日本文学译文鸟心.docx
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日本文学译文鸟心
舞姫(現代語訳) 森鷗外
石炭は積み終わったようだ。
二等室の机のあたりはひっそりと静まりかえっているのだが、アーク灯だけは無意味に光を放ち続けていた。
今宵は毎夜ここに集まるトランプ仲間も皆、ホテルに泊まっている。
船に残っているのは私だけだ。
5年前、かねてからの望みがかない、洋行の官命を授かり、このサイゴン(ベトナムの都市)に来たときは、見るもの聞くものひとつとして新しくないものはなく、筆に任せて書きつづった紀行文は膨大な量にのぼった。
当時の新聞にも掲載され、世間ではもてはやされたが、今になって思えば、未熟な思想、身の程を知らない発言、さらには一般的な動植物や風俗などをさも珍しげに記していたその文を、見識のある人はどう思っただろうか。
今回の帰郷の旅では日記をしようと思って買った冊子はまだ白紙のままである。
それはドイツで物を学んでいた間に一種のニル・アドミラリー(「nil-admirari(ラテン)」何事にも感動しないこと)の精神に至ったからであろうか。
いや違う。
それには別に理由がある。
東へと帰る今の私は、西へと旅立つ昔の私とは違う。
学問はいまだに飽きたらぬ所は多いが世の中の浮き節というものを知った。
他人の心は頼りにならないことはいうまでなく、自分の心でさえ変わりやすいということを知った。
昨日では正しいと思ったことが今日では間違いであるという瞬間を、筆に記して誰かに見せられようか。
これがいまだ日記に手の伸びない理由である。
違う。
それには他の理由があるのである。
ああ、イタリアの港、ブリンジーシー「Brindisi」を出発してから早くも20日を過ぎた。
普通ならば初対面の客に対しても親交を結び旅の疲れを慰め合うのが航海中の習いであるのだが、軽い病気といって部屋にこもっている。
同行の人々と口をきくことの少ないのは、人の知らぬ恨みに頭を悩ましているからである。
この恨みは初めて一片の雲のように私の心をかすめて、スイスの山を私に見せず、イタリアの遺跡をも心には届かなかった。
中頃には世の中を嫌い、自分ははかなんで、腸(はらわた)日ごとに九回す(悩みが甚だしいさま)ともいうべき痛みを私に負わせた。
今ではそれは心の奥底に凝り固まって一点の影となったが、本を読んだり物を見ていると、鏡に映る影、声を応じる響きのように、限りなく懐かしく思い出されて、何度となく私の心を苦しめている。
ああ、どうやったらこの気持ちを忘れることができるのだろうか。
これが他の恨みであるなら、詩を読んだり歌を詠んでるうちに気が晴れたであろう。
しかしこれだけは私の心に深く彫り付けられているので、そのようにはらすことができないだろうと思うが、今夜は周りに人はいない。
ボーイがきて電機線の鍵を閉めるにはまだ時間があるのでその概略を文章で綴ってみようと思う。
私は幼い頃から厳しい家庭教育を受けた。
父は幼い頃に失ったが、学問の荒れ衰えることなく、旧藩の学館で学んでいたときも、東京にでてきて東京大学の予科に通っていたときも、東大法学部に入った後も、太田豊太郎という名前はいつも一級の首席に記されていた。
このことは一人の子の私を心の支えにして世を渡っている母の心を慰めていただろう。
19歳には学士の称を受けて、「大学創立以来の名誉である」と人にも言われ、某省に出仕して、故郷にいる母を東京に呼び迎え、楽しい時を過ごしたのは3年ほどであった。
上司である官長の覚えも特別で、「洋行して一課の事務を取り調べよ」との命を受け、「我が名を知らしめるのも、我が家を興すのも今だ」と思う気持ちが沸々と湧き出て、50を超えた母と別れることもそれほど悲しいことだとは思わず、はるばる家を離れてベルリンの都へやってきた。
自分ははっきりしない功名の気持ちと自己を制することになれた勉強力を持って、今、このヨーロッパの新大都の中央に立っている。
いかなる光彩か私の目を射るものは、いかなる光沢か私の心を惑わすものは、「菩提樹下」を訳すので、幽静な場所だと思っていたが、この大通りが直線に続く「ウンテル・デン・リンデン」『UnterdenLinden』に来てみると、両端の石畳の歩道を行く、女性たち、まだヴエルヘルム1世が街に臨む宮殿の窓に寄りかかるころだったから、胸張り肩のそびえ、様々な色に飾った礼装に身を包んだ士官。
