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8落合俊典金刚寺一切経の系谱论的考察

金剛寺一切経の系譜論的考察

落合俊典OchiaiToshinori

日本國際佛教學大學院大學教授

日本の奈良時代(8世紀)から鎌倉時代(13世紀)にかけて書写された古写経は文化財的調査が進展した割には文献学的価値の重要性について論じられることは少なかった。

しかし、1990年に平安時代後期(12世紀)に書写された七寺一切経中から中国南北朝時代に成立したと想定される古逸経典が発見されたことを契機に見直し研究が進んできた。

七寺古逸経典研究叢書全6巻は一切経(大蔵経)に入蔵されていない疑経類の経典が中心となって編纂されたものだが、その後調査が行われた金剛寺一切経からは、古逸の経典とされていた安世高訳『十二門経』に始まり、現行本と異なるテキストが相当数発見されるに至った。

中でも特筆すべきものは『首楞厳経』や『賢愚経』であろう。

前者は林敏氏の研究によれば現行本に先行する経典であり、その後改訂が行われたと論じている。

また後者は三宅徹誠氏の研究に依れば現行本(高麗・宋版等)と巻別の品次を大幅に異にしていることが判明し、それらは唐代長安仏教のテキストを忠実に反映していると考えられている。

本稿では金剛寺一切経がどの系統の一切経を底本として書写されたのか考察してみたい。

これは畢竟、日本の古写経が東アジア仏教の展開の中で文献学的に重要な位置にあることを論じることになるであろう。

1.金剛寺一切経の特殊性

金剛寺一切経から発見された後漢安世高訳『安般守意経』と『十二門経』はまさに驚愕すべきものである。

『安般守意経』は現行本が存するが、その現行本は後人の細注が混入して区分し難い本文となったものである。

これに反して金剛寺一切経本は経典本文からなる純粋の翻訳経典である。

しかもその本文は現行本と相似しつつも異なる文章を有している。

経録の教えるところに依ると『大安般経』と『小安般経』が存したという。

金剛寺一切経本がどちらであるかは俄に判断し難いが、現行本から作為的にこの本文を作成することが出来ない構成になっており明らかに失われた安世高訳経典である。

また『十二門経』は初期中国仏教における釈迦信仰の重要な典拠とされた経典である。

それは『太子瑞応本起経』に記された釈迦の悟りへの道が十二門(禅)に依るとの経証から重視されたのである。

『奉法要』に引用された本文と同文が見られることからこれも安世高訳と言われた経典であることが判明する。

これら古逸の経典が日本で発見されたことは実に信じがたいことである。

何故ならば隋の仁寿二年(602)の『仁寿録』には闕本とされていたからである。

日中仏教交流が開始されてからまだ50年足らずの時代に早中国から伝来したのであろうか。

六世紀中葉の仏教公伝を信じるとしてもその当時の六朝時代で『十二門経』が隆盛していた史実はない。

むしろ難解な小乗の経典として忘れ去られようとしていたのである。

そのような中国でも稀な書となっていたものが日本に伝来した事実は大きい。

恐らく『安般守意経』の名の下にあった経典が内容の吟味もされずに誤って書写され続けた結果日本に残ったのであろうが、このことから中国における一切経の諸相が垣間見られることにもなるのである。

唐長安の権威ある一切経の写しでない、地方もしくは伝承を異にした写経が流布し伝来したと想定することが可能である。

これらの種々相を有していることが日本の古写経群を豊かな資料とすることになる。

さらに金剛寺一切経中に紛れ混んだ稀覯本に南北朝時代成立と想定される『優婆塞五戒法』がある。

本文に錯簡があると思われるが、内容は十誦律に基づく戒律の次第書(羯磨)である。

この珍しい書は、経典名の類似する『優婆塞五戒威儀経』『優婆塞五戒相経』などと誤認して書写されたのだろうが、このような誤りは日本で惹起したと考えられる。

2.想定外の内容を有する日本古写経

金剛寺一切経の調査にあたっては、従来の歴史学的文化財的方法に欠如していた本文同定作業を中心に置いて研究調査を行った。

そのために『大正蔵』2セット、仏書解説大辞典3セット等の参考辞書類を豊富に準備し、且つ亦高機能デジタルカメラによる撮影機器3台に2テラバイトのストレージを有するPCと、検索を行なうPC数台を設置して研究を進めた。

