燕の子安貝を持って来させるというものだった。

どれも話にしか聞かない珍しい宝ばかりで、手に入れるのは困難だった。

石作は只の鉢を持っていってばれ、車持は偽物をわざわざ作ったが職人がやってきてばれ、阿倍はそれは燃えない物とされていたのに燃えて別物、大伴は嵐に遭って諦め、石上は大炊寮(おおいりょう)の大八洲(やしま)という名の大釜が据えてある小屋の屋根に上って取ろうとして腰を打ち、断命。

結局誰一人として成功しなかった。

そんな様が帝(みかど)に伝わり、姫に会いたがった。

喜ぶ翁の取りなしにも関わらず彼女はあくまで拒否を貫くが、不意をついて訪ねてきた帝に姿を見られてしまう。

しかし、一瞬のうちに姿を消して地上の人間でない所を見せ、結局帝をも諦めさせた。

しかし、帝と和歌の交換はするようになった。

月へ帰って行くかぐや姫(同上)

帝と和歌を遣り取りするようになって三年の月日が経った頃、かぐや姫は月を見て物思いに耽るようになった。

八月の満月が近付くにつれ、かぐや姫は激しく泣くようになり、翁が問うと「自分はこの国の人ではなく月の都の人であり、十五日に帰らねばならぬ」という。

それを帝が知り、翁の意を受けて、勇ましい軍勢を送る事となった。

そして当日、子の刻頃、空から天人が降りて来たが、軍勢も翁も嫗も戦意を喪失し抵抗出来ないまま、かぐや姫は月へ帰っていく。

別れの時、かぐや姫は帝に不死の薬と天の羽衣、帝を慕う心を綴った文を贈った。

しかし帝は「かぐや姫の居ないこの世で不老不死を得ても意味が無い」と、それを駿河国の日本で一番高い山で焼くように命じた。

それからその山は「不死の山」(後の富士山)と呼ばれ、また、その山からは常に煙が上がるようになった。

時代背景と謎解き

歴史によれば藤原氏は8世紀、権力の掌握を目的に多くの政敵に血の粛清を加えて「藤原氏だけが栄える世」を構築し、藤原氏批判の書を焼き捨てる等の政策を繰り返したが、その中で表立っての藤原氏批判などが出来ようはずもなく、同時代に成立したと思われる『竹取物語』と言う物語の中に様々な工夫を凝らして藤原氏に対する批判が込められていたとしても不思議なことではない。

『伊勢物語』(いせものがたり)は、平安時代初期に成立した歌物語(うたものがたり)。

『在五が物語』、『在五中将物語』、『在五中将の日記』とも呼ばれる。

全125段からなり、ある男の元服から死にいたるまでを歌と歌に添えた物語によって描く。

歌人在原業平(ありわらのなりひら)の和歌を多く採録し、主人公を業平の異名で呼んだりしている(第63段)ところから、主人公には業平の面影がある。

ただし作中に業平の実名は出ず、また業平に伝記的に帰せられない和歌や挿話も多い。

中には業平没後の史実に取材した話もあるため、作品の最終的な成立もそれ以降ということになる。

書名の文献上の初見は『源氏物語』(絵合の巻)。

作者、成立共に未詳。

物語の成立当時から古典教養の中心であり、各章段が一話をなし分量も手ごろで、都人に大変親しまれたと考えられている

内容・構成

数行程度(長くて数十行、短くて2~3行)の短章段の連鎖からなる。

主人公の男が己の思いを詠み上げた独詠歌や、他者と詠み交わした贈答歌が各段の中核をなす。

在原業平(825-880)の和歌を多く含み、業平の近親や知己も登場するけれども、主人公が業平と呼ばれることはなく(各章段は「昔、男…」と始まることが多い)、王統の貴公子であった業平とは関わらないような田舎人を主人公とする話(23段いわゆる「筒井筒」など)も含まれている。

よって、主人公を業平と断言することははばかられ、業平の面影があるとか、業平らしき男、と言われる。

また、章段の冒頭表現にちなんで、「昔男」と呼ぶことも、古くから行われてきた。

各話の内容は男女の恋愛を中心に、親子愛、主従愛、友情、社交生活など多岐にわたるが、主人公だけでなく、彼と関わる登場人物も匿名の「女」や「人」であることが多いため、単に業平の物語であるばかりでなく、普遍的な人間関係の諸相を描き出した物語となりえている。