パリ風の化粧をした顔立ちの良い少女。
あれもこれも目を驚かさないものはいない。
車道のアスファルトの上を音も立てずに走る様々な馬車。
雲にそびえる建物の少しとぎれたところには、晴れた空に夕立の音を聞かせる噴水の水。
遠くを望めばブランデンブルク門を隔てて緑樹が枝を差し交わす中から、半天に浮かび出る凱旋塔に神女の像。
この多数の景物が目と鼻の先の間に集まっているので、初めてここに来た物が眺め尽くせないのももっともなことである。
だが私はいかなる場所に来てもはかない美観には心を動かすまいという考えがあったので、常に私を襲うこれらの外物を遮っていた。
呼び鈴のひもを鳴らして謁を通じる。
公の紹介状を出して東方の日本から来た目的を告げると、プロシアの官吏は、皆快く私を迎え入れてくれた。
大使館からの手続きさえ無事に済んだなら、どんなことでもお教えし、伝えましょう。
と約束を交わした。
喜ばしきことは、自分の故郷で、ドイツ、フランス語を学んでいたことであった。
彼らは初めて私に会ったとき、どこでいつの間に学んだのか、と訊かれないことはなかった。
さて、官事の暇があるごとに、事前に公の許可を取っていたので、当地の大学に入って政治学を修めようと、名前を名簿に記入した。
ひと月ふた月過ぎた頃、公の打ち合わせも済んで、取り調べも次第にはかどるようになったので、急用には報告書を作って送り、そうではないものは写しとどめておき、それはついには幾巻にかなった。
大学の方では、幼い心が思いつくような、政治家になるための特科があるはずもなく、これかそれかと迷いながらも、2、3の法律家の講義に出席することを決めて、謝金を納め、授業に参加した。
こうして3年間が夢のように過ぎていったが、時が来ると、包んでも包みきれないのは人の本性である。
私は父の遺言を守り、母の教えに従って、人が神童だと褒めることのうれしさに怠けることなく学んでいたときから、官長に良い人材を得たと励まされた頃まで、自分のことをただ、受動的、機械的な人間だと思ってきたが、今25歳になってすでに永いことこの自由な大学の風に当たってきて心の中は何となく穏やかでなく、心の奥底に潜んでいた本当の自分がだんだん表に現れてきた。
これは昨日までの自分でない自分を攻めているのと似ている。
私は自分が今の世に活躍する政治家になるのも望まない。
また、よく法典を暗記して判決を下す法律家になるのもふさわしくはないと感じた。
私は密かに思うのだが、母は自分を生きた辞書にしようとし、官長は生きた法律としようとしていたのではないだろうか。
辞書になるにはまだ我慢ができるが、法律になるのは我慢ができない。
今までは些細な問題でも、きわめて丁寧に答えていた私が、このころから官長の寄せる文に対しては法律の細目にこだわる必要はないと論じて、一度法の精神を学んだなら、些細な万事は破竹のごとく解決できます。
と広言した。
また大学では法律の講義は外にやり、歴史文学に興味を持ち最近ようやく佳境に入ってきた。
もともと私の官長は意のままに用いる器械を作ろうとしていた。
独自の思想を持って、人並みならない面もちをした男をどうして喜ぶだろうか。
危ういのは私のその頃の地位であった。
しかしそれだけではまだ私の地位を覆すには足りないでいた。
日頃、ベルリンの留学生の中にある勢力あるグループと私の間におもしろくない関係が生じて、これらの人びとはまず私を疑いの目で見て、後ろには捏造され貶(おとし)められた。
しかしこれも理由のないことではない。
これらの人々は私がビールのジョッキを挙げず、ビリアードのキューも取らないのを、頑固な男だ、自制心の強い男だとそれぞれ理由をつけ、ある者は軽蔑し、ある者は嫉妬した。
しかしそれは私を知らないからだ。
ああ、この理由は私自身でさえ分からないというのに、どうして他人に分かるのだろうか。
私の心は合歓(ねむ)の木の葉に似て、物に触ると縮んで避けようとする。
私の心は処女に似ている。
私は幼い頃から年長者の言いつけを守り、学びの道を選んだのも、仕える道を選んだのも、すべて勇気があってよく励んだのではない。
忍耐勉強の道は辿ったのも、すべて自らを欺き、人をさえ欺いて、人が辿らせたレールをただひたすら走ってきただけである。
