日语句子的翻译技巧倒译.docx
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日语句子的翻译技巧倒译
句子的翻译技巧
第二章倒译
◆倒译的定义:
倒译即大幅度改变语序的一种翻译方法。
把原文句子后边的词语或内容在译文中放到前边;或者把原文句子前边的词语或内容放到译文句子后边。
◆变序原因
1、句法上的原因
中日文属于不同语法体系,虽同用汉字,但是语法差异巨大。
这不仅体现在词法上,同时更体现在句法上,具体地说是语序。
在有宾语的句子中,这种差异格外明显。
中文是“主—谓—宾”,日语是“主—宾—谓”。
这个基本语序的不同,自然带来了谓语和宾语各自修饰语语序的不同。
把基本语序扩大,中文就成了“主语—状语—谓语—定语—宾语”,日文则是“主语—定语—宾语—状语—谓语”。
因此,翻译中市场不得不变序,否则译文或成病句,或洋腔洋调,甚至读者不知所云。
变序时不仅要改变谓语和宾语的语序,同时还要改变相应的定语和状语的语序。
例
(1)西に傾きかかった太陽は、この小丘の裾遠く拡がった有明の入江の上に、長く曲折しつつはるか水平線の両端に消え入る白い砂丘の上に今は力なくその光りを投げていた。
译文一:
西斜的太阳,在小山丘脚下远远扩展开来的有命海海湾上,在漫长曲折的遥远的水平线两端消失的白色沙丘上,如今毫无气力地放出些光亮。
译文二:
西斜的太阳无力地照射着在小山岗远处山嘴伸展开来的有明海海湾,照射着弯弯曲曲、隐隐约约地延伸在远处水平线上的白色沙丘。
(参考《日汉互译教程》p21)
2、修辞上的原因
比起因句法原因的变序来说,因修辞原因进行倒译的情况更多。
出自修辞原因的变序通常是为了表达效果,为了更准确地转达原文的信息内容。
例
(2)老訓導は重ねてすすめず、あわてて村上浪六や菊地幽芳などもう私の前では三度目の古い文芸談の方へ話を移して、しばらくもじもじしていたが、やがて読む気もないらしい書物を二冊私の書棚から抜き出すと、これ借りますよとたち上り、再び防空頭巾を被って風のように風の中へ出ていった。
译文一:
老教师不再劝说,急忙把村上浪六和菊地幽芳等在我面前提过三次的毫无新意的文艺评论纳入话题,好一会儿扭扭捏捏,然后把根本不会去读的两本书从我书架中抽出,说要借一下,就站起身,重新戴上防空头巾,一阵风似地走进大风里。
译文二:
老教师再也不劝说,连忙改变话题,谈起村上浪六、菊地幽芳等老作家来,这一番文艺评论我已经聆听过三次。
他显得坐立不安,过了一会儿从我书架里抽出两本书,虽然看样子无心思读,可是他却说借去看看,就站了起来,重新戴上防空头巾,一阵风似地顶着冷风出去了。
3、习惯上的原因
所谓习惯上的原因,是指维持原序的翻译虽不影响阅读与理解,在句法与修辞上也没有大问题,但是却不符合中国人的语言表达习惯,使人觉得别扭,不自然甚至生硬。
例(3)このたび私は、市民の皆さまの絶大なるご支持を得て市長となりました。
これからは、住みよいZ市をめざし、粉骨砕身、ご期待にこたえたいと存じます。
译文:
这次承蒙市民们的极大支持,在下荣任一市之长。
今后为把Z市建成生活乐园,在下一定不惜粉身碎骨,不辜负大家的厚望。
分析:
原文中的“粉骨砕身”,进行了倒译,因为汉语习惯上只说“粉身碎骨”,虽然两者意思上并无出入。
与此相似的还有以下词语。
◆变序类型
1、词语的变序
2、句内变序
句内变序,顾名思义,就是变序仅仅发生在一个句子的内部。
例(4)大通りに面した運送屋の二階を借りて、若者と一匹の猫が住んでいた。
参考译文:
年轻人在邻街的搬运公司的二楼租了房子和一只猫住在一起。
例(5)更にただの平凡な医者ではなかったことは、二人の長州藩の医者が手付けようが
