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副词の意味记述について

副詞の意味記述について

──方法と実際──

小矢野哲夫

 はじめに

 本稿は,前稿(小矢野1981)に引続いて,国語辞書の言葉の意味記述法を求めるための基礎作業を考えるものである。

前稿では,ごく少数の言葉につき,相互の意味の違いに重点を置いて記述する立場を強調した。

ところが,言葉には,言葉そのものが持つ,他の言葉から自らを区別する意味そのもののほかに,その言葉が実際に文中で使われるときに,他の言葉と共起する統語上の使用条件──これを統語的環境と仮称する──というものがある。

例えば動詞「開く」について,いわゆる自動詞と他動詞の対立が,同じ音形で見られるような場合,それの表す事柄が結果としては「あいて広い状態になる」(『岩波国語辞典』第3版)ことだとしても,無意志動作を表すか意志動作を表すかの違いがあり,この意味上の違いが,無意志動作では「花のつぼみが開く」の如く,必須の格成分として一つの名詞句を支配する一項述語であり,意志動作では「彼は本を開く」の如く,必須の格成分として二つの名詞旬を支配する二項述語である,という在り方で,格支配という統語的環境の違いとして反映している。

副詞の場合も,従来分けられて来た,情態副詞,程度副詞,陳述副詞,時の副詞,場所の副詞,限定副詞,誘導の副詞など,一見意味上の分類の如く見える種別が,実はそれ相応の統語的環境の違いとして類別され得るものだという事実に気付くとき,それの意味記述に際して,統語面と意味面とから,使用条件を明示的に記述するべきだと言わなければならない。

 言葉の使用条件は,勿論この両側面からだけで十分に規定し得るものではなく,文体や位相の違いといった,いわば「周辺」的な条件も必要とあれば記述するべきである。

けれども,本稿では統語・意味両面から,まず大きな条件として言葉の意味を記述する方法を確認しておきたい。

というのは,程度,陳述,時,場所,限定,誘導などの副詞は,意味的にも統語的にも,それに所属し得る語がかなり限定され得るものなのに,品詞のはきだめと言われる副詞において,中でも情態副詞は,上記の副詞に属さないものの集まりだと思えるほど,はきだめのような在り方でしかとらえられていないのではなかろうか。

そのような情態副詞も,意味の違いに応じた統語的環境での共起制限の違いとして,更に明確に区分することができるのではないか,と考えたのである。

 本稿で扱う語彙も,ごく限られたものでしかないが,以下に述べる如き統語的環境での共起の可否といったことを押えることによって,副詞の意味記述がより精密になり,副詞の修飾機能という文法論上の問題の解明の一助ともなるのではないかという期待がある。

 1 統語的環境における共起制限の観点からの意味記述

 副詞が文中で何を修飾するかということを,統語的環境の用語で言い換えれば,次の如き説明ができる。

  情態の副詞は動詞を修飾し,形容詞を修飾しない。

(井上1953p.52)

 これは,統語的環境の最も基本的な場合について言われたものである。

語性としての品詞の観点から共起制限を規定したものである。

ところが,このような統語的環境による規定も,意味の側面からの規定と連続しているために,副詞の修飾機能を巨視的にとらえる場合には,統語・意味両面を兼ねた規定が必要となる。

次の説明がその現れである。

  程度の副詞は,主として性質情態を表はす語(形容詞・形容動詞・情態の副詞。

性質情態の意味を持つ体言)を修飾する。

(同上p.55下点は引用者)

 下点を付した規定が意味の面からのもの,括弧の中の下点部を除いた規定が統語面からのものである。

このような規定を更に抽象化した場合,意味的な側面からの特徴付けが強くなる。

次の説明を参照されたい。

  程度は性質情態の表現から分出し,情態は動作存在の表現から分出するという事情の差が,同じ連用修飾の副用語を二つ(引用者注:

「程度副詞」と「情態副詞」)に分つのである。

(渡辺1957p.85)

