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第五专题ボイスWord格式.docx

言語に見られる現象のようです。

もちろん、日本語の受身は、英語やそのほか

の外国語のそれとはさまざまな違いを持っています。

ですから、日本語学習者

の間違いやすいところです。

よく話題になるのは、

    雨に降られて困った。

    夜中に赤ん坊に泣かれて、寝不足だ。

のような、対応する「NがNをV」の形の文がない、「自動詞の受け身」です。

 上の二番目の例は「使役文」です。

これも、英語や他の外国語にも似たよう

な文型があります。

この文型の意味は、ほかのことばでは説明しいにくいもの

「ある人が、他の人に、何かを、させる」のだ、と言えば、日本人には

すぐわかるのですが、それでは説明になりません。

「させる」というのがまさ

に「使役」の形ですから、それを説明しなければいけません。

「ある動作が他

者の影響によって行われることを表す」ということにしておきましょう。

これ

では非常に不十分ですが。

 

 受身・使役の二つがボイスの代表ですが、ほかに可能と自発と言われるもの

があります。

可能表現は、

 中国語の新聞を読む → 中国語の新聞が読める 

のように動詞の形が変わることと、助詞の「を」が「が」に変わる点でボイス

に入れられるわけですが、助詞はかならずしも変えなければならないわけでは

ない、ということと、逆に、変えると不自然になる例があって、「ボイスらし

さ」はあまり強くありません。

 また、可能表現には「V-ことができる」という形の複合述語もあります。

これはボイスではありませんが、いっしょに扱うことにします。

 自発表現というのは、

     そうであろうと思われます。

の「思われる」のようなものを言います。

人が意図的にするのではなく、自然

にそうなる、と言う意味のものです。

思考・感情を表す動詞に見られます。

れも格助詞の変化はありませんが、形態的・意味的につながるところがあるの

でここで扱います。

他の文法書では、格助詞の変化のある例を含む場合があり

ます。

 前に「やりもらい動詞」というものをとりあげたことがありますが、これら

の動詞を「V-て」の後に補助動詞としてつけた文型があります。

「V-てもらう」がボイスの表現と似ているので、それらについても考えてみ

     ノートに漢字を書く

     ノートに漢字を書かせる

     ノートに漢字を書かれる

ノートに漢字を書いてもらう    

 以上がボイスに関わる文型ですが、ボイスは自動詞と他動詞の対立に関係が

あります。

そこで、自他動詞の対とボイスの関係を最後に少し検討します。

     横綱が倒れる(自動詞)

     小結が横綱を倒す(他動詞)

     横綱が小結に倒される(受身)

25.2受身

 では、受身についてくわしく考えみましょう。

   

 多くの人にとって、まず頭に浮かぶのは英語の「受動態」でしょう。

英文法

の説明をそのまま日本語に移し替えてみれば、次の1が元になる受動態、2が

その受動態といわれるものです。

   1 Aが Bを V-する (猫がねずみを捕まえた)

   2 Bが Aに V-される(ねずみが猫に捕まえられた)

 この対応は日本語でも確かに成り立ちます。

(用語は「受身」でも「受動」

でも同じですが、ここでは受身にしておきます。

柔道では国際的に使われてい

るようですし)

 受身で考えるべきことは、動詞の受身形の作り方、上の例のような受身の作

り方、それ以外の受身の型、受身はどんな時に使うのか、などでしょう。

それ

らを一つずつ考えて行きましょう。

25.2.1 受身形

 まず、受身形の作り方から。

動詞の活用のだいたいのことは前に述べてあり

ますから、忘れた人はまたそこを復習しておいて下さい。

受身形についてはそ

こで述べなかったので、ここでかんたんに説明しておきます。

[受身形の作り方]