他の誘惑に心惑わされなかったのは、誘惑を捨てて顧みないほどの勇気を持っていたからではない。
ただ誘惑をおそれで自ら自分の手足を縛ったからである。
故郷を立つ前も、自分が役に立つ人間であると疑わず、また自分の心が耐え得ることも確信していた。
ああ、それも一時。
船が横浜を離れるまでは、豪傑だと思っていた我が身であったが、止めどない涙にハンカチを濡らしてしまい、この時はおかしな事だと思っていたが、これが実は私の本性であった。
この心は生まれつきの物であったのか。
それとも早くから父が失い、母の手に育てられたので身に付けたのだろうか。
かの人々が嘲るのは当然のことである。
しかし妬むのは愚かである。
この弱く不憫な心を。
ある日の夕暮れの時であるが、私は動物園をあてもなく歩いた後、ウンテルーデンーリンデンを通り、モンビシュウ街『MonbijouStrasse』の下宿に帰ろうとクロステル街『KlosterStrasse』の教会の前に来た。
私は例のろうそくの海を渡ってきて、この狭くて薄暗い通りに入った。
建物の窓の手すりにほしてある、シーツや肌着などをまだ取り入れてない人家、頬髭の長いユダヤ教徒の老人が、入り口付近でたたずんでる酒場、一つの段階は直接頂上に達していて、他の段階は穴倉住まいの鍛冶屋に通じる貸家に向かって凹字の形に引っ込んで立てられていた。
この300年前の遺跡を望むごとに心に感動をおぼえ、しばらくの間たたずむことは何度であったろうか。
今この場所を通り過ぎようとしたとき、閉じた寺の門の扉に寄りかかり、声をのみながら泣く一人の少女を見かけた。
年は16、7ぐらいだろうか。
かむった布からはみ出した髪の色は薄い黄金色で、着ている服は垢がつき汚れたようには見えない。
私の足音に驚いて振り返った顔には私には詩人の才能はないのでこれを表現することはできない。
湿りを帯びた長いまつげに覆われた、この青く清純で物言いだけに憂いを含んだ目は、どうして一目見ただけで私の用心深い心の底まで通したのだろうか。
彼女は予期せぬ深い嘆きにあって、前後を考える暇なくここに立って泣いているのだろうか。
私の臆病な心は哀れに思う情けに打ち負けて、思わずそばにより、「なぜ泣いているのですか。
このあたりに知り合いのいない他人ならかえって力を貸しやすいということもあるでしょう」と声をかけた。
我ながら自分の大胆さにあきれた。
彼女は驚いて私の黄色い顔をじっと見つめたが、私の率直な心が顔色に現れたのか、「貴方はいい人のようですね。
あの人のようにひどい人ではないでしょう。
また私の母親のように」しばらくの間枯れていた涙の泉はまたあふれてきて愛らしい頬をつたって流れ落ちた。
「私を救ってください、貴方。
私が恥知らずな人間になることを。
母は私がある人の言葉に従わないといって私を打つのです。
父は死にました。
明日は葬らなくてはならないのですが、家に一銭の蓄えさえないのです。
」
あとはすすり泣く声のみ。
私の目はこのうつむいた少女の震えたうなじにのみ注がれていた。
「君の家に送ってあげましょう。
その前にまず心を落ち着けなさい。
声を人に聞かせるものではありません。
ここは往来です」彼女は声をかけてるうちに、無意識に私の肩により掛かっていたが、ふと頭をもたげると、初めて私を見たかのように、恥ずかしがってそばから飛びのいた。
人に見られる煩わしさに、早足に歩く少女の後ろを付いていって、寺に筋向いにある大きな戸を入ると、欠け損なった石の階段があった。
そこをのぼると、4階に腰を折ってくぐるほどの戸があった。
少女は錆びた針金の先をねじ曲げて、手をかけて強く引いた。
中からはしゃがれた老女の声がして「だれ」とたずねる。
エリスただいまと答える間もなく、戸を荒々しく引き開けたのは、白髪混じりの髪、悪い人相ではないが、苦労の跡を額に刻んだ老女で、古いラシャ(厚地の綿織物)の服を着て汚れた上履きを履いていた。
エリスが私に会釈して入って行くのを老女は持ちかねたように戸を荒々しく閉めた。
私は呆然として立っていたが、ふとランプの光に透かして戸を見ると、エルンスト=ワイゲルトと漆地で書いてあり、下に仕立物屋と注してあった。
これは死んだという少女の父の名前である。
中では言い争うような声が聞こえてきたが、しばらくすると静かになって、戸は再び開いた。
