日本语听力第二册17到32课.docx

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日本语听力第二册17到32课

第17課

日本の会社では仕事を円滑に進めていくために、いろいろなマナがあります。

まず職場の人の呼び方ですが、役職者は山田部長のように名字の後に、役職敬称を呼び、先輩と後輩はそれぞれまるまる君まるまるさんと呼びます。

社会の人に自分の会社の人間を言う場合は、上司でも呼び捨てにします。

そして、来社するお客様に対しては、失礼のないようすることは大切です。

いらっしゃいませと元気よく挨拶し、お客さんの斜め前二三先歩いて、応接室をご案内します。

応接室に入るときには、ドアを開けて、お客様を先に通します。

名刺交換の場合は、目下の人が目上の人に出すのがマナーで、相手が読めるような向きにして、右手で持ち、左手わかるく添えるように出します。

受けるときには、左手で受け取りながら、右手で添えるのが原則です。

そして、まるまるさんですねとかくにすることも大切です。

メモ用紙の代わりに、そこに何か書き込んだり、汚したりのは大変失礼です。

名刺は人の顔ですから、丁寧に扱いましょう。

電話の受け方にもマナーがあります。

電話が鳴ったら、三回鳴るまでに、受話器を取り、まるまる会社でございますと答え、内線の場合は部長名とじぶんのなまえをはっきりいいます。

重要な部分は回復しながら確認します。

第18課

日本人は新しいことを習って、そのまねをするのが上手な国民です。

しかし、またまねをするだけでは満足せずに、さらに自分にあった新しいものを作り出しています。

日本文化の根底には、模倣は基本的な教育の大切な過程であるとする考え方があります。

学ぶとまねるは、ともいまねぶという語源から生まれた言葉だといわれています。

 たとえば、文字です。

はじめは中国から習った漢字を使って、日本語を書いています。

不便だという人は多くいました。

そこで感じをくづしたり、漢字の一部をりようしたりして仮名を発明しました。

当然漢字の導入とともにかんしが流行し、漢詩集がたくさんつくられていました。

しかし、やがて、自分の細かい感情や心理を表現するためには、外国文字の漢字を角田下では適切ではないことに日本人は気づきました。

そこで、後には和歌集古今和歌集が編纂され漢詩に代わって和歌が日本の詩としての地位を確立しました。

このことからも、外国の文化を利用しながら、自分にあった新しいものを工夫して作るという姿勢がみられます。

この態度は和魂漢材といいます。

文化はみずと同じように高いところから低いところへ流れていきました。

近世まで日本の政治や文化はもっぱら中国をモデルにし、その政治や文化を吸収しつつ発展してきました。

そして、幕末から日本は和魂洋才で西欧をモデルにして、日本固有の精神を保ちつつ、西洋文明を学び取りました。

高いところの文化を吸収し、消化することは日本文化に活力をあえました。

これは日本文化柔軟な適応性を示しています。

第19課

漫画は意一般的に子土間の読み物だというイメージがありますが、日本では、おとなでも漫画をよく読みます。

電車の中ではサラリーまっみゃ大学生やまんがに?

つけになっている光景をよくみかけます。

朝の新聞を見れば似顔絵漫画や広告漫画、道を歩けば漫画の看板、駅の売店や本屋へ行けば漫画の雑誌や単行本、テレビをつければアニメや漫画のcmがあふれています。

日本人はまるで漫画の世界で生活しているようです。

日本の漫画のまーけっとはきわめておおきく、現在年間の発行部数は22億8000万冊にもなり、これはほかの書籍や雑誌を含めたすべての出版物の40パーセントちかくをしめています。