五段動詞

  語幹に-areruをつける、またはナイ形(のナイをとった形)にレル

 をつける。

どちらの言い方でもいいのですが、後の方が学習者には覚え

 やすいでしょう。

    呼ぶ→呼ばれる   取る→取られる   書く→書かれる  

    踏む→踏まれる   打つ→打たれる   防ぐ→防がれる  

    死ぬ→死なれる   笑う→笑われる   話す→話される  

一段動詞

  語幹にラレルをつける

    見る→見られる   変える→変えられる

不規則動詞 

    来る→こられる   する→される

 なお、「立たされる」のような、いわゆる「使役受身」の形は「25.2.3 使

役受身」で扱います。

    

                      

25.2.2 受身の種類

 さて、受身の具体的な話に入ります。

 日本語の受身は、その「Nが」が人(動物)である場合が基本です。

書きこ

とば、特に新聞記事や科学的な文章ではそうでない場合のほうが多いのですが、

ここでは、今までそうしてきたように、日常的な話しことばをまず考えて行き

書きことばに多い受身文については、その後で考えましょう。

① 直接の受身1:

人が

 まず、すでに例を出したような、英語の受動文に相当するような型と、それ

に類する型から。

①-1AがBをVする→BがAにV-される

   猫が魚を食べる→魚が猫に食べられる 

 動詞の対象が「Nを」で示されるような動詞です。

いちばんふつうの受身。

     ねずみが猫に捕まえられた/食べられた。

     私は先生に/から しかられた/ほめられた。

       追う、追いかける、食べる、呼ぶ、怒る、たたく、殴る、殺す、 

      抱く、憎む、愛する、信頼する、批判する、軽蔑する、・・・

動作の主体はふつう「Nに」で表されますが、精神的な意味の動詞では「A

から」の形も使われます。

直接対象に働きかけて変化を加えるような「Bを」

でなく、「B」に対して精神的・言語的な働きかけをするだけだからでしょう

か。

    彼女はみんなから 愛され/憎まれ/信頼され/批判され ている。

 さて、以上の例はみな「人(動物)が人(動物)にV-される」という形のもの

でした。

「人または動物」というのは、意識・感情を持つもの、という意味で

す。

例えば、最初の「魚が猫に食べられる」という例の「魚」は、池で泳いで

いる金魚か鯉を思い浮かべるのがふつうでしょう。

魚屋の店先に並んでいる魚

なら、「(魚屋が)魚を猫に食べられた」のような、(後で述べる「Nの」の

受身になって)「Nが」は「人が」になるでしょう。

つまり、この「直接の受

身」では、「Nが」のNは生きているものであること、その動作を受けること

を「感じる」ことができるものであることが基本にあるのです。

 受身というのは、ある動作・現象を、その主体の視点から表現するのではな

く、「その動作・現象の影響を受ける側の視点から表現する」、ということが

基本にある文型です。

その「受ける側」として話し手が視点を置きやすいのは

意識を持つもの、文法書の言葉で言えば「有情」のもの、であるということに

なるようです。

  ただし、後で見るように「モノが」の受身ももちろんたくさんありますか

ら、受身の基本的な発想として、「人が」の受身がある、ということです。

 「人(動物)がモノに」の受身の例を少し。

話しことばでは少ないようです。

     私の目の前で、犬が車にはねられた。

     私たちは、その事件に大きく影響された。

 

     彼女は毎日仕事に追われている。

「仕事に追われる」は「?

仕事が彼女を追う」とは言わないので、例外的 

なものです。

他の受身文からの類推による慣用的な言い方と見なします。

 もう一つ慣用的な言い方で、「~の手で」という形があります。

     私は祖母の手で育てられた。

 意味的には「祖母に育てられた」のでしょうが、このように言うことがあり

「×

祖母の手が私を育てた」とは言えないので、対応する元の文がない

ことになります。

①-2AがBにVする→BがAにV-される

犬が私にかみつく→私が犬にかみつかれる

 上の「Bを」が「Bに」の例。

ふつう、自動詞とされますが、直接的な対象

を取るものはそのまま直接の受身になります。

     私は酔っ払いに寄りかかられた。

(←酔っ払いが私に寄りかかる)