なかったこの重傷に対して見事に一命を取り留めさせたことで分かる。
参考译文:
成功的挽救了连两位长州藩的医生都束手无策的重伤患者这一点,可以进一步的肯定他不是个平庸的医生。
3、跨句变序
例(6)新しく出来た高速道路が森の向こうを通っていて、車が頻繁に往き来している騒
音はほとんど這い上って来ない。
玩具のような自動車が音もなく走っているのを眺めるのも悪くなかった。
「あいつらは何だってあんなふうに忙しく走り回るんだろう」
笹野はベッドの上に上半身を起こし、車の流れを眺めながらそんなことを思った。
参考译文:
森林公园的背后是新建的高速公路,车辆穿梭不停,但是却几乎听不到噪音。
看看那些小得像玩具一样的汽车无声地疾驰,亦是桩乐事。
笹野坐在床上,望着远处的车流,不觉想到:
“那些家伙跑来跑去忙些什么呀?
”
4、句内句外同时变序
例(7)清吉は自分の心のなかに行き来するさまざまな人———男や女の影をたくさん、つぎつぎに見つづけていった。
清吉の心は一つの十字街であって、それらの影はそれぞれの方向へ歩きさった。
すべて皆、過去のものである。
清吉の新らしかるべき未来を暗示するものは一つもなかった。
(参看《日汉互译教程》P27)
译文一:
清吉不停地审视起自己的内心世界。
他的心犹如一个十字街口,形形色色的男男女女从中穿梭而过,奔向各自的去处。
然而,这一切不过是往事的再现,无法暗示清吉是否会有崭新的未来。
译文二:
清吉把自己心上来来往往的各色各样的人物——男的女的的影子一个一个地看过。
清吉的心是一条十字街,那些影子朝着各自的方向走去。
所有的一切都是过去的事情,能够预示清吉崭新未来的东西一个也没有。
◆倒译的实例
1、谓语提前
日语的谓语位于句末,而汉语的谓语一般位于主语之后,宾、补语之前。
因此,翻译时需要将某些类型的谓语提前到适当的位置,以符合汉语的词序。
(1)バラツキの少ない、周囲温度の変動に強い、電源電圧の変動にも安定した回路が用
いられる。
译文:
可以采用误差小,对环境温度变化适应性强和对电源电压变化也稳定的电路。
(2)反応を早くするために、温度を高めることは必要である。
译文:
为了加速反应,需要提高温度。
(3)魚屋の店先に並んでいるものだって、アフリカで漁穫した冷凍魚をもどして売って
いるのが大半なのだ。
译文:
即便是鱼店店头摆着的鱼,绝大部分(主语)也是在非洲捕获后冷冻起来的鱼,经过融化再出售的。
(4)吉田茂首相の側近でありながら、吉田後継をねらい、反旗を翻したのが広川だった。
译文:
广川(主语)是吉田茂首相的亲信,然而他却觊觎首相的职位,终于叛离了吉田。
2、日语较长状语汉译后多数要后置
日语一个词或一个短语作状语时,一般汉译不须改变语序,仍可置于谓语之前。
日语中较长的状语,
汉译时,多数要转移到被修饰语的后边。
这是因为,汉语很少把日语中那样长的状语摆在被修饰语之前,
而要表述这种前置长状语的内容时,往往是在后边补述,即所谓先讲主干,后谈分枝。
※常见的状语后移的句子
1)由后续接续助词组成的连用修饰句
(1)新幹線大阪駅の構内は就職シーズンをひかえた週末ということもあって、かなり混雑していた。
译文:
新干线大阪车站内非常拥挤,(因为)今天是周末,又正值求职就业的高峰季节。
分析:
句中划线部分是状语成分,而且很长,如果把它放在中间,前后很难连贯,变成:
“新干线大阪车站内因为今天是周末,又正值求职就业的高峰季节,所以十分拥挤。
”这个译法有语病,不太顺,所以不如移到后边去效果好,相比之下,第一个译文主谓语直接相连,紧凑得多。
另外还有一个译法:
“因为今天是周末,又正值就业的高峰季节,新干线的大阪站内分外拥挤。
