日语能力考试1级读解文法Word格式文档下载.docx
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教室の壁には誰が何冊本を読んだか、という営業マンのようなグラフが作成され、能力を競っていたように思う、馬鹿馬鹿しいと笑っていると白羽の矢が僕に刺さった。
「彼は本を読むから成績がいいんです!
」
先生は僕を象徴して読書を推進しようとしている。
それは大きな間違い。
僕の成績がよかったのは普段真面目に授業を聞いているからだし、きちんと家で勉強していたからだ。
他の小学生はのびのびと育っていて、誰も勉強などしないから、差がでるのは当然のことだった。
読書をすれば賢くなるという幻想は、どうして出来上がったのだろうか。
僕はその読解の根源を子供たちに見た。
いつも図書館現れない子供は無理に広げた本を前に煩悶しているではないか。
これはほとんど拷問に近いものがある。
(③)彼らは勉強の姿勢で本を読んでいるのだ。
こんな読み方では楽しくないだろう。
本の楽しみとは、ここではないどこかに飛んでいける冒険につきる。
旅行の楽しみと読書は近いものがある。
僕は本で冒険をし、知らない世界に旅をした。
(中略)人は誰もが「もうひとつの世界」を夢みる。
新しい環境、新しい政治、新しい自分、誰もが現実の中に小さな違和感を抱えて、変化を望み、そしてこの現実は簡単に変わることがないと諦めている。
そんなとき最も安価で確実な変化をもたらしてくれるのが、読書なのだ。
読書とは教育ではなく、世知辛い現実を巣手って、豊かな世界に耽ってしまう人の性であり、現実を忘れさせる合法的な麻薬である。
「彼らはまだ勉強をする義務がある。
子供に本の味を教えるのはちょっと早いかもしれない」
問1「読書週間という奇妙な週」とあるが、どうして奇妙なのか。
1.いつもは図書館に来ない子供たちが図書館で好きな本を読むから。
2.本を読めば世界のことがよくわかったり心が豊かになったりするから。
3.先生が推薦した本を学校の図書館で捜して読まなければならないから。
4.子供の気持ちを大切にせずに無理に本を読ませようとするから。
問2 「それ」とは何か
1.読書週間という名のもとに、子供たちに無理に多くの本を読ませようとすること。
2.どれだけたくさんの本が読めるが、営業マンのようなグラフを使って子供たちに競争させること。
3.先生の話を真面目に聞いて家でもきちんと勉強しているから、筆者の成績がいいこと。
4.本を読むから成績がいい例として筆者を挙げ、他の子供たちにもっと本を読ませようとすること。
問3 小学生の時の筆者はどのような子供だったか。
1.先生を信じることができず、空想の世界の遊ぶ子供。
2.先生を尊敬し、ひたすら先生の教えを実践する子供。
3.先生を心の底で馬鹿にしているが、一見従順な子供
4.先生に従い、空想と現実を混同しない理性的な子供。
問4 筆者は何のためにほんを読んでいたのか。
1.知らない世界を味わうため
2.学校でいい成績を取るため
3.賢くなり現実を楽しむため
4.勉強する義務を果たすため
問5 (③)に入る最も適当な言葉はどれか
1.しかし 2.ゆえに 3.ただし 4.つまり
問6 読書と旅行が似ている点は何か。
1.新しい経験をしていろいろな利益が得られること。
2.日常生活から離れてわくわくすることができること。
3.行ったことがないところに実際に行くことができること。
4.いつでもどこでも楽しみたいことが楽しめること
問7 筆者は読書週間についてどう考えているか。
1.読書週間にはいろいろな本を読んだほうがいい。
2.読書週間を本当の読書のための週にすべきだ。
3.読書週間のような週があってもあまり意味がない。
4.読書週間のいま実践されている期間ではあまり効果がない。
問8 本文の内容に合っているのはどれか。
1.読書は、子供に事実を教えてくれるものである。
2.読書は、子供の時からの習慣が影響するものである。
3.読書は、現実の理解のためにするものである。
4.読書は、自分から好きな本を楽しむものである。
問題Ⅱ
(1)カナダの作曲家シェーファーは、音環境をサウンドスケープという視点から捉えることを提唱し、運動を展開している。
サウンドスケープは“音の風景”と訳すことができるだろうが、これは、都市空間をはじめ、あらゆる環境の中で不愉快な雑音が我々の生活を害するようになった現在、音環境を含めて生活のすべての面で快適性を高めたいという社会的ニーズの表れであろう。
日常生活を妨げる音をできるだけ防止するために、その場・時間・状況に応じて適切な環境音楽が流されている。
環境音楽は、快適性を音環境の中に取り入れたものといえる。
現代の文明は騒音をますます増大させているが、同時に最新の技術によって発生騒音を少なくする努力も大いになされるだろう。
しかしながら、我々は生活の中で、環境音楽と考えてかえって不必要な音や音楽を流しすぎていないだろうか。
いや、たれ流しているといってもいいぐらいだ。
ドイツの大指揮者カール・べームは、筆者も何回となく来日の折に聴いているが、ある時東京のデパートのエレベータに乗り、そこに流れていたドイツの古典音楽を聴いて非常に憤慨したそうである。
いとも安易にクラシック音楽が東京の町中に氾濫していることにべームは業を煮やしたのだろう。