     私は犬に飛びつかれた。

(←いぬが私に飛びつく)

       ほれる、ほえる、飛びかかる、・・・

①-3AがBにCをVする→BがAにCをV-される

友達が私に仕事を頼む→私が友達に仕事を頼まれる

 補語が「に・を」の型で、対象の「Nに」が受身文の「Nが」になるもの。

     友達に仕事を押しつけられた。

(友達から)       

     ある人にこんなことを言われた。

(ある人から)

     私たちは彼女にいろいろなことを教えられた。

(彼女から)

 この文型では「Aに」の代わりに「Aから」を使うことができます。

もとも

と「Bに」が「到達点」のような意味合いを持っている(友達→私)ので、そ

の逆の「出発点」の「Aから」に近くなるわけです。

     

①-4AがBにCをVする→CがAからBにV-される

 同じく「NにNを」の「Nを」が受身文の「Nが」になるもの。

元の「Nに」

が残っているので、「Aが」はわかりにくくなるのを避けて「Aに」にはなら

ず、「Aから」になります。

     新任の彼は支店長から皆に紹介された。

 こういう例文を作ると、ずいぶんぎこちない感じがしますが、話しことばで

は「Nから」か「Nに」が省略され、自然になります。

     きのう、みんなに紹介されたけど、誰が誰だかまだわからないよ。

ただいま支店長からご紹介いただきました田中です。

①-5AがBをCとVする→BがAにCとV-される

 「BをCと」の補語をとる動詞です。

数は少ないです。

     彼女はみんなに幸運の女神と呼ばれた。

(彼女を幸運の女神と呼ぶ)

     彼の行為は監督者にカンニングとみなされた。

(監督者が彼の行為

     をカンニングと見なす)

 「Bを」がない例。

さらに少ないです。

     彼女は彼と絶交した。

→ 彼は彼女に絶交された。

② 直接受身2:

モノが

 さて、以上では受身文の「Nが」が人の場合のみを取り上げました。

人や動

物以外の名詞を受身の「主体」(受け手?

)とすると、書きことばという感じが

します。

     オリンピックがソウルで開かれた。

     メキシコではスペイン語が話されている。

     多くの資料が集められた。

     メダルが受賞者に渡された。

     この小説は広く読まれている。

     計画の概要が担当者から発表された。

     この城は秀吉によって築かれた。

     空は厚い雲に覆われている。

     橋が洪水で流された。

 これらを見て気づくことは、「人がモノをV-する」に対応する受身文「モ

ノがV-される」で、「人に」は省略される、あるいは、言いにくい、という

ことです。

 「オリンピック」の例などは、「誰が開いたか」ということそもそも示しに

くい事柄ですから、受身の形にして、「誰に」は表さなくてもいいようにしま

これは「なぜ受身で言うか」という問題の答えの一つになります。

 「誰がしたか」がはっきりしていても「モノが人に」は言えません。

     彼が多くの資料を集めた。

    ×

多くの資料が彼に集められた。

(「彼のところに」の意ではなく)

     担当者が計画を発表した。

計画が担当者に発表された。

(「担当者に対して」の意ではなく)

 ただし、上の例にもあるように「人に」でなく、「人によって」「人から」

などの形にすれば可能です。

「によって」のほうが硬い表現です。

     多くの資料が彼一人(の努力)によって集められた。

(×

から)

     計画の詳細が担当者によって/から 説明された。

     メダルが大会委員長によって/から 受賞者に贈られた。

     いくつかの問題点が彼女によって/から 指摘された。

     その話は彼から彼女に伝えられた。

(←彼が彼女にその話を伝えた)