”这个译法虽然很通顺,只是变成了说明文,而原文是写景,最好不要这样变动。
要尽量保持原作的语气。
(2)後で、どうして早く教えてくれなかったのって、私のことを恨まないでくださいね。
译文:
以后千万不要恨我,怪我没早告诉你。
(3)お願いします。
草とりでも、ふきそうじでも、なんでもしますから、しばらく先生のおそばにおいて下さい。
译文:
求您了,请把我留在您身边一段时间吧,无论是除草还是打扫卫生,我什么都能干。
(4)四階の書斎に入った。
塔を包み込んだ風と雨の音はさっき機械室に入った時辺りをピークにして徐々に鎮まりつつあるように福西に思えた。
译文:
进了四层的书房。
福西觉得包围着这塔的风雨声已逐渐减弱,刚才在机械室时,大雨达到了最
高峰。
▲注意:
由后续接续助词组成的连用修饰句并不是任何时候都要后置,需根据具体情况选择恰当的翻译方法。
例如:
(5)私はM村のことを話題に載せようとしたが、途中で彼女の硬い顔がこちらにむけ
られているのを感じて、あるいはそれを聞くのがちか女は厭かも知れないと思って
それを止めた。
参考译文:
我本来想提M村的话头,可使说到半截,我注意到她冲我板着脸,我想,或许是不爱听吧,也就打住不说了。
2)“ように”“ごとに”组成的连用修饰句
日语中由“动词+助动词连用形(ように/ごとに)”构成的状语使用频率很高,一般译成“仿佛像……”“像……一样”;当谓语是感觉、思维、语言行为动词,被“ように”“ごとに”修饰时,要将谓语先译出,将状语后移。
(1)遠野はいつも、前に坐っている人と話していても、ほんとうの相手はその背後
の遠いはるかな虚空にいるように焦点のずれた眼をしている。
译文1:
远野即使和坐在眼前的人谈话时,眼睛的焦点也总是离开对方,看着远处。
就好像真正的听者是
在那人背后的遥远世界里一样。
译文2:
远野即使和眼前的人谈话时也好像真正的听者是在这人背后的遥远世界里似地眼睛的焦点没有对着他。
(2)現在も、庭の梅が花をつけると、時時そのにおいをかぐし、幼い者でもそばにいる
と、かつて自分がされたように、抱き上げて、梅のにおいをかがせてやる。
译文:
现在如果庭院里的梅花开了,我依旧常去闻闻梅花的香味,倘若身旁有个孩子,我就会把他抱起来,象我自己童年时被人抱着去闻花那样,叫他也闻闻花香。
译文2:
…倘若身边有个孩子,我就把他抱起来,象我自己童年时被人抱着去闻花那样,叫他也闻闻花香。
比较分析:
以上这些用…ように构成的长状语,后移之后,由于句子的主谓宾等主要成分突出出来,译文达到了言简意赅的目的。
译文2的句子显得累赘,有的甚至不通顺。
所以在一些场合下将长的“…ように”构成的状语后移是个较好的方法。
(3)あの人はアメリカ人のように上手に英語を話します。
译文:
那个人英语说得跟美国人一样好。
(4)秋が来た。
うすい青空が高く晴れわたり、そこへ羽毛をプット吹き散らしたように、
軽い綿雲が一面に浮かんでいる。
そういう空模様の日が毎日つづいた。
译文:
秋天来了。
淡淡的蓝天一晴万里,显得更高;轻轻的彩云漫空飘舞,仿佛是一口气把羽毛吹遍了云霄。
这样的天气,持续多日。
▲注意“…ように/ごとに”等构成的状语是否需要后置,要视情况而定,也不是说在任何时候都要后置。
(5)姉はひっそりと微笑した。
初めて会った日のように、妖精のように、神秘的な微笑
だった。
译文:
姐姐悄悄一笑。
那笑就像是初次见面那天一样,是一种仙女般的、神秘的微笑。
3)由ない的连用形ずに、ないで构成的连用修饰句
(1)母はなにもいわずに、姉の顔をじっと見つめている。
译文:
母亲一动不动地注视着姐姐的脸,什么话也没有说。
译文2:
母亲什么也没说地注视着姐姐的脸。
(不通顺)
(2)ぶらぶらせずに、さっさと歩け!