先ほどの老女は丁寧に自分の無礼な振る舞いを詫びて、自分を迎え入れた。
戸の内側は台所で右手の低い窓には真っ白な洗った麻布を掛けてある。
左手には粗末に積み上げた煉瓦のかまどがあった。
正面の一部屋の戸は半開きであるが、中には白い布で覆われたベットがあった。
そこに横たわっているのは死んだ人である。
かまどの側にある開いて私を招いた。
この部屋はマンサルド(『mansarde(仏)』屋根裏部屋)に面した一間であるので、天井もなかった。
隅の屋根裏から窓に向かって斜めに下りた柱を紙で張った下に、立った頭のつかえる場所にベットがあった。
中央の机には美しい毛織りのテーブルクロスをかけて、上には1、2冊の書物とアルバムを並べて、陶器の花瓶にはここに似合わない高価な花束が生けてあった。
その隣には少女が恥じらいを帯びて立っていた。
彼女は優れて美しかった。
乳のような色の顔はランプの光に映って薄紅色に紅潮していた。
手足のか細く女性的なのは貧しい家の女のようではなかった。
老女の部屋を出た後、少女は訛ある言葉で言った。
「許してください。
貴方をここまで導いた思慮のなさを。
貴方はいい人です。
私をまさか恨みはしないでしょう。
明日に迫った父の葬儀。
頼りにしていたシャウムベルヒ。
貴方は彼を知らないでしょう。
彼はビクトリア座の座長なのです。
彼の元で働いてから、早くも2年になるので、問題なく私たちを救ってくれるのだと思っていたのですが、人の弱みにつけ込んで、身勝手な言いがかりをつけようとは。
私を救ってなければ母の言葉に従わせねば・・・」彼女は涙ぐんで身を震わせた。
その見上げた目には、人にいやとはいわせない媚態があった。
この目の働きは自分で気づいて使っているのかそれとも無意識なのか。
私の懐には2、3マルクの銀貨があったが、それでも足りるようではいので、時計をはずして机の上に置いた。
「これで一時の急をしのぎなさい。
質屋の使いのモンビシュウ街3番地で太田とたずねて行った折にはお金を与えるでしょう」
少女は驚き感動した様子で私が別れのために出した手に唇を当てた。
はらはらと落ちる熱き涙が私の手の甲に注がれた。
开头部分
下篇“先生与遗书”更要(前半部分)
我因父母患伤寒去世成了孤身一人,将遗产的管理托付给叔父去了东京,上了高等学校。
虽到暑假我很期待回故乡新泻县,但三次回乡,都因为被叔父劝诱和堂妹结婚的纷争问题,意外地得知了叔父欺瞒遗产的实情。
正因为相信叔父所以非常气愤。
之后,我认为世上不可能存在值得信任的东西。
然后整理剩下的财产,决心永远地扔进父母的坟地。
进京后,为考入大学,我甚至搬到了一位妇人和美丽小姐2个人所生活的安静的租房里,在那里我第一次接触到人间的温暖,我厌世的心里也渐渐温暖起来。
我有个朋友叫“k“,在同所学校学习,从小就相识。
K是真宗寺的人,所以被领去当了医生的养子,K因为反抗养父让自己成为医生的意旨,悄悄地走了别的道。
但是,K无法忍受欺骗养父,写信坦白了事实,从养父家的户籍上撤去,又被真宗寺逐出师门,中断了学习资源。
K想独立支撑自己,但由于过度疲劳伤害了身体健康,患上神经衰落症。
不忍看到k窘境的我,让k与自己同寝,不惜从物和心两方面支援他。
K是个刚直果断的禁欲性学习家。
K在这个租房里充满的温暖气氛中,对小姐产生了爱意,并向我表白了他的苦恼。
但是,在迎接k到来自己宿舍之前,我的心里早已孕育出对小姐的爱情。
(1)
K谈夫人和小姐谈个没完没了,后来竟问起我也答不上来的复杂问题。
较之麻烦,我更觉得不可思议。
想到以前我主动提及两人时他的表现,无论如何都不能不觉察到他的反常。
我问他何以选在今天专门说这个,他顿时沉默寡言,此外还有个毛病,平日每当要说什么,嘴巴常蠕动片刻。
他的嘴大概有意不服从他的意志,不肯轻易张开------他话语的重量想必压在这里。
而一旦开口,其声音比一般人还要铿锵有力。
注视他嘴角时,我预感他又要冒出什么。
而到底是什么,我全然猜测不出、,也就格外震惊。
请你想象一下他向我表白他何等深切爱着小姐时我是什么样子。
我简直给他的魔棍一下子打成化石,就连蠕动嘴巴都无从做到了。
说是恐惧感的结晶也好,说是痛苦的块体也好,总之那时的我就是一个物件。
从头到脚骤然凝固,如石,如铁,硬是连呼吸的弹性都已失去。
所幸这样的状态没持续很长时间。
我很快找回正常心态,心中暗暗叫苦:
失策!