     新郎の経歴が仲人から人々に紹介された。

 「Nから」が使えるのは、元の動詞が何らかの意味で対象に対して方向性を

持っていると考えられる場合です。

言語的な「発表する・伝える・指摘する・

紹介する」や、所有の移動を表す「渡す・贈る」など。

 「小説」の例では、「多くの人々に」とすることができます。

特定の個人で

はなく、一般的な人々・集団であるような場合は「人に」が可能になります。

個別の出来事ではなく、状態的になります。

     この歌は子どもたちに親しまれている。

     ワープロは小説家にも使われている。

 「人のあいだで」という言い方もあります。

     この伝説は国民のあいだで広く信じられている。

 「モノがモノに」という形は、数は多くないとしても可能です。

また、「モ

ノに」が原因の意味合いを持つので、「モノでV-られる」という形が多くな

ります。

     空は厚い雲に/で 覆われている。

     橋が洪水で/に 流されてしまった。

     その村は回りを山に/で 囲まれていた。

木の葉に/で さえぎられて、日が当たらない。

     小屋は落ちてきた岩に/で つぶされ、原形をとどめていなかった。

③「Nの」の受身

 以上は、受身の「Nが」になるものが、元の文で動詞の補語でしたが、そう

でない受身文があります。

一つは、元の文で動作の対象となる補語を「Nの」

の形で修飾している要素が、受身文の「Nが」になる型のもの。

こう言うと何

か複雑ですが、実際にはよくある文です。

「持ち主の受身」と呼ばれることが

「直接の受身」の対象と受身文の「Nが」がちょっとずれた感じで

   AがBのCをVする→BがAにCをV-される

   誰かが私の足を踏んだ→私は誰かに足を踏まれた

     彼はすりに財布をすられた。

     先生にレポートをほめられた。

     小学校の先生に息子をほめられた。

     肩をたたかれて振り向くと、彼がいた。

     朝顔に釣瓶とられてもらい水

 この中で「C」が体の部分の場合と、持ち物・作品(子どもは作品?

)など

の場合があります。

 体の部分の場合は、「BのCを」をそのまま「BのCが」には持って来にく

いという傾向があります。

    ?

彼の足が(は)誰かに踏まれた。

私の肩が(は)たたかれた。

(「私は肩をたたかれた」との違い)

 それに対して、持ち物などの場合はいくらかいいようです。

     彼のかさは誰かに持って行かれ(てしまっ)た。

     私の息子が先生にほめられた。

 この「AがBのCを」を「BがAにCを」とする型の受身はよく使われるも

のですが、日本語学習者にとっては使いにくいもののようです。

上に述べたよ

うな「BのCが」にしてしまう誤りがよく見られます。

 この受身と次の「迷惑の受身」との違いは微妙なところがありますが、一応

はこちらのほうが動作の影響が直接的であると言えます。

④ 間接受身

 もう一つは、元の文には受身文の「Nが」が直接出ていないものです。

むろ

ん、元の文の内容と、その「Nが」とが何の関係もなければ受身文にはならな

いので、何らかの被害・影響を受ける立場にあります。

そして、この受身文の

特徴は、必ず「迷惑」を受けることを表すことです。

迷惑といっても、「殴ら

れる・殺される」のような直接的なものでなく、「はた迷惑」と言ったほうが

いいものです。

   A 子どもたちは、学校の帰りに雨に降られた。

(雨が降る)

     私はゆうべ赤ん坊に泣かれて眠れなかった。

(赤ん坊が泣く)

そんなところに立っていられては迷惑です。

(人が立っている)

     彼女は若くして夫に死なれ、幼い子どもたちを育てあげるのに苦労

     した。

(夫が死ぬ)

     おい、動け。

こんなとこでエンコされたら困るよ。

(愛車が)

B 弟にケーキを全部食べられてしまった。

(弟がケーキを食べた)

     電車で隣の人に窓を開けられ、風で髪がばさばさになってしまった。

(隣の人が窓を開ける)

     家の前にマンションを建てられて、日があたらなくなった。

     野党にその点を問題にされると、ちょっと面倒だな。

     同僚にいい成績をあげられると、比較されて迷惑だ。

     (同僚がいい成績をあげる:

迷惑の受身)

     (上司が私を同僚と比較する:

直接の受身)