平成12年(2000)より開始したが、当初は最高級のデジタルカメラでも300万画素程度であったが、IT革命の進展によって急速に高機能化し作業が捗ることになった。

これらのIT化に助けられて研究は順調に推移し、従来は断簡の同定作業に多大な時間を取られていたのが容易になった。

そのために大正蔵等の文献資料との比較同定作業に向かう時間を大幅に取ることが出来るようになったのである。

その結果従来全く異本等の指摘が無かった経典にも本文内容を異にする経巻が続出し、研究スタッフを驚かせたのである。

『首楞厳経』全十巻の日本新出本の発見は、断簡一紙から始まった。

通常、CBETAに依る検索に該当しない本文は章疏か聖教であるが、明らかに経典の形式を取っているものは必ずや経典の異本か別本である。

それは慎重に検討しなければならない。

筆者は、その研究を院生の林敏君に委任することにした。

金剛寺一切経の調査には毎月行っていたが、毎月新たな写本が出てきてどうやらこの写本は氷山の一角に過ぎないのではないだろうかという想念が浮かび上がってきた。

やがて原本『首楞厳経』が発見されたのである。

断簡はこの原本が有していた本文の別行本であった。

唐代に成立した『首楞厳経』は、宋代の長水沙門子璿(965~1038)の注釈書以来大いに盛行するようになったものであるが、これには敦煌本も多く存し研究書も相当数見られる。

だが、原本の存在を指摘した文献は皆無に近い。

この金剛寺本『首楞厳経』と同系統の写本は他の古写経中にも見られる。

まさに日本の古写経が有している唐代仏教に近接していた証左と言えるであろう。

一般に、日本の古写経中から新出本が出てくると一部の研究者から必ず日本撰述説が言われるが、日本撰述経典(疑経)の生硬な漢語表現などの傾向から見て大半の文献は容易に可否が判断できるのである。

3.金剛寺一切経の藍本

先に、金剛寺一切経の報告書について述べたが、その中で「金剛寺一切経・大正蔵対照表」(第2分冊669頁~714頁)を掲載した。

これは先述した通り、従来の日本の一切経調査では実施されなかった調査項目である。

勿論金剛寺一切経の本文と大正蔵の当該経典を比較対照すると言っても厳密なものではない。

経題の比較から訳者名の比較に及び、ついで巻数ごとに巻首の十行前後と巻尾の十行ほどを比較する単純な作業である。

そのため中間の部分が大幅に相違していた場合には見逃すことになる。

しかし、一巻ずつは比較的容易な検討作業であるが、4,500巻あまりの経巻を整理しつつ法量を録り、デジタル撮影を行うのは大変な労力である。

毎回15名前後のスタッフが年間25日の調査を7年間続けた。

1人の研究者が続けた場合に換算すると2,625日になる。

まさに7年を要することになる。

さて、金剛寺一切経の報告書の対照表を見ていこう。

『首楞厳経』は『貞元録』入蔵録では502番である。

全体の現存状況を把握しておくと『日本現存八種一切経対照目録』によれば聖語蔵に当該経典はなく、金剛寺にも1巻から3巻まで現存していない。

七寺一切経は一点も現存しないが、幸い石山寺と興聖寺は全巻揃っている。

西方寺は飛び飛びに5巻、松尾社は7巻分が残っている。

つまり金剛寺の対照表では4巻から10巻までが扱われているのである。

それは、次のように記されている。

(貞元録番号-巻数)(大正蔵巻数-該当頁)