  要するに分出の秩序に従って,動作を情態が,情態を程度が修飾し,連用修飾の秩序を作るのである。

(同上p.87)

 以上に見た如く,統語面からの使用条件の規定は,より抽象的な意味の側面からの規定へと高められるという連続性を有する1)が,このような連続性を,言葉の実際の現れかたに即して,いわゆる助動詞の相互承接や終助詞の相互承接といった,顕現する形式との対応関係の在り方において,副詞の使用条件を規定する,というのがこの節の課題である。

 1.1 副詞が共起する述語の種類

 副詞が文中で共起する場合,その文の述語の形式は,いくつかの種類に分け得る。

最も単純で基本的な述語は,「動詞,形容詞(イ形容詞,ナ形容詞),名詞+だ」が終止形言い切りの形で使われる。

続いて,事柄的世界の在り方として,ボイス及びアスペクトの表現としての,助動詞「(ら)れる」「(さ)せる」及び補助動詞「ている」「てしまう」「始める」「おわる」などが,動詞に付いて終止形言い切りの形で使われた表現形式の述語がある2)。

 次いで,事柄的世界に関する話し手のとらえかたについての表現として,「その文で表現されるべきことがらに対する言語主体の認定」(南1974p.163)を表す肯定/否定表現,過去/非過去表現の述語と,「言語主体の態度」(同上p.169)を表す意志表現と推量表現の述語が,副詞の共起制限の条件となる。

 最後に,命令,禁止,許可,及び終助詞で表される聞き手に対する話し手の働き掛けを表す述語との関係が問題となる。

 以上の枠組みは,文末述語の表現形式と言えるものだが,複文中の従属節での副詞の共起制限も考えておくべき条件の一つである。

 1.2 最も単純な述語の場合

 この段階では,「情態の副詞は動詞を修飾し,形容詞を修飾しない」(井上1953 前出)こと,程度の副詞は形容詞と「名詞+だ」を修飾し得ることが,大きな特徴として区別される。

修飾される動詞が意志動作を表すか無意志動作を表すか,あるいは動作を表すか状態を表すか,といった意味の側面は捨象される。

また,名詞が「性質情態の意味を持つ」かどうかも捨象される。

現象として,品詞としての動詞,形容詞,名詞(又はこれに「だ」の付いたもの)を修飾し得るという大枠がとらえられるのである。

 1.3 事柄的世界の在り方との関係

 事柄的世界の在り方を表す表現形式として,前節の,「動詞,形容詞,名詞+だ」が含まれることは言うまでもないが,このほかに,助動詞「(ら)れる」「(さ)せる」,補助動詞「ている」「てしまう」などの形式の付いたものもこれに含まれる。

これらの形式の付いたものは,ボイス,アスペクトなどの用語で規定される。

ボイスとして何を認めるべきかについては議論のあるところで,検討されなければならないが,能動,受動,使役,自発,可能3)などが考えられる。

 例えぱ副詞「わざと」は「太郎は次郎をわざと殴った」の能動文でも「次郎は太郎にわざと殴られた」の受動文でも共起するが,「わざと」の修飾対象は,能動文で「殴る」,受動文で「殴られる」(「なぐる」ではない)であるという解釈が成り立ち4),「わざと」が受動のボイスと共起するという有意味な制限が観察される。

これに対して副詞「力一杯」では,「太郎は次郎を力一杯殴った」「次郎は太郎に力一杯殴られた」の如く,能動文でも受動文でも現れ得るけれども,受動文での「力一杯」の修飾対象は「殴る」ことであって「殴られる」ことではないという解釈が成り立ち,「力一杯」が受動のボイスに現れるのは見せかけの共起でしかなく,無意味な制限であると言える。

 アスペクトについては,起動相,終結相,継続相,進行相,結果状態相などが表されるが,副詞がこれらの諸相と独自に呼応するか,又は見せかけの共起にすぎないかが観察される。

