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高级日语阅读

1.理解と誤解

                         鈴木孝夫

私が小学校六年生の時だった。

ある日のこと、それまで外側から眺めてだけいた隣家に入ることができた。

隣の大学生のお兄さんが遊びに来いと言って、私に家に中をくまなく案内してくれたのである。

ところが、私がいつも自分の家の庭や縁側から仰ぎ見ていた。

二階のお兄さんの部屋の窓から、初めて自分の家と庭を見下ろした時、私はそのなんとも言えぬ不思議な眺めに、思わず声を立てて笑ってしまったのである。

私の目の前にある家がどう見ても長い間住み慣れた自分の家であることは疑いないのだが、それでいて、頭の中で私がこれこそ自分の家だと熟知している家とは、どこからどこまで違うのだ。

頭では同じ家だと分かっていながら、目に見えている家はまるでおとぎの国の家のように、初めて見る新鮮さと、ぞくぞくするような未知の神様に包まれている。

この時の戸惑いと興奮は、五十年近くたった今でも忘れられない。

これも同じ頃のことと記憶しているが、毎年夏になると、きまって自家中毒という名の、ひどい大腸カタルになった私は、ある夏とうとう入院して生死の境をさまよう羽目となった。

九月の初め、二か月の入院生活から寝台車でやっと家に戻った私は、いちばん涼しい八畳の間にすぐ寝かされた。

だが畳の上の布団に横たえられた途端に、私が大声で笑い出したものだから、心配性の母などは顔色を変えて、いったいどうしたの、どうしたのと騒ぎ立てるしまつだった。

それまで病院の背の高いベッドに二か月も寝ていた私の目には、何もかもが寝ている自分と同じ平面に置かれている畳の上の布団から見える四囲の光景が、この時も説明しようのない親しみと不思議さの混じったものとして映ったのだ。

また私には次のような苦しい経験もある。

小さい時から小鳥が大好きだった私は、暇さえあれば山野に出かけ、鳥を眺めては楽しんでいた。

日本の小鳥ならば言うまでもなく、そのさえずりを聞いただけでも、たちどころにそれが何鳥であるかを言い当てられる自信があった。

いやさえずりどころか、短い地鳴きですら何鳥のものか分かるとさえ思っていたのである。

ところが、だいぶ前から日本でも鳥の声を録音することがはやり出し、やがて国内の鳥はおろか、外国産の鳥の声まで、NHKや民間放送などが放送するようにもなってきた。

私はこのような放送をたびたび聞いているうちに、確信をもって何鳥かを言えないことが、ままあることに気づいたのである。

それも録音が不自然だとか、音質が悪いためではないのだから、がっかりしてしまった。

自分で野山に出かけた時は、長い経験と知識で、ある時期に日本のどの辺には、どのような鳥が見られるかが、私にはよく分かっている。

そのため烏の声を聞いた場合に、私はこの総合的な知識を無意識のうちに動員して、今鳴いた鳥が何であるかの可能性の範囲を絞ることで、鳥の種類を決めていたらしい。

ところが他人がとった録音や、放送される鳥の声の場合には、その烏が何であるかを割り出すのに必要な情報が得られないため、可能性の範囲を狭めることができない。

そこで不意に、解説もなしに声だけを録音で聞かされると、本当はよく知っているはずの鳥の声でさえ、自分でもおかしいほど自信がなくなってしまうのだ。

私が日本の山野で特定の鳥を、声だけで認識できるということは、実はその声をめぐる多くの情報の脈絡の中で、対象を相対的に決定していたのであって、常に声そのものが唯一無二の決定的な手がかりを含んでいたわけではないことを悟らされたのである。

このような話で私が示したかったことは、私たち人間の事物や対象の理解や認識というものは、意外にもかなり一面的で偏りのあるものだということである。

自分の住んでいる家や、使い慣れた家具の置いてある自分の部屋でさえ、実は極めて限られた角度、視点からだけ私たちはそれを把握しているのであって、決してすべての点を網羅的にとらえて理解しているわけではない。