译文:
快点走,别溜溜哒哒的。
译文2:
不要溜溜哒哒的,快点走。
(句子比较短,不如前一种翻译自然)
(3)櫛田医師は見立ての上手な、技倆の卓越した人であるだけに、この近所で引っ張り
凧になっていて、毎日夜の十一時過ぎまで夜食にも戻らずに往診に廻っているとい
う風なので、摑えるのが容易でなかった。
译文:
栉田医师精通脉理,医术卓越,因此成了附近一带的红医生,每天东奔西走地出诊,一直忙到晚上十一点多,连晚饭也不能回来吃。
因此很不容易找到他。
分析:
这句话长,有两个连用修饰成分,“毎日夜の十一時すぎまで”和“夜食にも戻らずに”,译者都移到了谓语“…廻っている”之后,译文非常流畅。
如果不移,放在前边显然不通顺。
“…连晚饭都不回来吃地到处去出诊,一直忙到十一点多……”
4)由副助词等组成的连用修饰句
日语中,由“动词+ほど/ぐらい”构成的状语也常常出现,翻译时一般可将“ほど/ぐらい”前
的修饰语译成结果补语。
(1)まわりの景色は言葉でいいあらわすことができないほど綺麗であった。
译文:
四周的景色十分迷人,简直无法用语言来形容。
(2)もうその頃は校庭の廻りの立木倒れるかと思うほど、風をうけて揺れている。
译文:
这时校园四周的树木被风吹得剧烈摇晃,简直象要倒了一样。
(3)こんな話はもう耳にたこができるほどききました。
译文:
这种事听得太多了,耳朵都磨出茧子来了。
(4)薬を飲み終わると、松代は冠っていた手拭で顔と衿首の汗を拭った。
しぼれば滴の
したたるほど濡れてしまった手拭を、またひろげて頭に冠る。
译文:
松代喝完药后用盖在头上的头巾擦了一下脸上和脖子上的汗水,又重把手巾盖在头上。
手帕已经
湿透,简直能拧出水来。
5)其它连用修饰句
(1)今夜はこの季節にはめずらしく、霧がでていった。
译文:
今天晚上下雾了,在这个季节是很少见的。
(2)その暖房として、十六軒中九軒の家庭で火燵が用いられている。
译文:
十六户人家里,有九户靠烘笼取暖。
(“として”修饰“使う”“用いる”之类的动词,表示用途。
其译法很不规律,多数译后要移至被修饰语之后,但有时也可按原来语序翻译。
例如:
“この本は副教材として用いてもいい”“这本书也可用作教材补充读物”“这本书也可作教材补充读物使用”)
3、“「…と」(补语)+表示感觉、思维、语言行为的动词谓语”构成的句子
这类句子翻译时有规律可循,即采取倒译的方法,先译出谓语,再译出引用内容
(1)三歳の息子の手を引いて通りを歩きながら、私はこの子にも当分の間はあの自転車
で練習させて、上手になったら新しいのを買ってやればいいと言い訳がましく考え
ていた。
译文:
我拉着三岁孩子的手,一边走,一边好像为自己辩护似地想着:
让这个孩子先暂用这辆车练习,等学会了再给他买个新的也就是了。
(2)そんな大きい厚い本をもっている人は、どこを捜してもいないのだ、父だけがそん
なすばらしい本をもっているのだ、そして父だけがこの本に書かれてあることを全
部知っているのだ、とわたしは信じていた。
译文:
我相信:
有这样大部头的书的人,在哪儿也难以找到,只有我的父亲才有这么好的书,只有我的父亲才知道书里写着的全部事情。
4、长定语句的翻译
1)先译被修饰语,后译连体修饰句部分