にほんの人口は一億2000万ですから、一人が一年に19冊の漫画を買っていることになります。

日本の漫画は小学生から社会人まで幅広い読者層を持ち、内容のめんでも、sf、政治、スポーツ、ビジネス、歴史などさまざまの分野に及んでいます。

数年前、漫画日本経済入門という本が出版され、難しい経済の話が漫画の表現でわかりやすく解説してあるので、大好評でした。

また、人気のある漫画はテレビのアニメや映画になり、海外にも進出しています。

中国の子供たちはドラごんボールやドラえもんが大好きです。

特に人気のある漫画のキャラクターはよく商品化され、人形をはじめ、文房具から歯ブラシ、食器、服装など、子供の身の回りは漫画のキャラクター商品あふれています。

第20課

日本人はずっと前から温泉に親しんできたといわれています。

長い間、さまざまな人々が温泉にいって、疲れと病を癒し、心と身体を清め、また、ときには羽目を外して、騒いだりしてストレスを発散させ、生きる活力を得ていました。

したがって、温泉は入浴の施設であるだけでなく、こころを暖め、人間同士のこみゅうにケーションを図る場としても重要な役割を果たしてきました。

現在でも、日本人のもっともポピュラー旅は温泉巡りのたびとなっています。

定年を迎えた夫がまず思い立つのはおそらく老夫婦で名所旧跡を訪ねることでありそして好んでとまるのは温泉つきの日本旅館でしょう。

また、職場の社員旅行でもたいてい近県の温泉町が旅の目的地に選ばれます。

日中は近くのゴルフ場やテニスコートなどのれじゃー施設で存分に汗を流し、後はのんびりと温泉に浸かり,一息入れてから、宴会場に集まります。

そこで飲んだりうったりします。

若者はスキーやとうざんやハイキンぐなど

のついでに温泉に浸かり、或いはグループで露天ふろをたずねるというケースもおおいようです。

忙しい現代人も温泉へ行くのはこの上ない楽しみで、日本人の温泉への執着は時代を超えて連綿と受けけい继がれています。

 日本でもっとも人気が高いの伊豆半岛にある热海温泉で、目の前には海が広がり、後ろには緑豊かな坂の町が眺められます。

その景色は訪ねる人々の心を和やかにし、その夜景の美しさも多くの温泉客を魅了しています。

漢字

漢字はもともと古代中国で生まれた文字で、5世紀ごろ日本に伝わりました。

それまでは日本には文字がなかったため、記憶や口伝えによって情報が伝達されていました。

日本人は漢字を真名と言い。

それに対して仮の字という意味で仮名と呼ばれる文字を作り出しました.奈良時代に、漢字の意味を無視し、単なる表音文字として日本語を表す方法が試みられました。

万葉集がこの文字で書かれていることから、万葉仮名とよばれます.平安時代に男子の世界では漢文学が盛んで、学問といえば漢文を学んで文章を書くことでありました.女性は草書体の文字をさらに簡略化して和歌や手紙を書きました.こうして女性用の文字として平仮名が誕生しました。

そのため、平仮名は女手とも呼ばれています。

一方、漢字は字画が多いので、字と字や行と行の間の狭い所に書き加えたり、速く書こうとしたりする場合には不便であります。

そこで、平安時代の初期に、漢字の読み方や注釈などを書き加えるための文字として、片仮名が考え出されたのです.片仮名の片は不完全とか一部分という意味で、漢字の字形の一部分を記号的に取り出したものです.現代では、片仮名は主に外国の国名、地名、人名、外来語や動物名、植物名や擬声語、擬態語や電報文などに使われています。