给人抢先了!
但往下怎么办,我全然理不出头绪,恐怕也没有理出头绪的余裕。
腋下沁出的冷汗湿透衬衫,我只管忍住,一动不动。
这时间里,K像平日那样不时启动滞重的嘴巴,一会儿一停地表白自己的心。
我痛苦得不得了。
那痛苦想必如巨型广告赫然贴在我脸上,即使K也不至于觉察不出。
但他非比往常,正如醉如痴谈自己的事,怕也无暇顾及我的表情。
他的表白至始至终贯穿同一调门。
给我的感觉是;滞重、迟缓,然而轻易改变不了。
我的心一半听他的表白,一半为如何是好这一念头搅得七上八下,细节等于几乎没有进入我的耳朵。
但他口中出来的语调仍强烈震撼着我的心胸,我因此愈发痛苦。
不仅痛苦,有时还感到一种恐慌----一种觉得对方强于自己的恐慌。
K大体表白完时,我什么也说不出来了。
我的沉默倒不是因为在考虑利害关系。
即考虑是同样表白好还是不说为妙,而单单是说不出来,而且也没心思说。
午饭时,K和我隔桌而坐。
女佣给我们上饭,吃了一顿从未如此难以下咽的饭。
吃饭当中两人也几乎没有开口。
夫人和小姐什么时候回来的也浑然未觉。
(2)
两人就此折回各自房间,没有见面。
K静静的,和早上一样。
我也陷入沉思。
我想自己本来应该向K表明心迹的,后悔没有先发制人。
刚才为什么就不打断K的话儿反戈一击呢?
我觉得这实在是莫大的失误。
起码接在K后面当场畅所欲言也好。
在K的表白告一段落的现在再旧话重提,怎么想都不自然。
而我又不知如何战胜这个不自然。
我悔恨交加,脑袋一阵发晕。
我盼望K再次打开隔扇从对面闯进。
若让我说,刚才简直等于遭遇突袭,自己全无应战准备。
我盘算如何捞回上午的失地。
我不时抬眼看一下隔扇,然而隔扇偏偏不开,K永久安静。
如此时间里,我的脑袋好像给这安静搅乱了。
想到K正在隔扇那边想什么,我顿时心烦意乱。
其实平日两人一直这么隔着一层默然无语,一般K越是安静,我越是忘记他的存在。
所以这时候的我,脑袋一定相当反常。
然而我又不能主动拉开隔扇过去。
既已错过说话时机,便只能等待对方找上门来。
最后,我再也坐不住了。
勉强坐下去,难免闯进K的房间。
我无可奈何地起身出到檐廊。
由檐廊来到茶室,漫不经心地从铁壶倒一杯水喝了。
之后走到房门外。
我有意避开K房间,让自己出现在路的正中。
我当然不是要去哪里,无非坐立不安罢了。
于是,我不管东南西北,在正月的街头盲目走来走去。
怎么走都满脑袋K。
本来我也不是为了抖落K,莫如说为了咀嚼他的表现才四下徘徊。
我首先觉得他这人真是令人费解。
他为什么突如其来向我表白这个呢?
他的恋情难道强烈到非向我表白不可地步了不成?
平时的他被风吹去哪里了呢?