502-04第19巻119c0~124b0

502-05第19巻124b0~128b0

502-06第19巻128b0~132c0

502-07a第19巻133a0~137a25

備考:

尾欠。

大正蔵と一致せず。

137a25以降は大正蔵と異なる。

502-07b 備考:

大正蔵と異なる。

502-08第19巻138a26~146a0

備考:

139b~141b欠。

大正蔵本と調巻異なる。

502-09第19巻146a19~151b0

502-10第19巻151b0~155b0

(*数字の一部不要な零は削除して表記した)

この簡略な説明だけで金剛寺本『首楞厳経』が現行本と相違していることが推定できるのである。

それが単なる誤写なり錯簡という場合も時折あるが、何と言っても「大正蔵と一致せず」という表現は強烈であろう。

「~以降は大正蔵と異なる」とまで書かれたら調べない訳にはいかない。

だが、これは難路を徒歩で行くような困難を生じるのである。

便利な大正蔵検索ツールが存在しなかった時代は経典の断簡の同定作業は難渋を極めたが、今日の便利な時代では逆に検索に引っかからないと天を仰ぐ状態になる。

そうすると先人の行った大正蔵の索引篇を一冊一冊調べ、CBETAに収録されていない参考文献を渉猟することになる。

が、しかしこの『首楞厳経』のケースは全く想像を絶していた。

どのような方法を用いても検索出来ないでいた。

そこで腰を据えて翻刻作業を地道に行うようにしていったのである。

林敏君の翻刻作業は非常に大変だったと思われるが、良く困難に耐えて全体が鳥瞰できる段階までに至り、ほぼ解明することが出来たと考えられる。

そして調査の結果、日本の多くの古写経本は皆金剛寺本と同様の形態を有している写本ということになった。

このような本文を有する『首楞厳経』は敦煌本に全く見られない。

このことも含めると本経成立の最初期に唐から奈良朝の日本に伝来したものと考えてよいであろう。

『首楞厳経』研究史においては実に画期的な発見であり、勝れた研究である。

唐代の盛唐期に相当する奈良時代(710~784)の求法僧は、長安仏教のテキストを熱心に求め、危険を冒してまで波濤を乗り越えて渡海したのであった。

そのような時代の奈良写経は現存するものは少ない。

とはいえ2千巻ほどになろうか。

ところが一切経(大蔵経)の五千巻と比較すると過半にも満たない。

その欠を補うのが平安鎌倉写経本である。

           *           *

次には『賢愚経』を見ていこう。

これは『貞元録』入蔵録では1103番である。

前項に続き全体の現存状況を把握しておくと『日本現存八種一切経対照目録』によれば聖語蔵に当該経典はなく、一方金剛寺には5巻と11巻から17巻までの7巻、計8巻が現存している。

七寺一切経は1巻から17巻までの内、10巻だけが無い。

石山寺と興聖寺は全巻揃っている。

西方寺は飛び飛びに8巻、新宮寺は同じく7巻、松尾社は

3.巻と4巻だけが残っている。

(貞元録番号-巻数)(大正蔵巻数-該当頁)

1103-05  第4巻380a0~385b4

備考:

大正蔵本と調巻異なる。

1103-11  第4巻410a9~415b7

備考:

+402c1~404b16。

大正蔵本と調巻異なる。

1103-12  第4巻404b21~409c1

備考:

首欠。

大正蔵本と調巻異なる。

1103-13第4巻370c22~371c26

備考:

+427c28~432b12。

大正蔵本と調巻異なる。

1103-14 第4巻423b1~427c27

備考:

中間欠(427c14~17)。

大正蔵本と調巻異なる。

1103-15第4巻439c3~443c24

備考:

首欠。

大正蔵本と調巻異なる。

1103-16第4巻393a3~393c1

備考:

首欠。

+443c25~445a6、+390b15~392c24、+397a24~398a12

大正蔵本と調巻異なる。

1103-17第4巻393c1~397a23

備考:

大正蔵本と調巻異なる。

(*数字の一部不要な零は削除して表記した)