漢字の数については、日本で編集された最大の漢和辞典には約5万字が収められています.一日5字ずつ覚えていっても.27年もかかることになります。

1971年に当用漢字表が制定され、日常使用する漢字の使用範囲は1945に限定されました。

これは漢字使用の目安を示すものです。

茶道

お茶は9世紀の頃、中国から日本に伝わったものですが、やがて主人が客を招き、茶を通じて、対話し心を交流させる茶道へと発展していきました。

茶道では抹茶という粉末にしたお茶を使い、茶碗に入れ、湯を注いで、茶せんでさらさらとかき回して泡を立てます。

お茶を立てるのにはいろいろな「点前作法」が伴います。

茶道は主として茶室で行いますが、野外で行うものは「野点」と言います。

茶道は日本人の大事な教養の一つとして受け継がれています。

茶道の作法の一つ一つに「和」の精神が込められています。

例えば、主人は茶碗の正面を客に向けて丁寧に出します。

これは茶碗の中の一番いいところ、正面でどうぞお飲みくださいという主人のもてなしの気持ちからです。

客は自分に出され茶碗を次の客との間に置いて一礼します。

これは隣の客との間で譲りあう気持ちの現われです。

また、飲む前に二回手前に回します。

これは主人の温かいもてないの気持ちをありがたいと思いながらも、そこを汚してしまっては悪いという謙虚の気持ちの表れです。

茶道は16世紀後半に千利休という人が「一期一会」の心を取り入れて完成したものです。

「一期一会」とは、今、このひと時が生涯にたった一度限りのものであるということを、よく心に留めるようにという意味です。

主人は出会いを大切にするために、床の間に飾る掛け軸や花、茶碗などの道具を、心を込めて用意します。

一方、招かれた客は茶室で、ただ一服のお茶をいただくばかりでなく、主人の心配りに感謝しながら、生きる喜びを味わうことが出来ます。

華道

日本は自然環境の美しい国で、四季折々の花が咲き乱れています。

こうした恵まれた自然の中で生活してきた日本人は草花に対して、深い親しみを持ち続けてきました。

そのために、日本人は草花を神や仏に供えるだけでなく、鑑賞の対象として日常生活の中にも取り入れてきました。

それが16世紀頃から盛んになり、次第に人間が自然と心を通わせる伝統的な芸術の一つへと発展しました。

華道は生け花と呼ばれています。

生け花は自然に生きる草花を切り取ってきて、家の中の器に入れ、改めて生気を与えて飾る芸術です。

その根底には、切り取った花を生かし、再びその生命をよみがえらせるという意識があります。

生け花の造形は自然との調和を求めるという日本人の宇宙観を表現するものです。

つまり、天、地、人の三本の枝を使って、天は上段、地は下段、天地の調和を保つ人は中段に配置し、バランスよく形を整えます。

一般的な様式としては、花器に水を入れ、金属板にたくさんの太い針が並んでいだ剣山で花を固定して生けます。

花を長持ちさせるために、いろいろな工夫がなされています。

例えば、花草が水を吸い上げる力が強くなるように、水の中で草花の根本を切り落としたり、吸水面が大きくなるように、切り口を斜めにしたりします。

さらに、吸水力をいっそう強めるために、水切りした草花の切り口に塩や酢を付けたり、根元を焼いたり、熱湯につけたりもします。

花器は、花を生けるための道具であることはもちろんですが、花器によって生け花の材料も形も決まるほど、作品の一部として重要な役割を持っています。

住宅事情

日本は、驚異的な高度経済成長を遂げ、多方面においてその豊かさを示しています。

しかし、その「豊かな社会」の中で、なお取り残されている貧しい部分あります。

それは都会の住宅事情です。

その住宅の狭さは「日本人はウサギ小屋に住む働き蜂」と冷やかされているほどです。

日本人には根強い持ち家志向があります。

それにもかかわらず、持ち家率は60%前後となっており、ここ数十年大きな変化をみせていません。

それには日本の住宅価格が所得との関係から見て、かなり高いという背景があります。

一戸建ての住宅の価格は大体、労働者の平均年収の5倍となっています。

これはアメリカの3.4倍やイギリスの4.4倍をだいぶ上回っています。

日本人の住宅の一戸当たりの部屋数は4.9室で、欧米諸国に比べると少なくありません。

しかし、日本は障子やふすまで仕切った小さい部屋が多く、一方欧米ではベッド、ソファーなどが十分収まらない部屋や、スペースの小さい部屋、食堂、地下室などを部屋数に入れない国があるから、部屋数だけで単純比較には無理があります。

そこで、住宅の一人当たりの床面積で比較すると、その差が明らかになります。

平成2年の建設省の調査では、日本は25㎡で、イギリスより15.2㎡が少なく、さらにアメリカとは二倍以上の格差があります。

最近、日本でも現在住んでいる住宅以外で、セカンドハウスや借家など他に住宅を持つ世帯が現れました。

これは、つまり大都市では家族そろって住む住宅の入手が難しいため、都心の勤務地近くに一人用の家を借り、週末には家族の持つ郊外の住宅に帰るということです。

また、余暇を別荘で楽しむ人たちが増え、別荘ブームを起こしています。

しかし、一般の人にとって別荘はまだ高嶺の花です。

 

日本料理

弁当は、遠い昔から日本人の食生活に用いられていたものです。

旅に出る際はもちろん、農夫やきこり、漁師などの携帯食として長い歴史があります。

近世に至って、都市では華やかな市民文化が栄えました。

春にはお花見、秋には紅葉狩りなど、行楽は江戸市民の大きな楽しみとなり、弁当はその時から、単なる携帯食から日本のすばらしい食文化の一つとして大きな発展をとげていきました。

現在でも、弁当を食べる伝統は受け継がれており、日本人の食生活に欠かせないものになっています。

学校に通う子供たちやビジネスマンの昼食に重要な役目を果たしているばかりではなく、ハイキングやピクニックに行く人々の必需品にもなっています。

弁当を作りは、見た目にも美しい赤、黄、緑の三色のおかずを入れること、栄養のバランスを考えること、汁物を入れないこと、冷めてからふたをすることなどがポイントとされています。