 例えば「やっと」の場合,「太郎はやっと走り始めた」(起動相)では「走り始める」という状態変化の在り方を「やっと」が修飾し,同じ修飾の在り方では「太郎はやっと走っている」(進行相)では共起しない。

後者の「やっと」は状態変化の在り方の修飾ではなく,「走っている」という状態の在り方(又は様態)を,「辛うじて」「息も絶え絶えに」などに言い換え得る意味で修飾していると解釈するのが妥当である。

 事柄的世界の在り方は,具体的な文として統一・完結される以前の構造の中に位箭付け得るものであり,そこにボイスとアスペクトとを典型的に認めるのであるが,助動詞「たい」又は補助形容詞「てほしい」によって表される希望の表現形式と,様態の助動詞「そうだ」,比況の助動詞「ようだ」の付いた表現形式も,事柄的世界の在り方の中に含めてもよさそうである。

そうすると,いわゆる陳述副詞のうち,「まるで」「さながら」「さも」などは,様態,比況の表現形式と共起すると規定される。

希望の表現形式とのみ共起する副詞があるかどうかは問題であるが,「太郎はその試合に是非とも勝ちたかった」の「是非とも」は,事柄的世界の在り方の一つとしての希望と共起していると言えよう。

希望の表現形式は現在形終止用法で,話し手の主観的情意しか表さない点で事柄的世界の表現から外れるという特徴が目立ちはするけれども,この例文の如く,第3人称者の過去の希望を表すことと,助動詞の相互承接の在り方とからすれぱ,事柄的である。

 1.4 言語主体の認定の表現との関係

 1.2~1.3における統語的環境は,具体的な文として発話される以前の,論理的で客観的な表現の構造であるが,この節と次節の表現形式は,既に発話された文と直接的にかかわるものである。

南1974に従って,「言語主体の認定」と「言語主体の態度」という用語で述語表現形式の意味を区別する。

 この節の「言語主体の認定」の表現形式は,肯定表現か否定表現か,過去表現か非過去表現か,に分けられる。

 まず肯定と否定では,肯定表現でしか共起し得ない副詞があり,否定表現でしか共起し得ない副詞がある。

例えば程度副詞で,「さほど」「ちっとも」は否定表現でのみ共起し,「非常に」「きわめて」は肯定表現でのみ共起する。

また,肯定でも否定でも共起する「少し」の如き副詞もある。

意味分野としては程度を表すという共通性を持っている副詞の,現象としてはだれでもが知っているごく当り前の統語面の違いも,程度の規定のしかたの質的な違いとして押えておく必要がある。

なお,「幸いにも」「驚いたことに」などの,評価・注釈を表す副詞は,現象的には肯定文でも否定文でも現れるが,上記の程度副詞に見られるような有意味な共起制限上の特徴とはなり得ない。

 過去か非過去かの対立は,活用を有する表現形式の「タ形」(助動詞「た」の付いた形)と「ル形」(「た」の付いていない形)との対立に対応する。

しかし,現代日本語において,この「タ形」と「ル形」が過去時制と非過去時制とに明瞭に対応するとは言えない。

事柄的世界に近い部分でアスペクトを表すことがあり,言語主体の態度に近づく部分で確認,意志,命令といった意味を帯びることがある。

ここでいう過去と非過去の対立は,ごく常識的な意味で,発話時現在を中心とする,発話時以前に出来事が起きたことを表す過去と,発話時を含み,それ以後に出来事が起きることを表す非過去とに一応限定し,その意味における副詞の共起制限を観察することになる。