一切都是我所难以理解的。
我知道他的刚毅,也了解他的认真。
我相信在决定自己往下采取何种态度之前有很多事要向他问。
同时心里又格外不是滋味,不愿意以他为对手。
我一边忘我地东走西窜,一边在眼前推出他静静坐在房间里的样子。
而且听见一个声音在说无论我怎么行走都全然奈何他不得------大约我把K当成一种什么妖魔了。
甚至觉得可能终生都将笼罩在其阴影中。
走累了回来时,他的房间依然静得像空无一人似的。
(3)
一天,我走进久违的图书馆。
我坐在宽大桌子的一角,上半身沐浴着窗口泻进的阳光,东一页西一页翻阅新到的外国杂志。
我的任课老师要求就所修专业查阅一个问题。
但我怎么也找不出我需要的内容,不得不两三次换借杂志。
最后总算找到自己所需论文,专心读了起来。
正读着,宽大桌子的另一侧突然有人低声叫我的名字。
蓦然抬眼,见K站在那里,K上半身俯在桌面把脸朝我探来。
如你所知,图书馆里不便大声交谈,以免影响他人。
因此K的做法大家也都那样做,但那时我却产生一种奇异之感。
K小声问我看什么呢,我说查点东西。
但K还是不把脸移开,以同样小的声音问一起散散步可以么,我说等一会是可以的。
他说那好,旋即坐在我对面空座位上。
而这一来,我注意力分散,杂志突然看不下去了。
我总觉得K好像心里有什么打算,来找我谈判的。
我不得已合上杂志,站起身来。
K泰然自若地问我查完了么,我说无所谓,还回杂志,同K一道走出图书馆。
两人没别的地方可去,便从龙冈町走到池端,进入上野公园。
这时他突然主动提起那件事。
综合前后情况分析,K大约是为这个特意把我拉出散步的。
不过其态度一步也没朝实际方向迈进。
他问我大致怎么想的。
所谓大致怎么想,是问我以怎样的眼光看待陷入爱情深渊的他。
一句话,大约是就眼下的自己征求我的意见。
我觉得自己得以确认了他与往常不同之点。
我几次说过,他生性刚强,并不顾忌别人怎么想,也有勇气朝自己认定的目标勇往直前,养父事件鲜明凸现了他的这一特点。
对此印象很深的我,明显地意识到他现在的样子不同以往。
我问K这种时候为何征求我的意见,他以往日不曾有过的消沉语气,说自己是个懦弱之人,为此深感羞愧,现已迷失了自己,不知如何是好,所以只好征求我的意见,别无他法。
我不失时机地追问迷失自己是什么意思。
他解释说不知是进好还是退好。
我马上逼近一步,问他想退就能退得了么。
他只说很苦恼。
实际他脸上也真切沁出痛苦的神色。
假如对方不是小姐,我不知会怎样将他求之不得的回答如甘霖般倾注在他那焦渴至极的脸上。
我自认为自己生来就具有如此美好的同情心。
但此时此刻的我另当别论。
(4)
我就像和他派比武之人那样紧紧盯视K.。
我------我的眼睛、我的心、我的身体,大凡冠以我这一字眼的所有器官都被我调动得无懈可击,以用来对付K。
无辜的K岂止漏洞百出,简直可以说是城门大开,毫未设防。
我无异于从他手中接过由他保管的要塞图,并在他眼前从容地打开审视。
发觉K在理想与现实之间往来彷徨,我着眼的只有一点:
我可以一拳将其打倒在地。
于是我当即乘虚而入,迅速摆出一副一本正经的态度。
这当然是出于计谋,但由于心情上也有与此相应的紧张,自己无暇感到滑稽或羞耻。
我首先来了一句:
“精神上没有上进心的人是渣滓!
”这是两人在房州旅行时K用在我身上的话语。
现在我以同样的语调一字不差地掷还给他。
然而我绝不是报复,坦白说,我的用意比报复还要残酷。
我企图以此一言封死K前面的爱之路。
K出生在真宗寺。
但从中学时代起,他的倾向绝不接近其出生寺院的宗旨。
不堪清楚教义区别的我自知没有资格谈论这个。
我只是在事关男女这点上有如此认识。
K很早就喜欢“精进”这一说法。
我以为其中大约含有禁欲之意。
但后来实际问他,才知道其含义比禁欲还要严厉,心里吃了一惊。
他说他的第一信条是应该为道而牺牲一切。
节欲、禁欲自不消说,即使离开欲的爱本身也是道之障碍。
K自己谋生的时候,我时常听他讲起这一主张。
那时我心里已经有了小姐,难免对他持有反对态度。
每次反对,他都显出不无恻隐的神情。
其中较之同情,似乎轻蔑的意味更要多些。
(5)
由于两人间有这样的过去,精神上没有上进心的人是渣滓这句话肯定触及K的痛处。
但是------前面