料理としては、時間が経っても味や色が変わらないもの、つまり、焼きもの、煮物、揚げ物などが主体になります。

また、料理は食べやすいように適当な大きさに整え、串に刺したりもします。

魚など骨のあるものはあらかじめ骨を除いておきます。

詰め合わせる時は、笹などで弁当を仕切り、味が混じりあわないようにするとともに、持ち運ぶことも考えてきっちりと詰めます。

さわに、日本料理は「目で食べる」といわれるくらいだから、彩りの美しさを心がけなければなりません。

春夏秋冬の四季がはっきりしている日本では、料理に季節感を盛り込むことが大切とされています。

弁当も例外ではないでしょう。

季節感が盛り込まれた弁当は蓋を開けると、格別な楽しさがあります。

島国

日本は四方を海に囲まれた島国です。

その島国に日本人の祖先が住むようになってから、今日に至るまで日本人は海と深いつながりを持ってきました。

おかげで漁獲量は世界でもトップクラスであり、魚や貝などの水産物は日本人にとって、毎日の食卓に欠かせないものです。

水産物の消費量が高いことから日本人は「漁食民族」とも言われています。

日本は国土が狭いにもかかわらず、3.4万キロメートの長い海岸線を持っています。

海岸の地形は出入りが激しく、良い漁港に恵まれています。

そのため、漁業に関係ある仕事をして暮らしている人が多いです。

漁業の種類もいろいろあります。

最も陸地に近い海で魚を獲ることを沿岸漁業といいます。

たいてい日帰りできるぐらいの距離のところで10トン足らずの小さな船で魚を獲ります。

もう少し陸地から離れたところで行われる漁業を沖合漁業といいます。

大きいものは200トンぐらいの船を使い、7日―10日ぐらい漁場にいることもあります。

さらに遠く、太平洋やインド洋、大西洋にまで出掛け、設備が整った大型船を使い、何十日から何ヶ月も航海を続けて魚を大量に獲ることを遠洋漁業といいます。

しかし、漁法の発展による魚の獲りすぎ、海の汚れなどのために、魚が減ってきました。

そのため、自然の魚を獲る漁業だけでなく、人間は魚を育てる漁業を大切にするようになりました。

その方法には大きく分けて二つあります。

一つはいけすなどで魚を出荷できるようになるまで育てる「養殖漁業」です。

もう一つは、稚魚を放流して資源を増やす「栽培漁業」です。

日本人の名前

日本人の名字は27万ぐらいもあると推定され、人口の割にはかなり多いです。

しかし、明治維新までは、名前を持つのは支配者階級の特権であり、庶民が名字を持つことは許されませんでした。

明治8年に政府は法令を出して、姓を持つことを国民の義務とし、違反する人は懲罰されると定めました。

一方、当時の庶民は字が読める人は少なく、適当に姓をつけるしかありませんでした。

山川、山田、窪田、畠中、高橋、岸上、長谷川…と、家の地理環境や周りの景色をとって姓とする人が一番多く、占部、鍛冶、錦屋、碇屋、升屋、万屋など、職業と屋号をそのまま姓とする人もいました。

