美の概念としてのあいまいに関する研究.docx
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美の概念としてのあいまいに関する研究
[論文]
日本人の美意識に関する基礎的研究
「美」の概念としての「あいまい」に関する研究
FundamentalresearchabouttheJapanesebeautyconsciousness
Researchon"Aimai"asaconceptofthebeauty
●高橋浩伸/九州芸術工科大学大学院 大井尚行/九州大学
TAKAHASHIHironobu/KyushuInstituteofDesign、OiNaoyuki/KyushuUniv.
●KeyWords:
"Aimai"、Beauty、Concept、Japanesepeople、Subjectiveevaluation
要約
現代の我々日本人の美意識はというと、混沌として、何が「美」で、何が「醜」かの区別さえも難しい状況にある。
このような混沌とした現代において、新たな「美」の概念を見いだし、一つの方向性を示すことは、大いに意義のあることと考える。
そこで、その新たな概念として、本論では「あいまい」という概念を提起し、「あいまい」という概念が、「美」の概念であることを実証することを本論の目的とする。
そこでその方法として以下の2つの方法で検証を行った。
(1).「あいまい」という「美」の概念を、既存の日本的な「美」の概念である、「わびさび」「幽玄」等の概念に見出す。
(2).SD法を用いた印象評価実験にて
「あいまい」が美の概念であることを確認し、更に「あいまい」が美の概念概念の階層構造においてどのような位置づけにあるのかを検討する。
上記のような方法によって、2章においては、「あいまい」という概念が「美」の概念として、「わびさび」や「幽玄」といった日本的「美」の概念の中に見いだせた。
さらに3章においては、「あいまい」が、が美の概念であることを確認できた。
この「あいまい」という美の概念の存在が確認出来たことで、混沌とする現代の日本人の美意識に対して、新たな一つの方向性が示せたものと考える。
今後は、これまで個人的な感性の違いとして、うやむやにされていた美意識を、現代の日本人の「地域」や「年齢」等による影響を明らかにし、「美しい景観」や、「美しいサイン」の創造のための基礎研究としていきたい。
1-1.はじめに
近年まで、哲学や思想の分野でしか語られなかった「美」への探求が、今日、神経科学、心理学等の科学的なアプローチが試みられている。
何か美しいものを創造し、自分自身や自分を取り囲む廻りの世界を意味あるものにしたいという欲求は、人間の普遍的性質であって、歴史を貫き、あらゆる文化を横断して人類を結びつけている1)と言える。
地域や風土、文化や歴史等によりそれぞれ違った美意識を持つ人類において、「日本人の美意識」を研究することは、日本人の好みに合った都市景観や、サイン計画、それに様々な創作デザインにおける「うつくしいもの」の創造に寄与出来るものと考える。
その基礎的資料として、日本人の美の概念について考察する。
1-2.研究の背景
著者らは既報(2003)2)において、日本の伝統的建築空間を対象とした場合の日本人の美意識が、オズグッド[C.E.Osgood]の言う「評価性(evaluation)」「力量性
(potency)」「活動性(activity)」の3つに集約されず、日本人の特徴的な美の概念である「わびさび」や「幽玄」、「余白を感じる」等の概念は、これら3つとは別の因子として抽出されたことから、日本人の美意識の多様性や特徴を述べた。
本研究の背景には、筆者らの日本人の美意識を究明することで、巷に溢れる決して美しいといえないものを少なくし「うつくしいもの」の創造に寄与したいという意志が存在する。
一般に日本人の美の概念としては、「わびさび」や「幽玄」、「いき」等が知られている3)。
これらは、中世以降に成立したものであり、それ以前の「美」の概念としては、汚れのないものを指して言う「きよし」や清らかなるものを指す「キヨラ(清)」などがあげられる。
一方、西欧の美の概念としては、古代ギリシャからの「比例(proportion)」や「均衡(balanse)」や「調和(harmony)」「対称(symmetry)」などから、ルネッサンスやバロックに至っては、それまで美的対象として省みられなかった自然美に対しての、「崇高(thesublime,dasErhabene)」や、文芸における、「悲壮(dasTragische)」、「滑稽(dasKomische)」、「フモール(注1」等があげられる4)。
そしてさらに、写実主義の風潮に従って、「醜の美学」を主張するものも現れ、「美」の対極の「醜」までもある意味では積極的意義を有するものとされている4)。