複数の段が続き物の話を構成している場合もあれば、1段ごとに独立した話となっている場合もある。

後者の場合でも、近接する章段同士が語句を共有したり内容的に同類であったりで、ゆるやかに結合している。

現存の伝本では、元服直後を描く冒頭と、死を予感した和歌を詠む末尾との間に、二条后との悲恋や、東国へ流離する「東下り(あずまくだり)」、伊勢の斎宮(さいぐう、さいくうまたはいつきのみや、いわいのみや)との交渉や惟喬親王(これたかしんのう)との主従愛を描く挿話が置かれ、後半には老人となった男が登場するという、ゆるやかな一代記的構成をとっている。

一代記というフレームに、愛情のまことをちりばめた小話が列をなしてる様を櫛にたとえて櫛歯式構成という学者もいる。

作中紀氏との関わりの多い人物が多く登場する事で知られる。

在原業平は紀有常(きのありつね)(実名で登場)の娘を妻としているし、その有常の父紀名虎(きのなとら)の娘が惟喬親王を産んでいる。

作中での彼らは古記録から考えられる以上に零落した境遇が強調されている。

何らかの意図で藤原氏との政争に敗れても、優美であったという紀氏の有り様を美しく描いているとも考えられる。

なお、斎宮との交渉を描く章段を冒頭に置く本もかつては存在したらしいが、藤原定家(ふじわらのさだいえ)はそのような本を改ざんされた本と非難しており、伝本も確認できない。

摂関政治(せっかんせいじ)とは、平安時代に藤原氏(藤原北家)(ふじわらほっけ)の良房流一族が、代々摂政や関白あるいは内覧となって、天皇の代理者、又は天皇の補佐者として政治の実権を独占し続けた政治形態である。

摂政(せっしょう)とは、君主制を取る国家において、君主が幼少、病弱、国都不在などの理由で政務や国事行為を行うことができないとき、君主に代わってそれを行う(政を摂る)こと、またはその役職のことである。

多くの場合、君主の後継者(皇太子など)、兄弟、母親、あるいは母方の祖父や叔父などの外戚が就任する。

関白(かんぱく)とは、天皇の代わりに政治を行う職である。

律令に本来規定された官ではない令外官であり、実質的に公家の最高位であった。

敬称は殿下(でんか)。

内覧(ないらん)とは、天皇に奉る文書や、天皇が裁可する文書など一切を先に見ること、またはその令外官の役職。

『蜻蛉日記』(かげろうにっき、かげろうのにっき、かげろうにき)は、平安時代の女流日記。

作者は藤原道綱母(ふじわらのみちつなのはは)。

天暦8年(954年)-天延2年(974年)のできごとが書かれ、成立は天延3年(975年)ごろか。

上中下の三巻よりなる。

夫である藤原兼家(ふじわらのかねいえ)との結婚生活や、兼家のもうひとりの妻である時姫(藤原道長(ふじわらのみちなが)の母)との競争、夫に次々とできる妻妾のことが書かれ、また唐崎祓・石山詣・長谷詣などの旅先でのできごと、上流貴族との交際、さらに母の死による孤独、息子藤原道綱の成長や結婚、兼家の旧妻である源兼忠女の娘を引き取った養女の結婚話とその破談についての記事がある。

和泉式部日記(いずみしきぶにっき)は和泉式部によって記された日記であり、女流日記文学の代表的作品である。

中古三十六歌仙の一人、小倉百人一首にもその歌が収められている、平安時代を代表する歌人である和泉式部にふさわしく、日記のなかに和歌の贈答の場面が頻出し、この作品を大きく特徴付けている。

内容構成

長保5年(1003年)4月〜寛弘元年(1004年)1月までの数ヶ月間の出来事をつづる。

恋人冷泉帝(れいぜいてい)第三皇子弾正宮為尊親王が前年長保4年に薨じ、また為尊親王との恋のため父親にも勘当され、さらに夫橘道貞との関係も冷めたものとなって嘆きつつ追憶の日々を過ごしていた和泉式部のもとに、為尊親王の弟冷泉帝第四皇子帥宮敦道親王の消息の便りが届く。