また、鬼塚、牛糞、犬飼、猪木、御手洗など、中国人には変に思われる姓も含まれています。

姓名の扱い方に関しては、中日両国では若干の食い違いが見られます。

中国ではどんな場合でも、姓は名の前に置きます。

しかし、日本人の名前はローマ字で表示する場合は「MR.TAROYAMADA」のように、姓と名の順序を変えるがよくあります。

なお、日本では家庭全員の名前を書いた表札を玄関にかけたり、生徒の持ち物はノートやテキストから鉛筆やハンカチに至るまで、きちんと名前を書いたりします。

一方、中国人は手紙を出す場合でも、差出人の名前を書かなかったり、姓しか書かないのが普通です。

メ-ル時代

今はメールの盛んな時代であります。

メールというのは紙に筆やペンで書くものではありません。

パソコンや携帯の画面に打ち出して送るEメールをさします。

電車に乗り込んですぐに携帯でメールを打ち始める人が多くなりました。

ある大学の大きな教室、このごろ学生がしゃべりをしなくなったのを喜んだ先生が、ふと学生のそばへ行ってみると、熱心にメール交換をしていたそうです。

下を向いて書いてのは講義のメモではなかったのです。

メールをよい方向に利用している話もあります。

ある中学校では、生徒と話し合いをはかるために先生たちがメールを始めました。

メールで助言をしたりするうちに、不登校の生徒が心を開くようになったこともあるそうです。

メールだと気軽に話せる場合もあるようです。

電話の普及以来、相手の顔を見ないで話す機会が多くなりましたが、メールの交換では、顔を見ないだけでなく声も聞かないで話すことになります。

夫婦喧嘩もメールでやれば、茶わんを投げて壊したり、殴り合ってけがをすることもなくて、安全でいいかもしれませんが、顔も見えない、声も聞かない話し合いは静か過ぎて寂しいと思います。

稲作文化

世界の他の民族と比べるて、日本人の性格には集団指向性が強いと言われています。

この独特性は、発想や行動様式や言語などに現れています。

その原因については、島国の孤立性や民族の同質性など考えられますが、稲作文化と深い係わりを持つのも、見逃せないでしょう。

日本は昔から米を作る国でした。

小さな農村で人々は、田植え、除草、灌漑、収穫、脱穀、貯蔵といった一連の複雑な作業を、皆で協力し合いながらしていました。

その中でとくに要求されるのはチームワークや、集団の団結でした。

その中では事実を伝えるよりも、むしろ人の気持ちを傷つけてはいけないという気配りが根底にありました。

そのせいで、その頃の日本人は決して「No」と言わず、グループの和を保つような言い回しを工夫していまた。

また気心の知れた仲間に囲まれていたため、とりたてて自分を主張する必要がありませんでした。

それに、村人は殆ど外に出たことがありませんし、外からも殆ど訪問者がありませんでした。

ですから、例えば「私」と言ったりしなくても、お互いに誰が何のことを言っているかけはすぐ分かり合えるので、日本語にはだんだん不必要な部分が省かれていったわけです。

日本語に見る和の精神

日本人は会話しながら、お互いに気持が一致していることを喜びます。

そのために、相手と親しく話している最中に「いや、そうではありません」とか、「いや、おっしゃった意見に反対です」とか、「いいえ、それは違いますよ。

私はこう聞いています」というように、はっきりと「No」と反対の意味表示をすることはあまりありません.日本人同士の会話では、最後まで言い切らない婉曲な表現が多く用いられます。

例えば、「あのう、ここは禁煙なんですけど…」というふうに、自分の意見や感想などははっきり示さず、それを相手に察してもらおうと、途中で口を閉ざしてしまいます。

また日本社会では直接的な対立を避けるために、はっきりと断らない傾向があります。

その際によく「結構です」と言う言葉を使います。

それはもともと十分で、満足であるという意味です.一方、<もう結構>というと、相手から十分なもてなしを受けて、<この以上不必要です.>の意味になります。

このように、「和」を求める意識が習慣として定着しているために、表現は曖昧なものなりがちで、「…じゃないんでしょうか」、「…と言えなくないが」、「ご意見はごもっともですが…」などとよく言います。

その場合には話し手の表情を見たり、話の全体的な流れから真意を推測をしなければなりません。

恥の文化

日本の文化を「恥の文化」とする学者がいます。

恥とは人から笑われたり、見下げられたりして、プライドが傷つけられた時の感情です。

恥を掻かないために、行動する際に、世間の評価を考慮し、世間から笑われないような態度を取ったり、自分の行動の基準を他人の側に置いたりします。

このために日本人は他人がどう見ているのかを必要以上に気にすることがあり、自分の行動が他人の評価に左右されてしまうことが多いようです。

集団生活の中で、同調性が最も望ましい性質とされ、みんな一丸となって行動を起こすことが理想的とされてきました。

それで、素直に従わない者は恥だという考えが生まれました。

一方では、自分のいる小世界、つまり「世間」の範囲を出れば、旅先で恥を掻いても、その場限りのものに終わるとされます。

これは「旅の恥は掻き捨て」と言います。

「恥の文化」は否定的な響きがあるかもしれませんが、角度を変えて見れば、「思いやりの文化」とも言えます。

世間の一員として自らの行動次第で、世間に名誉も恥じももたらすことができるから、世間に迷惑を掛けないように思いやりをもって行動することが求められます。

例えば、子供も躾などで、恥ずかしいことをしないようにと、親は子供に言いつけたりします。

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