私たちは実際問題として、いろいろな生活上の習慣や、物理的な固定条件のゆえに、特定の事物や対象についての視点を簡単には変えられない。

そこで自分が見ていること、知っている側面だけが、あたかも対象そのものであると思い込むのである。

ただ何かの偶然で、この習慣的な接し方が壊される時に、初めて私たちは自分たちの認識の持つ一面性に気が付くのだ。

ところが同じものについて、自分と他者が異なった視点や接し方を持つ場合には、自分が他者の視座に立つことがふつうにはありえないために、視点を移動することがはるかに難しいものとなる。

再び録音の話になるが、今ほどテープレコーダーが普及していなかった時分に、自分の声を初めて録音で聞いた人は、ほとんど一様にこれは自分の声とは違うと言ったものだ。

平素私たちが自分の声として聞いている音声は、自分の口から出た音波が空気振動として鼓膜を打つ上に、のどや口の中の振動も直接骨を通して鼓膜に伝わるため、録音された空気振動音のみの声よりは、一般に重く潤いのあるものとして自分に聞こえるのである。

つまり録音された声とは、他人に聞こえている自分の声なのだ。

どちらも真実なのである。

この事実はしかし録音機という便利なものがなかったならば、ふつうの人にとって理解しがたいものであったろう。

いや今でも恐らく自分に聞こえるように、他人にも自分の心が聞こえているはずだと思っている人が多いのではないだろうか。

私たちはよく、他人から自分が正しく理解されていないという感じを持つことがある。

本当の自分はこうなのに、人が分かってくれないと言って怒ったり嘆いたりすることは誰にでもあることだ。

しかしよく考えてみると、自分と他人とは絶対に交換したリ、変更したりすることのできない立場の相違、視座の違いを持っているものだから、ある意味では他人が自分を本当に理解できないのは当たリ前のことであって、むしろ他人が分かってくれない部分こそ、自分だけが知っている本当の自分なのだと考えることもできる。

他人は自分の声を、自分が聞いているようには絶対に聞いてくれないことが真実であるように、自分のことを他人が、自分の思うようには思ってくれないことも真実なのである。

この意味では、本当の自分とは、自分がこうだと考えている自分と、他人が自分について抱いている考えやイメージ、つまり誤解を加えたものと考えることもできる。

少なくとも社会的存在としての自分とは、他者の目に見える自分の姿も、真実の自分なのだと考えるほうが現実的な認識なのではないだろうか。

作者情報

鈴木孝夫(すずきたかお、1926年-)は、言語学者・評論家。

慶應義塾大学名誉教授、杏林大学名誉教授。

東京生まれ。

慶應義塾大学医学部予科修了後、文学部英文学科に編入。

1950年、慶應義塾大学文学部英文科を卒業。

専攻は言語社会学。

英語公用化論、地球環境論などについても積極的に発言している。

英語帝国主義批判の主要な論客としても知られる。

 