その後帥宮と和歌や手紙などを取り交わし、また数度の訪問を受けるうちにお互いを深く愛する関係となり、最終的に和泉式部は帥宮邸に迎えられる。

この間の和歌の取り交わしと、この恋愛に関する和泉式部のありのままの心情描写が本作品の大きな特色である。

源氏物語(げんじものがたり)は、平安時代中期に成立した、日本の長編物語、小説。

文献初出は長保3年(1001年)で、このころには相当な部分までが成立していたと思われる。

分量、内容、文学的成果のいずれから言っても王朝物語のみならず、日本文学史上の雄であり、後世に与えた影響は計り知れない。

54帖より成り、写本・版本により多少の違いはあるもののおおむね100万文字に及ぶ長篇で、800首弱の和歌を含む典型的な王朝物語。

物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さから日本文学史上最高の傑作とされる。

各帖の名前

読み

年立

備考

 1

桐壺

きりつぼ

源氏誕生-12歳

a系

 2

帚木

ははきぎ

源氏17歳夏

b系

 3

空蝉

うつせみ

源氏17歳夏

帚木の並びの巻、b系

 4

夕顔

ゆうがお

源氏17歳秋-冬

帚木の並びの巻、b系

 5

若紫

わかむらさき

源氏18歳

a系

 6

末摘花

すえつむはな

源氏18歳春-19歳春

若紫の並びの巻、b系

 7

紅葉賀

もみじのが

源氏18歳秋-19歳秋

a系

 8

花宴

はなのえん

源氏20歳春

a系

 9

あおい

源氏22歳-23歳春

a系

10

賢木

さかき

源氏23歳秋-25歳夏

a系

11

花散里

はなちるさと

源氏25歳夏

a系

12

須磨

すま

源氏26歳春-27歳春

a系

13

明石

あかし

源氏27歳春-28歳秋

a系

14

澪標

みおつくし

源氏28歳冬-29歳

a系

15

蓬生

よもぎう

源氏28歳-29歳

澪標の並びの巻、b系

16

関屋

せきや

源氏29歳秋

澪標の並びの巻、b系

17

絵合

えあわせ

源氏31歳春

a系

18

松風

まつかぜ

源氏31歳秋

a系

19

薄雲

うすぐも

源氏31歳冬-32歳秋

a系

20

朝顔(槿)

あさがお

源氏32歳秋-冬

a系

21

少女

おとめ

源氏33歳-35歳

a系

22

玉鬘

たまかずら

源氏35歳

以下玉鬘十帖、b系

23

初音

はつね

源氏36歳正月

玉鬘の並びの巻、b系

24

胡蝶

こちょう

源氏36歳春-夏

玉鬘の並びの巻、b系

25

ほたる

源氏36歳夏

玉鬘の並びの巻、b系

26

常夏

とこなつ

源氏36歳夏

玉鬘の並びの巻、b系

27

篝火

かがりび

源氏36歳秋

玉鬘の並びの巻、b系

28

野分

のわき

源氏36歳秋

玉鬘の並びの巻、b系

29

行幸

みゆき

源氏36歳冬-37歳春

玉鬘の並びの巻、b系

30

藤袴

ふじばかま

源氏37歳秋

玉鬘の並びの巻、b系

31

真木柱

まきばしら

源氏37歳冬-38歳冬

以上玉鬘十帖、玉鬘の並びの巻、b系

32

梅枝

うめがえ

源氏39歳春

a系

33

藤裏葉

ふじのうらば

源氏39歳春-冬

a系、以上第一部

34

34

若菜

わかな

-じょう

源氏39歳冬-41歳春

 

35

-げ

源氏41歳春-47歳冬

若菜上の並びの巻

35

36

柏木

かしわぎ

源氏48歳正月-秋

 

36

37

横笛

よこぶえ

源氏49歳

 

37

38

鈴虫

すずむし

源氏50歳夏-秋

横笛の並びの巻

38

39

夕霧

ゆうぎり

源氏50歳秋-冬

 

39

40

御法

みのり

源氏51歳

 

40

41

まぼろし

源氏52歳の一年間

 

41

雲隠

くもがくれ

本文なし。

光源氏の死を暗示。

以上第二部

42

匂宮

匂兵部卿

におう(の)みや

におうひょうぶきょう

薫14歳-20歳

 

43

紅梅

こうばい

薫24歳春

匂宮の並びの巻

44

竹河

たけかわ

薫14,5歳-23歳

匂宮の並びの巻

45

橋姫

はしひめ

薫20歳-22歳

以下宇治十帖

46

椎本

しいがもと

薫23歳春-24歳夏

 

47

総角

あげまき

薫24歳秋-冬

 

48

早蕨

さわらび

薫25歳春

 

49

宿木

やどりぎ

薫25歳春-26歳夏

 

50

東屋

あずまや

薫26歳秋

 