(1)しかし、気分は近年になく静って落ちついた、いい気持ちがしていた。
译文:
可是我的心情极佳、近年来很少感到过这么平静、安详。
(2)ことごとく鳩山首相と対立している重光である。
译文:
重光同鸠山首相事事都格格不入。
(3)もし夫が入院しないで、例の通り宅にいたならば、たといどんなに夜更かしをしよ
うとも、こう遅くまで、気を許して寝ている筈がないと思った彼女は、眼が覚める
と共に跳ね起きなかった自分を、どうしても怠けものとして軽蔑しない訳には行か
なかった。
译文:
她想,假如丈夫不曾住院,还像往常一样在家,不管怎么熬夜,也不可能这么放心大胆地贪睡。
她总觉得睡醒了也不肯起来的自己是条下贱的懒虫。
(4)磯川ちか女が正章の女の問題で腹を立てて階段の途中で失神してじまったという噂
が私を驚かせたのは、義春の結婚から五年程あとのことで、時代は、その時から長
く続く暗い戦時下へと一歩踏み込んでいた。
译文:
听说知佳女士因为正章跟女人的关系气得晕倒在楼梯上,我大吃一惊。
那是义春婚后五年左右的事。
从那时起,时局已进一步深入漫长而黑暗的战争年代。
分析:
在这段日语文章中,“磯川ちか女が……驚かせた”是主语“のは”的定语,先把这个定语提出来单译为“听说……我大吃一惊。
”(作外位成分),然后用代词“那”代指前边的外位成分而与下文连下去。
※日语较长的递加定语,汉译后大多要后移到被修饰语的后边,因为汉语不喜欢冗长的、大帽子式的定
语。
如果日语有较长的几个定语(递加定语),汉译时也不一定要全都移动到被修饰语的后边。
一般来
说,几个递加定语中较短的、较永久性的定语要留在前头,较长的、较临时性的可动性的定语要移动
到后边。
(5)晩秋の古都に、①心のやすらぎをもとめる②たくさんの観光客にまじって、穂積さ
んは近鉄八木駅をおりました。
参考译文:
②大批观光旅客,来到这深秋的古城①寻求心灵的安逸,穗积夹在他们之中,走出近铁的八木车站。
(6)①なんでも沙翁劇の権威だという②偉い先生が、毎日のように現れて、旦那と何や
ら打合せをしている。
译文:
有②一位了不起的先生,①据说是研究莎士比亚戏剧的权威每天都来喝老板商量什么。
分析:
上例中的“先生”有两个定语,其①是个表示传闻的动词结构,较长;其②是表示“先生”品质、身份、地位的形容词,较短。
汉译后,把②放在被修饰语“先生”前面,而把①移到后边,作了“先生”的说明部分。
(7)畑に肥料をやらず、竹藪を焼いては数年毎に部落で畑地を変えていく焼田制度を取
っている黒島の農業で、主食のさつまいもを収穫前に風で荒らされたのは、最大の
痛手に違いない。
译文:
黑岛地区的农业,并不施肥,而是采取烧田制。
他们每隔几年,由村子组织烧毁一片竹林,改
换耕地。
因此,临收获之前主食红薯遭灾,无疑是最沉重的打击。
(8)きいて見ると、〔亡くなった当主が(①現在はどうしているか知らないが②その当
時一時加古川に住んで古いものを持ち歩いていた③原芳泉という④桂岳の友人で
ある)日本画家から手に入れたもの〕で、未亡人もその男に面識があるということ
であった。
译文:
经过打听才知道,这幅画是已故原主从③一名叫原芳泉的日本画画家手里买来的。
据说这位原