2.個人の可能性

 加藤秀俊

黒沢明監督の映画に『生きる』というのがあった。

上映されたのはだいぶ昔のであるから、現在の若い人たちには、それほどなじみのない題名かもしれないが、優れた映画であった。

日本だけでなく外国でもかなり評判になった。

なぜこの映画は名作であるのか――それを説明するためには、この映画の筋をおおざっぱに紹介しておかなければなるまい。

『生きる』の主人公は、都会の区役所に勤める中老の吏員である。

毎日同じ時間に出勤して、机の上に山積した書類を、ぼそぼそとひっくり返している。

あんまり、やる気がない。

すべてが、おっくうなのである。

回ってくる書類に機械的にはんこを押す。

書式が整っていないと、形式主義で難しい顔をする。

規則をたてにとって、めんどうなことを言う。

市民にたいして無愛想なのである。

この吏員は公園課に勤めている。

ごみごみした都市生活の中では、子供が安心して遊べるような公園への欲求は切実である。

この吏員の前には、主婦たちが集団で陳情にやって来る。

子供たちのために公園をつくってくれというのである。

しかし、彼の反応は冷淡である。

予算がないとか、規則がどうのと言っては主婦たちを追い返す。

そういう中で、主人公は生きているのである。

この吏員は、体のぐあいが悪い。

胃が痛む。

毎朝、机にむかって、彼がすることはポケットから薬を取り出して服用することだ。

顔色がすぐれない。

しょっちゅう前かがみになって下腹を押さえている。

無気力なのである。

だから、よけい無愛想になる。

胃の痛みがひどくなる。

ついにかれは決心して病院に行く。

そして、最悪の宣告を受ける。

ガンだったのである。

後数か月の命しかないことがわかる。

恐るべき錯乱状態が彼を襲う。

酒を飲んでもさっぱり気を紛らせることができない。

完全な絶望状態になる。

しかし、その絶望状態の中で、彼は後わずかしか残っていない命の価値を発見する。

死ぬことがわかって、初めて「生きる」ということの尊さ、すばらしさを発見するのである。

そして、彼がこれまで続けてきた吏員としての職業生活を振りかえってみる。

惰性的に書類を作り、はんこを押して月給をもらっている生活――それがはたして「生きる」ということなのであろうか。

彼は、自分が、本当の意味で生きていなかったのだ、という気持ちがつく。

人間というものは、こんなふうに惰性で存在していていいものではない。

人生はもっとすばらしいものであり得たはずだ、もっと充実した喜びに満ちたものであり得たはずだ。

生きていることの楽しさを実感し得るような生活、それが「生きる」ということなのではないか。

残された時間は少ない。

少ないけれど、この数か月を、ほんとうに「生きて」みよう――彼は決心する。

胃の痛みはますます激しくなる。

しかしこう決心したときから彼のすさまじい活動が始まる。

陳情に来た主婦たちの訴えを真剣に聴く。

ついにこの間まで。

全然相手にもしなかった児童公園の建設を、主婦たちの身になって考える。

役所の仕事というのは、いろんな手続きがめんどうくさい。

下級吏員一人の力でどうなるものでもない。

しかし、この児童公園をどんなことがあっても、つくりあげようと彼は決意する。

まるで人が変わったように、彼は熱心に上役に陳情を取り次ぐ。

いろんな妨害もある。

ことなかれ主義の高級吏員はあいまいな態度で彼をあしらう。

だが彼は負けない。

がんばりにがんばって、とにかく公園建設の決裁を取り付ける。

工事が始まると、雨が降っても建設の現場に出かけて進行状態を見守っている。

ほとんど殺気だったような彼の熱心さで公園は完成した。

小雪のぱらつく夜、彼は自分の作った児童公園のぶらんこに腰掛けて、ゆらゆらと揺らしながら、歌を歌う。

喜びに満ちた笑顔がよみがえる。

そして、その喜びに浸って、彼はぶらんこの上で息をひきとるのである。

彼は、数か月を、人間としての喜びを味わって「生きた」のであった。

その時間は短かったけれど、充実していた。

機械的にはんこを押していたかつての彼は、生存していたが、人間としては死んでいたようなものだ。

本気になって、やりがいのある仕事に挑んだ数か月、それこそが彼がほんとうに人間として生きた、すばらしい数か月だったのではないか。

ながながと映画のストーリーを紹介してしまったが、べつに映画の解説や批評を、しようというわけではない。

こんなにまでして『生きる』を紹介したのは、この物語の中に、我々すべてに対して投げかけられている教訓が含まれているからなのである。