 日本語の受身の特徴としてよく言われる「自動詞の受身」もこの中に入りま

上のAの例がそうです。

 しかし、この文型は他動詞でも成り立ち、自動詞だけのことではありません。

Bは他動詞ですが、同じ迷惑の受身です。

むしろ、自他を通じて持っている共

通の特徴(受身文の「Nが」が元の文にないこと)が重要なのです。

また、こ

の受け身の「Nが」はほとんど「人」であることも大きな特徴です。

「はた迷

惑」というような感情を持つのは人間(と高等動物)だけだからです。

ただし、

いわゆる「擬人化」された場合と、人間の集団である「組織」は人扱いです。

 これらの受身の多くは、「Nの」の受身と同じように、受身文の「Nが」の

名詞を「Nの」の形で「元の文」に当てはめることができます。

     私の学校の帰り    私の赤ん坊

     私の隣の人      私の家の前

けれども、「Nの」の受身とは、それらの「のN」の名詞が動詞の対象となっ

ていないという点が大きく違います。

「直接」に動作を受けていないのです。

 微妙な例が「ケーキを食べられた」という例です。

「私のケーキ」で、その

「ケーキ」は「食べる」の直接の対象になります。

しかし、「ケーキを食べる」

という行為は、「足を踏む・財布をとる・レポートをほめる」などのような、

他者に対する行為とは言えませんから、間接受身に入れておきます。

 また、元の文の「Nが」は「Nに」に必ずなり、それ以外の形にならないこ

とも大きな特徴です。

     悪徳地主に/×

によって 家の前に高い塀を建てられた。

(間接)

     cf.日が差さないように、悪徳地主によって/×

に 高い塀が建て

      られた。

(直接)

25.2.3 受身の使用条件

 さて、受身文はどんな時に使われるのかが次の問題です。

動詞の「対象」と

なっている名詞を「Nが」の位置に持ってくる、というのが受身文を使うねら

いなのですが、では、なぜ「Nが」の位置に持ってくるのか、という問いが生

まれます。

 まず、文脈の中で話題となっているものを「Nが」の位置に持ってくるため

に受身文を使う場合があります。

1 彼は手にけがをしている。

犬にかまれたのだ。

   2 彼は手にけがをしている。

犬がかんだのだ。

 どちらの文も可能ですが、1のように受身にすると、主題(彼)が一致して、

文のつながりが密接になります。

(→「60.文のつながり」

 同様に、複文の中で「Nが」の交替をさけることにも有効です。

   3 (彼が)大きな失敗をしたので、上司は彼を叱った。

     彼は大きな失敗をしたので、(彼は)上司に叱られた。

   4 ねずみは走って逃げたが、猫はついにねずみを捕まえた。

     ねずみは走って逃げたが、ついに猫に捕まえられた。

 また、前にも述べたように、「誰が」ということを言いにくい場合に受身が

使われます。

   5 ソウルでオリンピックが開かれた。

アメリカでは、たくさんの人が銃で殺されている。

[受身の「非用」]

 受身でよく問題になるのは、受身を間違って使うこと(「誤用」)ももちろ

んですが、学習者がそもそも受身を使わない、使えないということがあります。

使ったほうがいい場面で使うことをさけてしまうことを「非用」と言います。

上にあげた例で言うと、

     彼は大きな失敗をした。

だから、上司が彼をしかった。

のような言い方をしてしまうことです。

間違いとは言えないのですが、自然な

言い方ではありません。

受身の言い方を知らないか、あるいは受身を使うこと

に自信がないために、ついさけてしまうということもあるでしょう。

受身という文型の特徴の一つとして、使わなくても何とかなることが多い、

ということがあります。

他の文型で言えるのです。

 間接受身の場合は、いっそう「非用」が多いことが予想できます。

前にあげ

た例は、

     赤ん坊が泣いたので眠れなかった。

     野党がその点を問題にすると、ちょっと面倒だな。

のように、受身にしなくても何ら問題がないからです。

しかし、ここで迷惑の

受身を

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