51

浮舟

うきふね

薫27歳春

 

52

蜻蛉

かげろう

薫27歳

 

53

手習

てならい

薫27歳-28歳夏

 

54

夢浮橋

ゆめのうきはし

薫28歳

以上宇治十帖。

以上第三部

『枕草子』(まくらのそうし)は、平安時代中期の女流作家、清少納言(せいしょうなごん)により執筆されたと伝わる随筆。

「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」「春曙抄」とも表記され、最古の鎌倉時代の写本前田本の蒔絵の箱には『清少納言枕草子』とある。

『清少納言記』などとともいった。

文学史上の位置づけ

『源氏物語』に比肩する中古文学の双璧として、後世の連歌・俳諧・仮名草子に大きな影響を与えた。

鴨長明(かものちょうめい)の『方丈記』、吉田兼好(よしだけんこう)の『徒然草』と並んで日本三大随筆と称される。

極めて独特な体裁をとり、先行する晩唐の詩人李商隠(字は義山)の編んだ『義山雑纂』に多少の類似が指摘されるほか、類書は見当たらない。

『夜半の寝覚』(よわのねざめ)は平安時代後期(11世紀後半ごろか)に成立した王朝物語の一。

『夜の寝覚』『寝覚物語』『寝覚』などとも称し、作者については現在のところ確定的な説がないが、『更級日記』や『浜松中納言物語』の菅原孝標女であるとする説が有力である。

いわゆる源氏亜流小説のひとつに数えられ、途中に本文の大きな欠落があるなどの理由から、従来はあまり重視されてこなかったが、戦後、研究の進展や中村真一郎などによる王朝物語の再評価の機運にのって、広く注目を集めるようになった。

登場人物たちの心理を克明に観察し、精緻な描写によって定着させてゆく独特な手法が特徴的であり、現在では中古後期を代表する作り物語として評価されている。

14世紀の作かと思われる、改作本『夜寝覚物語』が現存する。

粗筋

∙第一巻

太政大臣は妻を亡くし、母親の違う四人の子供たちをすべて引取って養育している。

そのなかでも中の君(後に「寝覚の上」)は音楽の才能にすぐれ、箏を得意にしていた。

その才能を天人も愛でたのであろうか、十三歳の十五夜の夜、天人が降臨して彼女に琵琶の秘曲を伝え、さらに翌年の十五夜にも彼女を訪れて、その数奇な運命を予言して去るのであった。

一方、中の君の姉大君は左大臣の長男中納言(後に「関白」)と婚約をしていたが、中納言は乳母の見舞いに訪れた先で、ふとしたことから方違をしていた中の君と契ってしまう。

中納言は彼女を別人と混同したままにその場を立ちさってゆくのだったが、中の君は一夜の関係で中納言の子を身ごもり、相手を誰とも知らないまま懊悩するのであった。

何も知らないまま中納言は大君と結婚したが、その後はじめて中の君が大君の妹であることに気づき、中の君が生んだ姫君を人知れず引取って、左大臣のもとで養育するのであった。

しかし秘密は長続きせず、中の君との関係を大君の知るところとなり、ついにその結婚生活は破綻するのであった。

∙以下第二部は現存していないが、主として男君と女君、そして女君の夫となる老関白との出来事が描かれていたと思われる。

第三部は、26歳になった女君が帝に迫られるなどの苦難に遭いながら思索を深めていく様子が描かれる。

∙そしてこれも現存していないのだが第四部は、全巻が揃っていた時代の無名草子の作者の書評などから、母として生きる女君が書かれていたものと推量される。

女君が幸福な結末を迎えたかそうでないか、論者によって意見が異なる。

浜松中納言物語(はままつちゅうなごんものがたり)は、『更級日記』を書いた菅原孝標女の手になるとされる物語である。

11世紀半ば頃に成立。

「御津(みつ)の浜松」の異名がある。

『源氏物語』の影響を受けて生み出された平安時代後期の物語文学として位置付けられる。

全六巻であるが、現存するのは、首巻を欠く全五巻。

内容

主人公である浜松中納言と継父左大将の娘、大姫との悲恋、そして夢告で亡父が唐土の皇子に転生したと知り、彼を求めて渡唐し、かの地で出会った后との恋と別れ、といった様々な女性たちとのめぐりあいを主題としている。

夢のお告げや輪廻転生を軸とした超常的な恋物語である。

堤中納言物語(つつみちゅうなごんものがたり)は、日本の平安時代後期以降に成立した短編

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