この映画に即して、我々は、たぶん、自らに対して、率直に問いかけなければならない。

はたして我々は、ほんとうに「生き」ているのか。

この問いに対して、イエスと即席に答えるのできるひとは、極めて少ない。

『生きる』の主人公ほど極端でないにしても、我々の多くは、ただなんとなく毎日を過ごしている。

それでけっこう、どうにかやっている。

だが、生きているということが、こんなにもすばらしいものか、という感動を受けるような日は、めったにないのである。

テレビを見たり、むだ話をしたりしているうちに、時間はたってゆく。

だが、そういう時間の流れの中に身をおいている、というだけでは、生きている、ということにはならない。

くどいようだが「生きる」というのは、生命の充実を感じながら、一刻一刻をこのうえなくだいじなものとして認識することである。

――公園建設のために、ほとんど寝食を忘れて働き続けたあの老吏員のように。

我々は、今、こうしてここにいる。

そのことをごくあたりまえのことだと考えている。

べつだん、それをありがたいとも思っていない。

とりわけ、若さにあふれた時代には、自分の存在それ自体について、深く考えたりはしない。

自分は、ここにいる。

元気はつらつとしていて、とにかく動き回っている。

それで楽しい。

青春というものはそういうものだ。

若さというのはそういうものだ。

それでよいのである。

後数か月しか生きられないという、あの老吏員とは、だいぶ事情が違う。

しかし考えようによっては、ガンの宣告を受けたあの吏員と、我々の間にある違いは、程度の差であるにすぎないのかもしれない。

今若さに満ちている青年の若さは永遠のものではない。

今二十歳の人間は十年先には三十歳、たいていはもう結婚してパパやママになっているはずである。

三十年先には五十歳である。

五十歳ならまだ若いといえば若いが、そろそろ老後の心配などしなければならない時期である。

それから更に二十年たつ。

すでに七十歳だ。

老人である。

そして、それから何年かたって、人生は終わる。

人生は、改めて言うまでもないことだが、有限なのである。

人間いつかは死ぬ。

どんな天才でも、どんな金持ちでも、この宿命から逃れることはできない。

だれもその例外ではあり得ない。

『生きる』の主人公は、自分の生命が後数け月しかないということを知り、いわば死の世界を眼前に見たことで「生きる」ことの意味をつかんだ。

死を意識して生の意味が明らかになったのである。

青年にとって、人生はまだ先が長い。

長いけれど、その人生のかなたには死の深淵がある。

現在の青年も今から数十年先には、その深淵の中に吸い込まれてゆく。

とすれば、『生きる』の主人公と青年との間にある違いは、深淵までの距離が数か月であるのと、数十年であるのとの違いに過ぎないのではないか。

 

作者情報

加藤秀俊(かとうひでとし、1930年4月26日-)評論家、社会学者。

文明論、メディア論、大衆文化論などで有名。

1989年外務大臣賞、1996年郵政大臣賞。

学習院大学教授、放送大学教授、中部大学教授・理事・学監・中部高等学術研究所所長・顧問、国際交流基金日本語国際センター所長、日本育英会(現日本学生支援機構)会長、日本ユネスコ国内委員会副委員長等を歴任。

 

3.若い人たちへの手紙

            辻邦生

一般に読者の真の楽しさを知るのは、やはり知的な目覚めを経験する青春期でしょう。

この時期には精神的、身体的に急激な成長をしますから、人によっては、かなりアンバランスな状態になることがあります。

例えば今まで自明だと思われたことが急に疑わしく思われたり、世の中が汚れたものに見え出したり、生きる意味が分からなくなったり、人々によってその状況はさまざまですが、こうした一種の危機を通り過ぎないで青春を終えることはまずないといっていいでしょう。

やはりそんな時、本気で問題の本質から目をそらさず、それを解決し、乗り切ってゆくことが、人間として成長するための大切な条件になります。

蛇が皮を脱ぐように、人間もこうして成長するものです。

青春期の苦しさは一人前の人間になるための迷いの一時期であり、それは必ず乗り越えることのできるものです。

人によっては自殺の誘惑を感じることもありますが、もともと真に生きるために、こういう迷いも苦しみも生まれるのですから、それを死で解決しようというのは、問題を逆に考えていることになります。