このように見てくると、洋の東西を問わず、「美」の概念とは時代とともに変化し、より多様化していることが解る。
さらに21世紀の今日においては、何が「美」で、何が「醜」かの区別さえも難しく、「醜」と思われるものまでを「美」と言ってしまうことに、現代の美の概念の混迷を感じるのである。
1-3.研究の目的
このように混迷した現代の美の概念において、今後の進むべき美の方向性を示すことは、大いに意義のあることと考える。
すなわち、進むべき美の方向性を示すことで、巷に煩雑する決して美しいと言えないデザインを少なくし、「うつくしいもの」の創造に寄与できると考えるからである。
それには、現代の日本人の美意識における、新たな美の概念を見出し、今後のデザインの分野における一つの方向性を示す必要がある。
その新たな美の概念の一つの手がかりとして、ドナルド・キーンの『日本人の美意識5)』がある。
キーンは、日本人の美意識として「暗示または余情」や「いびつさ、ないし不規則性」、「簡潔」、それに「ほろびやすさ」などをあげている。
その中でも、日本人の美意識の特徴として、「暗示・余情」を生じさせる日本語の「あいまい」性を述べている。
ただ彼は、「暗示・余情」を日本人の美意識の特徴的な美の概念としているが、「あいまい」に関しては、「暗示・余情」を生じさせる要素としてしか取り上げていない。
そこで、著者らは、この「あいまい」という概念に注目し、この概念こそ現代日本人の美意識として、デザインの分野における今後の方向性を示すことができる、新たな美の概念であると考える。
この「あいまい」という概念は、我々日本人の国民性や文化面等に多く見られる特徴である6)が、この概念が、過去、美の概念として直接用いられた例は見いだせなかった。
したがって、本研究において「あいまい」という概念が、美の概念として日本人の今後の進むべき美の方向性を示す重要な概念であることを確認し、「うつくしいもの」の創造に寄与することを本研究の目的とする。
1-4.「あいまい」の定義
「あいまい」という概念は、近年の科学技術の分野における、ファジィ(あいまい)理論などに見られるように、大変注目された概念でもある。
そこには“余裕”や“遊び”やといった意味合いが含まれるのであろうが、同じような意味での「あいまい」は、日本人の服飾文化(注2や思想(注3にも見いだせる。
また一方、国際社会において批判的な意味での、日本人の民族性を「あいまい」と表現したり6)、日本人の話す日本語も「あいまい」な言語だと言われている7)。
『広辞苑(第5版)』8)にて「あいまい」の意味を調べると、「確かでないこと。
まぎらわしく、はっきりしないこと。
」とある。
すなわち不明確、不明瞭なもの・ことを指すと考えられる。
この「あいまい」という言葉は、古くは11世紀に見いだせるが(注4、言葉の意味は今日とあまり違わない。
それ以前には『王朝語辞典』9)にも見いだせない。
また『角川古語大辞典第1巻』10)によれば、“漢語”とあり、『大漢語林』11)にて「曖昧(あいまい)」の意味を見てみると、「はっきは、vagueness:
あいまいさ、ambiguity:
多義性、obscurity:
不明瞭とある。
また、このほかに、uncertain:
不確かな、不定の、変わりやすい、ともある17)。
したがって本論では「あいまい」という概念を、「不明確、不明瞭、多義的、不定的、流動的」なもの・ことを指すと定義する。
1-5.日本人の既存の「美」の概念
高階18)によれば、日本語で言う「美しい」という言葉が、今日の我々が使っているような意味を持つようになったのは、おおむね室町時代以降だという。
上代(およそ奈良時代まで)においてはひらがなでの「うつくしい」という言葉が、親しい人への愛情や、小さいもの、可憐なものに対する愛情を表す言葉であり、やがて美的性質一般を意味するものに昇華していったということは、日本人の美意識が、自分より小さいもの、弱いもの、保護してやらなければならないものに対して向けられていた18)といえる。
また、上代の人々は美しいものを「きよし」と呼んでいた18)。
上代の日本人の「美」を表す概念は、クハシ(細)、キヨラ(清)、ウツクシ(細小)、キレイ(清潔)と変化しており、清なるもの、潔なるもの、細かなるものに同調していた
18)と考えられている。
中古(平安時代)には、「みやび」や「をかし」、「なまめかし」等の「美」の概念が成立する。
そして中世(鎌倉・室町時代)には、「わび・さび」や「幽玄」といった「美」の概念が成立する。
近世(江戸時代)には、「いき」等の「美」の概念が成立する。
さらに近代(明治以降)になると、これまでの日本人の「美」の概念と異なる、西欧的な「比例(proportion)」や「調和(harmony)」や「対称(symmetry)」