すると,時の副詞と称されるもの5)がここで関係する。

 1.5 言語主体の態度の表現との関係

 言語主体の態度の表現は,典型的には,意志の助動詞又は推量の助動詞の付いた形式として現れる。

この表現形式において,陳述副詞の中の「必ず」「是非」「きっと」又は「恐らく」「多分」「さぞ」などが有意味な共起制限を持つ。

もっとも,意志の表現は,意志の助動詞を付けず,「僕は明日東京へ行く」の如く,第1人称者を動作者格とする意志動詞を現在形で言い切れば表し得る。

推量の表現も,推量の助動詞を付けずに,「明日は雨が降る」「太郎は明日学校へ来るよ」の如く,述べられている事態の起きる蓋然性が高いと話し手が思っている場合に現在形で言い切れば表し得る。

このような場合にも上記の「必ず」「きっと」などが共起し得るが,述語が現在形である(非過去を表す)ことと,その文が実際に非過去を表しているか意志や推量を表しているかとは区別する。

 1.6 聞き手に対する働き掛けの表現との関係

 聞き手に対する働き掛けには,命令,禁止,許可,勧誘,疑問,念押しなどがある。

疑問の終助詞「か」と直接関係する副詞として「なぜ」「どうして」などがあるが,終助詞「か」との呼応の点からは,疑問代名詞と言われる「いつ」「どこ」「だれ」「なに」なども意味的な語類としてまとめ得よう。

命令,禁止,許可など,疑問以外の,聞き手に対する働き掛けの表現形式と積極的で有意味な共起関係を有する副詞は見付け難いが,これらの表現形式と共起し得ない,あるいは共起し難い副詞はある。

評価・注釈の副詞はこの統語的環境で共起し得ないし,無意志的な情態を表す副詞も共起しないだろう。

程度を表す副詞の中にも共起し難いものがある。

このような点からも副詞の意味の性格付けができる。

 1.7 複文の従属節における副詞の共起

 南1974は,複文の従属節を,それの述語的部分の要素と述語的部分以外の要素の共起の在り方に基づいて,三つの種類に分けている。

この三つの種類は,「~ナガラ(継続)」「~ツツ」など,事柄的世界に近いもの,「~ガ」「~カラ」「~ケレド」など,陳述的側面の強いもの,「~ト」「~ナガラ(逆接)」「~ノデ」「~ノニ」「~バ」「~タラ」「~ナラ」「~テモ」など,両者の中間に位置するものという関係にある。

これらの従属節において副詞が共起し得るか否かという制限6)も,副詞の意味記述にとって有意味な場合がある。

陳述副詞の「もし」「たとえ」などは条件を表す従属節でしか共起し得ないという特徴的な性格を持っている。

 1.8 統語的環境の中で共起制限を考える意義と間題点

 以上のような統語的環境の設定のしかたには,まだ解明されるべき問題が残されていよう。

しかし,日本語文法論において陳述論争を中心に展開され,収約された成果を,言語表現の重層性あるいは詞辞連続説の立場において,筆者なりにとらえて,それを副詞の意味記述に活用する方法を考えようとしているのである。

この環境の設定は,文の種類のとらえかたともかかわる。

文の種類_は,構造の観点,性質の観点,形態と意味の観点などから分けられる。

本稿は,助動詞の相互承接,終助詞の相互承接の在り方を参考にして前述のような環境を設けたが,文末の表現形式はここで取り上げたもののほかに,「なければならない」「ざるを得ない」「べきだ」「のだ」「わけだ」「ものだ」「かもしれない」「に違いない」「はずだ」「そうだ(伝聞)」「ほうがいい」などの,助動詞及び助動詞相当のものもあり,これらと副詞との共起関係も,考えなければならない場合が,あるいはあるかもしれない7)。