真に生きる必要を感じない人は、こうした迷いも苦しみも味わわないからです。

青春と言う一時期が、若さに満ちた輝かしいものでありながら、どこか暗さと不安をたたえているのは、こういったアンバランスが潜んでいるためです。

そして青春時代に好まれる本がどうしても人生論的なものになるのも、こうした問題が青春に重くのしかかっているからです。

私たちの青春期には哲学書や宗教書を読む人が多く、私もカントや西田幾多郎の名を知ったのは旧制の高等学校時代でした。

読む小説もドストエフスキーとかトルストイなど思想的な作家の作品が多く、それも、文学として楽しむより、自分の迷いに光を与えてくれるものとして読むことが大半であったように思います。

私の青春期は戦中戦後の苛酷な時代と重なりましたので、平和な時代以上に精神的なアンバランスが深刻だったのかもしれません。

しかし現在のような平和な時代でも、青春を手放しで明るいものとは考えない方がいいのかもしれません。

だれもがこの暗い一時期を通るからです。

ですから、この時期に本を読むようになる人が多いのも当然のことなのです。

それにもかかわらず読書を勧める文章が多いのは、今の若い人たちが、自分の内部の問題に気が付いたり、それをじっくり考えたりするほど、落ち着いた環境を与えられていないからでしょう。

最近でこそ、世間はいくらか落ち着きを取り戻しましたけれど、戦後の日本は高度成長の波に乗って、国じゅうが浮き足立っている状態にありました。

物質的には豊かになりましたが、精神的にはいろいろの面で貧しくなりました。

例えば物の乏しさの意味は分からなくなってしまいましたし、思いやる心を失ってしまいましたし、時間をかける楽しさなども理解できなくなりました。

秋の終わりに球根を植え、一冬過ぎて、早春の冷たい朝、地面から青い芽がのぞくのを見いだした時の喜びは、実際にそれを味わった人でないと分かりません。

その青い芽が伸び、やがて黄色い、かぐわしい水仙となって咲く時、私たちは生命の不思議、自然の神秘に打たれないではいられません。

でも、こうした喜びは、ワンタッチ式の行き方ではとうてい味わうことはできないでしょう。

受験戦争などもこうした世相のとばっちりといってもいいものです。

落ち着いた環境とは、一日一日の静かな時間を季節のゆっくりしたリズムに合わせて生きることです。

決してあせらないこと、決して未来の結果についてくよくよしないこと、それがまず落ち着いた雰囲気を私たちにもたらしてくれます。

例えば何か本を読みたいと思っても、一度に数百冊の本をどっと与えられたら、それだけで興味も半減しますし、だいいち読む勇気がなくなってしまします。

ドストエフスキーがシベリアに流された時、読むことを許されたのは聖書一冊でした。

しかし四年のシベリア流刑の間、この一冊の本がどれほど深刻に彼の魂を変貌させたかは、後期のドストエフスキーの「罪と罰」や「白痴」を見ればよく分かります。

読書には多読も濫読も必要な時があります。

生涯の糧になる本はそう多くあるものではありません。

百冊の本のリストの前でため息をつくより、その時一番好きだと思える一冊の本を選び、他は忘れることが肝要です。

これも半分まで、あれも半分まで、というような読み方が最も時間の浪費になります。

一冊の本をよく読むこと、それは十冊の本をいいかげんに読むのにまさります。

デカルトではありませんが、何事にも手順というものがあります。

やはり読書も手順を踏んで、簡単なものから複雑なものへ、易しいものから難しいものへ、短いものから長いものへ進んでゆくのがいいと思います。

短いものから読んでいくという原則では、ストーリーの面白いモーパッサン、或いは芥川などの短編小説を読んでみたり、長いものなら、「紅と黒」のような楽しい作品から始めてみるのも一つの方法でしょう。