「均衡(balance)」といった「美」に、多くの人々の目が向けられた。
しかし、逆に欧米人たちによる、日本の「美」の再発見がしたり、他との区別を行うが、そのカテゴリー化には、いくつかのレベルがある。
例えば“学校のいす”も“社長のいす”も“いす”である、というのもカテゴリー化だが、同時に“いす”も“机”も“家具”であるというのもカテゴリー化である。
つまり“学校のいす”は“いす”であり、“いす”は“家具”である、というように、カテゴリー化は階層的につながっている20)。
2.既存の日本的美の概念と「あいまい」
この章においては、「あいまい」が美の概念であることを確認するために、既存の日本的美の概念である「わびさび」や「幽玄」等の概念に「あいまい(不明確、不明瞭、多義的、不定的、流動的)」という概念を見出していく。
2-1.「わびさび」と「あいまい」
室町時代に定着したとされる「わび」、
「さび」であるが、吉岡21)によると、「わび」とは形に残らない主観的なものを言い、心や精神の在り方を指す。
また「さび」は言行における現れ方を規定、客観的で形に残るものとしている。
そしてこの両者は一体化をなしてこそ生成するとしている。
このように「わび」「さび」は別々の意味を持つ、個別の概念であるが、一体化をなしてこそ、この概念の意味が生まれると考え、本論では「わびさび」として扱う。
『広辞苑(第5版)』に「わびさび」の語はなく、「わび」「さび」のそれぞれの意味を見てみると、「わび」とは、飾りやおごりを捨てたひっそりとした枯淡な味わい。
「さび」とは、古びて趣のあること8)とある。
したがって「わびさび」とは、飾りの無い清楚で簡素な古びた趣のことと考えられる。
その意味するところの飾りの無い簡素さは、空白・余白を意味し、それは見るものに無限の美を想像させ「多義的」で「不明確、不明瞭」と言える。
この「多義的、不明確、不明瞭」こそ、すなわち「あいまい」であり、「わびさび」の概念に「あいまい」という概念が見いだせる。
2-2.「幽玄」と「あいまい」
「わびさび」と同時代の室町時代の芸術を貫いていた美の概念に「幽玄」がある。
日本の芸術史の中で「幽玄」は、平安時
みぶただみね
代中期の歌人、壬生忠岑がはじめて提唱し
た理念であった22)。
その後は、和歌における美のテーマとして伝えられ、室町時代になって幅広い芸術観として確立した。
そして、幽玄をもっとも高度に論理化し、自らの芸術の中で実践してみせたのが、室町時代の能の大成者・世阿弥であった22)。
幽玄とは、余情を楽しむ芸術的「美」の概念と言える。
すなわち「幽玄」とは、今、眼の前にある姿・形の美しさだけを楽しむのではなく、そこに隠された姿の意味や美しさを想像することで、感動に深みを与えること22)と言える。
世阿弥の記した『風姿花伝』23)にも「秘する花を知る事。
秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。
」とある。
すなわち「幽玄」とは隠されたもの、秘するものがあってこそ、美を生み出すということが言える。
したがって
「幽玄」という概念には、秘するもの、すなわち「不明確、不明瞭」なものが重要な「美」の要素として存在しているということになる。
このように「幽玄」という概念にも「不明確、不明瞭」すなわち「あいまい」という「美」の概念が見いだせる。
2-3.「いき」と「あいまい」
しじゅうはっちゃひゃくねずみ
日本の色彩文化の中に、「四十八茶百鼠」
24)いう言葉がある。
この言葉からもわかるように、我々日本人は古くから鼠色や茶色を愛してきた。
室町時代には禅などの影響もあり、水墨画では「黒は五色を兼ねる」25)といわれ、黒を薄めた色の濃淡によって微妙な表現を持つ鼠色は、芸術の分野などでの美しい色として認識されていた。
江戸時代も中期以後になると、庶民は赤や紫などの派手な色は禁じられ、茶系統・鼠系統・藍色系統に限られていたので、流行色もその中に限られ
た。
九鬼26)は当時の「いきな色」として、鼠ふかがわねずぎんねずあいねずうるしねずべにかけねず系統では、深川鼠・銀鼠・藍鼠・漆鼠・紅掛鼠
などをあげている。
このように「いき」な色とされる鼠色は、「不明確、不明瞭」「多義的」な感覚をイメージさせる。
したがって「いき」という概念にも「不明確、不明瞭、多義的」すなわち「あいまい」な概念が見いだせる。
2-4.「暗示」と「あいまい」
ドナルド・キーンは、日本人の美の概念として、「暗示、余情」をあげている5)。
この「暗示」は「美」の概念としては、水墨画などでの余白の「美」と言われるものに見られる。