この『賢愚経』の異同は尋常ではない。

しかし、本文には殆ど異同がないので凡そ調巻の相違と錯簡による混入が想定されたが、実際に一点ずつ調べていくと調巻だけではなく各品の順次が相違していることに気が付いたのである。

これは改編もしくは編集が行われたことを物語っている。

そこで七寺一切経本、興聖寺一切経本、西方寺一切経本などの撮影画像を幅広く蒐集し、丹念に比較検討していった。

これらの作業には興津香織(院生)と三宅徹誠(国際仏教学大学院大学附置国際仏教学研究所非常勤研究員)が従事した。

その結果、確認された日本の古写経本はすべて17巻本であり、さらに品数の順次も一致していることが分かった。

この事実もここ数年で始めて判明したことであり、『賢愚経』研究史上画期的な発見と言えるであろう。

また『賢愚経』の成立を考える上でも極めて重要な写本群の出現と言えるものである。

これだけ各品の順次が相違しているのは何らかの事由があってのことと推定される。

その解明は研究者の当然の仕事であるが、先ずは諸本比較の上に厳密な校訂本を作成する必要があるだろう。

そうして始めて未知であった日本古写経本『賢愚経』が日の目を見るのである。

日本の古写経本が日本で編集されたもので無い証左として敦煌のペリオ本が挙げられる。

これらは赤尾栄慶氏によれば6~7世紀の写本とのことである。

巻数と品順が一致する。

そうしてみると平安時代後期ならびに鎌倉時代に書写されたこれら『賢愚経』は、どれもみな奈良写経の転写本と見なすことは殆ど誤りがないと考えられる。

奈良写経の淵源は言うまでも無いことだが、唐仏教のテキストを底本としているケースが多い。

この中には朝鮮半島からの伝来本も十分想定されるが、より正統な写本を求めた日本の学僧の傾向からすると新羅等からの将来本は傍流へと追いやられたのではないだろうか。

4.小結と展望

金剛寺一切経4,500巻余の内、僅か2部のみにて金剛寺一切経の藍本を探ろうとすることは過度の冒険であるとの叱責を受けるに相違ないが、これは分かり易く新出本とされる代表的な2部を挙げたのであって、他の多くの経巻も大なり小なり奈良写経の転写本に近接している。

大正蔵の脚注に見られる聖語蔵の調巻および校勘と比較してみても、高麗版や宋元明版などとの確率が4割前後であるのに比して八割前後の確率で一致することからも容易に判断できるであろう。

報告書作成までにはこれら全ての校勘比較表を掲載できるよう準備していたが、未完成になったことは少しく悔やまれる。

しかし、2009年度中に金剛寺一切経のデジタルアーカイブが完成し研究者に公開されることになる予定である。

こちらのほうはほぼ完成したと言っても過言ではない。

そうすれば個々の経典に関心ある研究者および一般の人が日本の古写経をパソコン画面を通して見ることが出来るようになる。

また国際仏教学大学院大学へ請求すれば他の書籍と同様のコピーサービスもあり、当該経典のコピーを取り寄せることも可能となるのである。

そのような状態になって始めて日本の古写経が盛唐の長安仏教テキストを反映した良質の文献資料であることが是認されるに違いないと確信している。

(了)

 

参考資料1-1:

『日本現存八種一切経対照目録』124頁

参考資料1-2:

『金剛寺一切経の総合的研究と金剛寺聖教の基礎的研究』第2分冊695頁

参考資料2-1:

『日本現存八種一切経対照目録』270頁

参考資料2-2:

『金剛寺一切経の総合的研究と金剛寺聖教の基礎的研究』第2分冊674頁

参考資料2-3:

三宅徹誠作成「日本古写経本・宋元明版・蔵訳本・高麗蔵本の比較」(『仏教文献と文学』46頁~50頁。

国際仏教学大学院大学学術フロンティア実行委員会。

2008年9月)

 

 

 

 

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