何を読むかと言う前に、まず何はともあれ、夢中で読むという体験を一度味わう必要があります。

読む対象はそれぞれの人によって異なりますが、とにかくおもしろく楽しい本であることが必要です。

そして一度読む楽しさを知ったら、後は、この面白さの内容をしだいに高めることが、楽しさを長続きさせる秘訣です。

例えば推理小説だけを読んでいると、最後にはせっかく面白かった本も、なんとなく空虚な感じがしてきます。

一度読む楽しさを知った人は後はほうっておいても、読書の本能ともいうべきものによって、自分にぴったりした本を求めてゆくものです。

ある人は尋ねるかもしれません。

「今はテレビや映画や劇画によって読書以上の楽しさを味わえる時代なのに、なぜ古臭い読書などに執着するのですか。

」と。

しかし、テレビを見るのと本を読むのとは別々のことです。

テレビは私たちを自分の外へ引き出しますが、読書は自分の中へ引き戻します。

それに読書はいつどこででもできます。

汽車の中でも飛行機の中でも、昼でも夜中でも、一冊の本さえあれば、自由に別世界に入り込むことができます。

同じ本でも、小説は劇画より、もっと自由自在に豊かに想像力の翼に乗って羽ばたくことができるのです。

読書の楽しさの中で最大のものは、この自由感だということもできます。

本の扉を開けると、もう向こうはフランスだったり、江戸時代の日本だったり、幻想の世界だったりするわけですから。

そこでは私たちの人生とは別の人生が始まっています。

別の人々と出会い、数奇な運命を辿ることができるのです。

深い悲しみや喜びを味わうこともできますし、人生の裏面の赤裸な姿を見て戦慄することもあります。

私たちの魂は地獄を通り、天国を通ります。

泣いている女にも会います。

打ちひしがれた男にも出会います。

幸福な人にも恋に悩む人にもぶつかります。

私たちは思わぬ人生の寂しさや、孤独感や、人々の愛を体験します。

こうして一冊の本を読み終えた時、私たちは読み始める前とは、別人になったように思えることがあります。

私は「罪と罰」を読んだ時、そんな気持ちを味わいました。

しかし、こうした経験は、読書以外には絶対に味わえません。

こうなると、読書は単なる楽しさから、もっと深い、もっと複雑なものに変わってゆくことになります。

読むことを人生の悪徳に数えた人がいます。

それほどまでに読書には甘美なものがあるのだ、ということなのでしょう。

 

作者情報

辻邦生[つじ・くにお]1925~1999。

東京都生まれ。

長編小説、短編小説、エッセイ、日記、公演と数多く世に発表しており、その壮大な仕事は日本文学の偉観ともいえる。

歌人西行の生涯を描いた歴史小説『西行花伝』で谷崎潤一郎賞を受賞。

1996年、日本芸術院会員。

1999年、軽井沢滞在中に急逝。

2004年には新潮社より『辻邦生全集』が刊行された。

また、映画評や演劇評などの評論も数多く残している。

 

4.危険の感覚

大江健三郎

作者にとっていちばん大切な、そして最も基本的な態度とは、どういう態度でしょう?

というインタビュアーの質問を読んだことがある。

僕がインタビュアー記事を読んだのは、大学に入った年の夏休みで、僕は語学の勉強のつもりで、イギリスの新聞の文芸付録を読んでいたのだった。

その時僕は作者でなかったし、作者になろうともしていなかった。

そこで僕は質問された作者の答えについては興味を引かれなかったが、この質問だけは刺激的だった。

僕がやがて一つの職業に就く、そして、こう尋ねられる時が来る。

あなたの職業にとっていちばん大切な、そして最も基本的な態度とは、どういう態度でしょう?

僕は漠然とした恐怖感を、その自分の未来の時に対して感じた。

最初の本を書いてから、当然僕はこの質問を度々思い出すことになった。

それは時々僕にとって一つの強迫観念じみてくることさえあった。

僕は自分自身の答えを幾とおりも考えたし、自分が好きな作者たちの言葉の中から、彼ら流の返答を探し出そうともしたものだった。

例えばイギリスの若い作者の一人は、こんなふうに答えている。

頭を冷静にして、おぼれないようにすること。

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