(写真-1参照) 「唯紙上に一物もなき所こそ為し難し(注5」という池大雅の有名な言葉があるが、これは日本の絵画において、余白がいかに重要視され、余白による「暗示」の難しさや、
写真-1
「余白の美」
水墨画:
「枯木鳴鵙図」宮本武蔵作
写真-2 「暗示の空間」
竜安寺石庭
写真-3 「不規則性(左右非対称)」法隆寺配置図・立面図及び鳥瞰写真
写真-4 「不規則性(左右非対称)」
茶室内部(妙喜庵待庵)
その「暗示」による「美」の表し方の困難さを物語っている27)。
このように「暗示」における「不明確・不明瞭」な部分に日本人は「無限の美」を創造してきたと言える。
また暗示の空間で一般に知られているのが、石庭で有名な竜安寺の庭園があげられる。
竜安寺石庭は、大海に散在する島を象徴していると言われている28)。
しかし、はっきりした作者の意図は依然謎のままである。
竜安寺の庭園に関する解釈は、現在まで人により、時代によりさまざまであったが、過去においてそうであったように、現代においても定説というものはない28)。
しかし竜安寺の石庭は常に名園とうたわれ、常に人びとの関心の対象となり、長年人々の心をうち続けてきたのである。
(写真-2)したがって「暗示」にも「不明確、不明瞭」すなわち「あいまい」という「美」の概念が見いだせる。
2-5.「不規則性(左右非対称)」と「あいまい」
日本の伝統的建築は、古来より大陸の影響を強く受け、特に寺院建築においては、初期より左右対称性が強く、金堂、塔、中門が一直線に並んだり、塔を中心にして金堂が左右に配されたりしているが、法隆寺においては、形態の異なる塔と金堂を左右に置き、しかもその均衡を微妙に保つ距離や大きさのバランスの良さで配置されている。
(写真-3)これは大陸にも例が見られず、日本独自のものといわれている29)。
このような左右非対称な配置は、日本を代表そのアンバランスな「不定的・流動的」な感覚、すなわち「あいまい」の中に「美」を見いだしてきたといえる。
このように、左右非対称な「不規則性」にも「不定的・流動的」すなわち「あいまい」という概念が見いだせる。
2-6.「ほろびやすさ」と「あいまい」
日本の伝統的建築は、決して永久的ではない木材で造られ、やがては朽ちてしまう建物を、つねに新陳代謝して、つねに新しく、永遠に生きながらえんとしてきた。
2
0年あるいは21年ごとに同一の形式のまま建て替えられる伊勢神宮の式年御造営はその代表的なものである。
それは常に新陳代謝を繰り返し、滅び、再生を繰り返すのである。
我々日本人は古来より、「ほろび」を見越して建物を建てたのである5)。
また和歌などに見られる、この「ほろびやすさ」という概念は、ドナルド・キーンが、「日本人は、このほろびなくしては、美もあり得ないということを、敏感に意識していた。
5)」というように、日本人の美意識における重要な「美」の概念であり、その意味するところは、普遍的ではなく「流動的」で、すなわち「あいまい」といえる。
このように
「ほろびやすさ」にも「あいまい」という概念が見いだせる。
3.実験-SD法による日本の伝統的
空間における印象評価実験
3-1.実験の目的
ここまで、「わびさび」や「幽玄」「いき」等に、「あいまい」の概念を見出し、「あいまい」が美の概念であることを検討してきたが、この章では、SD法を用いた印象評価実験によって、「あいまい」が美の概念であることを確認し、更に日本人の美意識の究明の基礎資料とすることを目的として、
左上から右下へ
No.1
~No.14
写真-5 評価サンプル
する建築物の桂離宮の配置にもみられるが、神代30)によれば、中世の半ば頃からは一般の住居でも、特に住生活とかかわって、一つの建築、一つの屋根の下に、諸機能を集め合わせる傾向が現れ、外部にむかって本体から一部が突出したり、あるいは本体の片側に折れ違った部分が付加したりして、空間の左右非対称化が始まったとされる。
また茶室にもこの「不規則性」が見いだせる。
茶道における茶室の設えでは、常に重複を避け、部屋の装飾に使う品々は、色彩やデザインが重複しないものが選ばれる。
生花があれば、花の絵は許されない。
丸い釜を用いるのなら、水指は角のものが使われる。
また床の間に花器や香炉を置く場合は、真中に置かない。
これは空間を真半分に分けてしまうからである。
床柱は、部屋の単調を破るため、部屋の他の柱と異なる材種の木を用いる31)。
(写真-4)
白黒はっきりしないなどと批判的でもある
が、一方で東洋的な中庸の思想などから、一部西欧でも見直されている概念である。
このように見てくると、「あいまい」という美の概念は、今後のデザインの分野における、一つの重要なキーワードとなりうるものであると考える。
今後は、これまで個人的な感性の違いとして、うやむやにされていた美意識を、現代の日本人の「地域」や「年齢」、「性別」等による影響を明らかにしていくことで、