しかし,筆者の理解は,これらをも含めた全体としての言語表現の位置付け8)ができていないので,今後の課題として残されている。

 2 ある意味分野を構成する副詞の小さな語彙体系における意味記述

 すべて語は語彙の構成員として位置を占める。

語彙は語性の違いとして品詞という下位類を含む。

また語彙は,意味的共通性を持つ意味分野の語類に分けることもでき,それらの語彙は意味の体系性の中で互いに位置付けられている。

語彙はまた,その出自によって和語,漢語,外来語などに,位相によって専門語,俗語,文章語,女性語などに分けらる。

 語彙を意味の体系として分類したものに,国立国語研究所『分類語彙表』があり,大野晋・浜西正人『類語新辞典』がある。

『分類語彙表』は語性によってさらに「体の類」「用の類」「相の類」「その他」と分けている。

 本稿でこれから問題にする副詞は,その「相の類」に属する。

この中から一つの意味分野に属する語彙として更に小さい語彙体系を成しているものを取り出して,意味記述を試みたい。

問題にするのは『分類語彙表』の「3.3精神および行為」「3.300 意識・感覚」のうち「無意識」から「さりげない」までの語である。

意味的に共通していることがそのまま前述の統語的環境での共起制限を同じくするのでないことは言うまでもないが,例えば副詞の意味記

述において,ある語を他の語から区別する場合,直観的にそれと指摘できる意味的な違いを,統語的環境の共起制限の違いとして,より明示的に示すことが大切である。

前述の統語的環境が副詞の意味記述において,どれだけ有効であるかを検討するためにも,差し当たって,意味の類似した語彙を選んで当てはめてみようと思うのである。

 意味の類似性に基づく語彙体系の構築は,人によって異なり得る。

筆者が当初拠っていた『分類語彙表』の,記述の対象とする語彙は次のようなものであった。

(○印と△印は,大野・浜西『類語新辞典』での所属関係との対比の便宜上,筆者が付した)

  3.300意識・感覚

  (略)

  ○無意識 ○無念無想 △無関心 △無頓着 △超然 △虚心坦懐 ○不用意 ○おほえず ○思わず ○我知らず ○知らず知らず ○我ながら ○うっかり ○うかうか ○ふと △何気ない △さりげない

  (略)

 一方『類語新辞典』は次の如く分類している。

(当該語だけ記す)

  64 態度

  643 執勘──粘り強くいつまでもこだわっているさま

   a〔淡淡──物事にこだわらないさま〕

  △然り気ない △何気ない △無関心 △無頓着 △虚心坦懐 △超然

   b〔意識的・無意識的──知っていながらするさま・気付かないでするさま〕

  ○思わず ○覚えず ○知らず識らず ○我知らず ○我乍ら ○無意識的 ○うっかり ○うかうか ○不図(ふと,ふっと) ○不用意 ○無念無想

 また,辞典等で次のようなものに類義関係が認められている。

  徳川宗賢・宮島達夫『類義語新辞典』

  無意識に ぼんやり(して) うっかり つい 思わず

  森田1977

  つい うっかり 思わず しらずしらず

  ごいしろう1980

  うっかり つい おもわず

 このように見てくると,○印の語と△印の語とは,意味的には最初から区別したほうがいいのかもしれない。

つまり,対比してもあまり意味がないのかもしれない。

しかし,そのことを確認するのも意味があろうし,例えば外国人に日本語を教える場合に,学習者の使用している辞書の記述との関係で説明しなければならないこともあると思われる。

次の記述を参照されたい。

  na「nige-na」ku 何気なくa.(ad.)〔何心なく〕unintentionally;withoutintendingtodoso;〔ふと〕casualy;accidenta1ly;byaccident;〔不注意に〕care1essly;inadvertently;〔うっかり〕unguarded1y;〔さりげなく〕asifnothinghadhappened;unconcernedly;〔無邪気に〕innocently.¶~言ったことacasualremark;aninadvertentremark.¶~したことanunintentionalaction.¶~時計を見るglancecasuallyatone'swatch.