芳泉④是桂岳的朋友,②当时他曾有一个时期住在古川,常兜售文物,①现在在哪儿就不清楚了。
故主的遗孀曾见过这个人。
分析:
上例是一个长定语中海包含另一个长定语的例子,〔〕内的文字都是“”的定语,在这个定语中的补语“日本画家”又带有一个很长的递加定语,()内的文字都是“日本画家”的定语,这个递加定语共有四个小定语:
①②两个小定语都是动词结构,较长;③是个表示称谓的定语,带有永久性质,最短;④是表示说明判断的定语,亦属动词结构,比较长。
汉译后,把③这个最短的、比较永久性的定语放在了被修饰语“日本画画家”的前头,而把其他三个长的或比较长的、临时性的定语都移到修饰语后边去了。
2)先抓主干,后理分枝(定语)
先抓主干,后谈分枝,这是汉语行文中一种常用的方式。
在处理定语(也是一种分枝)时也可以采取这种方式(有时中间加用复指代词连接前后文)。
(有的连体修饰句插在句子中间,如按上面方法颠倒,句子不连贯,无法接下去,此时可以先把修饰成分略去不译,先译原句主干,最后再把修饰句译出。
(1)〔酒を飲むと、すぐ顔がまっかになり、心臓が暴れまわる〕人がいる。
参考译文:
有(的)人一喝酒立刻脸色通红,心脏剧烈狂跳。
分析:
所谓先译出主干,就是酌情先把主谓宾补成分译出来,然后再把连体修饰成分拆放在后边。
这样一
来长句子就变成了一个个的短句子。
这种方法简便易行,不论多么复杂的长句子,都可以迎刃而解。
(2)この春、〔ぼくは前から一種の憧れを持っていた〕あしびの花を大和路のいたるとこ
ろで見たことができた。
译文:
今年春天,在大和路各处都可以观赏到马醉花。
我老早就想看到这种花了。
(3)冷房完備のスタジオだが、〔カメラを備えて、じっと万里子を見つめている〕カメラ
マンの額には大粒の汗がにじんできている。
译文:
尽管摄影棚内有完善的冷气装置,可是摄影师的头上却渗出大颗的汗珠。
他摆好相机,一动不动地
注视着万里子。
(4)私は新聞社の玄関口で、〔舗道の人波の中に混り、直ぐそこに見えている十字街の方
へ歩いて行く〕ちか女の小さい姿を見送っていた。
译文:
我站在报社门前,目送着知加女士。
她那矮小的身影混入便道上的人流,朝眼前的十字路口走去。
(5)ちか女は戦後いち早くそれを売って、〔その金で大森に麻布の邸宅に較べると何分の
一かに過ぎないが、ともかく建坪60坪ほどの〕家を買った。
別棟の洋館もあり、荒
れてはいたが芝生の庭もあった。
译文:
战后,知佳女士很快就把它们卖掉,用那笔钱在大森买了一座宅子。
跟麻布区的公馆比起来,不过
是几分之一,但好歹也有六十坪的建筑面积。
单另还有一所洋房,还有个带草坪的院子,虽然已经
荒芜了。
3)时间、地点优先
(1)知恩院の桜が入相の鐘に散る春の夕に、これまで類のない、珍しい罪人が高瀬舟に
のせられた。
译文:
一个春天的傍晚,知恩院的樱花在深沉的晚钟声中纷纷飘落。
一个古今少有的特殊犯人被带上了高濑舟。
(2)私が突然、新聞社にちか女の訪問を受けたのは、それから一ヵ月ほどした三月の半
ばの寒い日であった。
译文:
约莫一个月以后,三月中旬的一个冷天,知佳女士突然到报社找我。
(3)私が再び東京へ舞い戻ってきたのは、昭和二十八年の二月であった。
译文:
昭和二十八年二月,我再次回到东京。