遠山一行さんのような批評家がいう、「クラシック音楽は他社との出会い」という厳しいストイックな見方と現実は大きく違ってしまい、我々はあまりにイージーに音楽を氾濫させていると筆者は思う。
そして、それが非常に商業主義と結びついていることが多いと筆者は危惧しているのである。
問1 カナダの作曲家シェーファーの展開する運動とはどのような運動家。
1.都市空間に美しい風景をイメージさせる音楽を流し、生活環境を向上させる。
2.カナダの作曲家が始めたサウンドスケープという運動に基づいて音環境を作り上げる。
3.生活の快適性を高めるために、環境音楽などを用いて音環境を整える。
4.場所、時間、状況に応じて、適切な環境音楽としてクラシック音楽を流す・
問2 本文によると、環境音楽とはどのようなものか。
1.日常生活の不快な音をさえぎるために流されているもの。
2.豊かな自然に囲まれた環境の中で聴くことができるもの。
3.筆者が日常生活の中で安易に聞かされているもの。
4.現代文明が作り出した環境の中から自然に生じたもの。
問3 「厳しいストイックな見方」とはどのような見方と考えられるか。
1.外では音楽を全く流さず、他人が不愉快にならないよう配慮する。
2.クラシック音楽を聴くには、ふさわしい時と場を選ぶ必要がある。
3.増大しつつある騒音は、種々の音楽を流すことで緩和するべきだ。
4.日常生活を妨げる騒音は、社会にあってはならないので排除する。
問4 筆者はこの文章を通して何を批判しようとしているのか。
1.「クラシック音楽は他社との出会い」という見方が広がること。
2.日常生活の騒音を減少させようとするより環境音楽でそれを隠そうとすること。
3.商業主義と結びついて安易に音楽を町中に氾濫させること。
4.環境音楽を流しすぎてかえって町中の騒音を増大させること。
(2) 家事労働は、やってみると案外と簡単なものだ。
うそだと思う男性諸君は、一度やってみるといい。
今はいい洗剤があるから皿洗いは楽だし、研いだ米に分量の水を入れて、スイッチを押せば自然に炊く上がる電気炊飯器という便利な機械もある。
やる気になれば男だって一人で飯を作り、暮らしていけないことはない。
わが家は、妻が毎日仕事に出かけ、僕は家で仕事をしているから、生活のパターンが普通のサラリーマン家庭とは逆になっている。
そう入っても、仕事から帰ってきた妻が食事を作り、後片付けもしていた。
大変そうだなと思い、後片付けくらいはしてやるよと気軽に台所に立ってみた。
ところが、やってみると案外に楽しかった。
汚れた食器が次々にきれいになっていくのはなかなか気持ちのいいものだ。
わずか10分か15分で、ひと仕事終えたという労働の充実感も味わえる。
この、ひと区切りつくというのが家事労働の面白いところかもしれない。
60歳をすぎた僕がこんなことを言うと、同年輩の亭主族からはなんと甘っちょろいと思われるかもしれない。
20代30代からは、何で今さらそんなことに気づいたのだといわれそうだ。
「最近の女性は耐えるということを知らない」などと世聞では言ってる。
確かに昔に比べると、我慢するということが少なくなったようだが、これは( )ことだと思う。
昔の女性が我慢していたのは、経済力がなくて夫に養われているという意識があったからだろう。
イマハ、仕事をもったりパートタイムで働きいたりして、ちゃんと収入を得られるようになた。
しかも、亭主が汗水たらして働いていても、大して高い給料をもらっているわけではないのだという現実もわかってくる。
(中略)わが家の場合、今の若夫婦のように、権利だ義務だと分けて、家事を分担しているのではない。
なんとなくそういう具合になっている。
とはいえ、サラリーマンを続けていたら、なんとなくそういう具合にはならなかっただろう。
権利だ義務だというのは、押しなべて世間に広がらなくてはならない決まりである。
家庭にそんなものはいらない。
家庭にあるのは流儀だろう。
サラリーマンはサラリーマンの家庭の、わが家にはわが家の流儀がある。
おおまかであって、伸縮自在だけれども、ひとつの流れになっているという曖昧な流儀が、大まかな僕に似合っている。
問1( )にはいる最も適当な言葉はどれか。
1.つまらない 2.いい 3.おどろくべき 4.よくない
問2 筆者は、どうしていまの女性は我慢をしなくなったと考えているか。
1.家事労働は女性の義務ではなく、男性も相応に分担するべきだという考え方が広がったから
2.人々が権利や義務について考えるようになり、女性も権利を主張できるようになったから
3.経済力をつけたので、亭主が稼ぐということをそんなに偉いこととは思わなくなったから。
4.経済力がなくても、妻は夫に養われているという考えをもつ女性が少なくなったから。
問3 筆者が家事労働を始めた理由は何か。
1.家事は夫婦で分担するものだという考えに共鳴したから。
2.経済力がなくなり家事を分担せざるを得なくなったため。
3.男性が台所に立ちたくなるような環境が整ってきたから。
4.外での仕事を持つ妻の負担を多少なりとも軽減するため。
問4 筆者は、家庭における夫婦の役割は何によって決まると考えているか。
1.それぞれの家の事情に沿った独自のやり方。
2.家事は女の仕事だという伝統的な社会規範。
3.世間全体に受け入れられるべき価値基準。
4.家事は男女が平等分担すべきだという考え方。
(3)桜が終わり、さまざまな