 ¶~言ったことから友人同士仲たがいすることもある.Afewlightwordssometimesestrangetheclosestfriends.¶~店に入ってみた.Chancedirectedmeintotheshop.(『研究社新和英大辞典』第4版)

 すなわち,外国人の日本語学習者がこの辞書だけに拠って「何気なく」の意味を覚えたと仮定すると,誤った文を作り出す可能性がある。

類義語として出されている「不注意に」「うっかり」「無邪気に」「さりげなく」については,用法上の制限を説明しておく必要があろう。

実際,「何気なく」を使った短文を作らせてみると,次のような文が出て来る。

 1 彼はどこか旅行することを説明する時に地図を広げで,何気なく机の上にインキをこぼしました。

 2 好奇心にかられてあの老人は何気なくすき間から覗きました。

 3 お金が少しいだけ残ったですが,私はその本を買いに,なにげなく財布を出した。

 1は「うっかり」,2は「さりげなく」,3は「さりげなく」「それとなく」がふさわしい文脈であろう。

このような意味の違いは,類義語間の,細かい意味の違いとして区別しておく必要がある。

 前記の○印△印の語のうち,実際に検討するのは,集めた用例の制約から,「何気なく」「さりげなく」「つい」「うっかり」「思わず」「ふと」だけに限定する。

 2.1 統語的環境における共起制限の検討

 1に示した統語的環境で,「何気なく」から「ふと」までの副詞の示す共起制限を観察した結果,「何気なく」「さりげなく」のグループと,他の「つい」「うっかり」「思わず」「ふと」のグループとの間に特徴的な相違が見られた。

 「何気なく」と「さりげなく」は,動詞を修飾して,形容詞及び「名詞+だ」を修飾しない。

他の統語的環境ではどれにでも現れ得る9)。

「現れ得る」というのは,指定された環境の要素との間に,例えば「何気なく──らしい」の如き積極的な呼応のあることを指して言うのではなく,「何気なく+動詞」という事柄的まとまりに「らしい」が付いた形の中で現れる,言い換えれば,埋め込まれた最も基本的な補文の修飾成分として共起していることを指している。

つまり,「何気なく」「さりげなく」は,事柄的世界において,事柄の情態を修飾するのである。

 他方,「つい」などは,可能のボイス,希望,意志,許可,勧誘という環境で共起しない。

可能と共起しないのは,可能が評価の点で良い意味を持つのに対して,「つい」などがそのような意味を持たないためであろう。

意志,許可,勧誘などと共起しないのは,「つい」などが実現した事態に関して使われ,無意志的な動作の在り方を表すのに対して,意志,許可,勧誘などが,実現していない事態に対する話し手の態度を表し,または聞き手に対する意志的な働き錨けを表すために,意味上の衝突が起きるのだろう。

希望に関しては,実現していない事態であり,状態を表す点でこれらの副詞と共起しないのだろう。

細部にわたって観察すれば,更に相違が見られるけれども,この段階では,二つのグループの間に,統語的環境における共起制限上の顕著な相違があることを確認しておく。

以下,それぞれのグループに分けて述べる。

 2.2 副詞と述語との意味的な結び付き

 新川1979は,副詞と動詞との間に結ばれる修飾──被修節の関係を,「規定的なむすびつき」と「状況的なむすびつき」の2種に分け,更に,「規定的なむすびつき」を「質規定的/結果規定的/量規定的/方法規定的なむすびつき」の4類に,「状況的なむすびつき」を「空間的/時間的なむすびつき,原因/目的のむすびつき」の4類に,分類している。

この分類は,意味関係の在り方から行われたと考えられるが,本稿の立場からすると,統語的環境における共起制限の観点から分けるべきものも含まれている。

また,原因と目的の結び付きに関しては説得力に欠ける点がある。

しかしながら,副詞と動詞の修飾──被修飾の関係を意味の上から抽象化していく観点は,意味分野を同じくする副詞語彙の枠付けに根拠を与えるものである。

 副詞と述語との意味的な結び付き,特に事柄的世界の在り方を表す副詞と動詞との関係を考える場合に注意を要することがある。

動詞の語彙的意味を中心に考える視点と副詞の語彙的意味を中心に考える視点を区別することである。

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