Bcmadoz日语小文章精选.docx

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Bcmadoz日语小文章精选

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懒惰是很奇怪的东西,它使你以为那是安逸,是休息,是福气;但实际上它所给你的是无聊,是倦怠,是消沉;它剥夺你对前途的希望,割断你和别人之间的友情,使你心胸日渐狭窄,对人生也越来越怀疑。

—罗兰

夢の夕食(1)

友達と映画を見るために、日比谷シャンテの前で待ち合わせをした。

彼女は私の顔を見るなり言った。

「お腹が減って死にそ。

後でおいしいお寿司屋さんに案内するから、とりあえずハンバーガー店に買って行こうよ」

   私と彼女は近くのハンバーガー店に入った。

カウンターにはお客が行列を作っている。

最後尾に並びながらふと店内を見ると、近くの席で銀髪のアメリカ人夫婦が向かいあってハンバーかーを食べていた。

ブラスチックのトレイの上にはハンバーガーとコーラとフライドポテトがのっている。

年の頃、六十代の半ばだろうか。

二人は何を話すということもなく、ただ黙ってフライドポテトを食べ、コーラを飲んでいる。

すると、妻のほうがバッグを開け、ティッシュペーパーを出して。

その時、バッグの中にパスポートがチラッと見えた。

   私は何だが胸が痛くなった。

都内のハンバーガーやフライドチキンの店では、よく外国人老夫婦の旅行者を見る。

見るたびには私は「ごめんなさい」と言いたくなる。

   彼らだってきっと懐石や美しい日本料理を食べたいに違いない。

しかし、この国の物価は半端ではないのである。

まして、日本の趣味の料理屋で懐石ともなれば、外国人には気絶しそうな値段であろう。

老夫婦は子育てを終え、仕事の第一線から退いた今、蓄えた金で夢を見て日本に旅してきて、そこで食べるものはがハンバーガーとコーラとは夢にも思っていなかっただろう。

もとよりアメリカから来た手軽な食べ物である。

それが夕食ではどんなにかみしめだろうと思う。

   しばらくすると、ジーンズとTシャツの若いアメリカ人の男が二人入ってきた。

一見して旅行者とわかるが、若いのでこちらも「はんばーがーで当然」という感じで気楽である。

すると、若い二人と老夫婦の目が合った。

そして一瞬のうちにお互いに目をそらした。

見てはいけないものを見た気がして、私も目をそらした。

今夜は「おいしいお寿司」は食べたくなかった。

プレゼント(2)

女友達が浮かぬ顔をしている。

どうしたのかと聞いたら、彼女はため息まじりに話し始めた。

   「彼が私の誕生日を忘れていたのよ。

別にプレゼントを催促する気じゃなかったの。

ただ、覚えていてくれたら嬉しいなァって思ってたけど、遠回しに匂わせるみたら「アツ」って思い出してくれて「何かプレゼントするよ」って言うの」

   「なら問題ないじゃない」

   「大ありよ。

その後なんて言ったと思う?

   「さあ?

?

?

?

?

?

   「何でも好きな物買っとけよ、後で金渡すからだって」

   私はしばらく息ができないほど笑い、涙でアイラインがとけてタヌキになっていた。

いかにも男の人が言いそうなセリフである。

これは女の脚本家が机でひねり出そうとしても書けるセリフではない。

   女はプレゼントも欲しいけれど、やっぱり彼の心が欲しいのである。

誕生日や結婚記念日を覚えていてくれて、忙しい合間に彼が自分で選んだ何かがほしいのである。

それは多少センスが合わなくても、高価なものでなくてもいい。

女が自分一人で好きな物を買い、後で、

   「消費税込みで二万三千五百六十円だったわ」

   とレシートを渡し、彼が二万四千円出して、

   「ホラ、釣りはいらないよ」

   では多くの女は悲しくなるはずである。

   逆にプレゼントに頬をゆるめていた女友達もいる、彼女はきれいな小さなイヤリングを見せてくれた。

   「出張の帰りにね、飛行機に乗る寸前に空港の売店で買ったんだって。

やっと東京に戻れると思ったとたんに私のこと思い出したんだって」

   心が緩むと同時に彼女を思い出した、という言葉に加えて、空港の売店に駆け込んだ彼の姿がダブルからそのイヤリングは三倍輝く。

   プレゼントにはやっぱり「甘さ」が欲しい。

十円玉騒ぐ(3)

スーパーマーケットのレジに並んでいたら、すぐ近くで何やら騒いでいる。

店の人が走ってくるし、お客さんまでが地べたに這い蹲ったりしている。

 

   何ごとかと思って見ていたら、小さな女の子がお金を落としたらしい。

そばで父親と思われる人が一緒になってさがしている。

   女の子は店内に備えつけてあるゲーム機で遊ぶため、十円玉を入れようとした時に、そのうちの一枚を落してしまっのである。

十円玉はクロクロと転がり、見えなくなってしまったのだろう。

若いの父親は言った。

   「お金を粗末にしちゃいけない。

ちゃんとさがして」

   一見、軽そうに見えるタイプだが、言うことはしっかりしていると、私は感心していた。

ところが店の人や客までが一緒になってさがしても、十円玉は出てこない。

父親は結構な根性の持ち主で、店の人にタバコケースを移動させ、コピー機を移動させ、女の子にさがさせる。

   「自分で責任を取りなさい。

ちゃんとさがしなさい」

   とうとう、店の人が自分のポケットから十円玉を取り出し、女の子に渡そううとした。

   「なくしたお金は後でおじちゃんがもらっておくから、今はこれを使いなさいね」

   女の子が出した小さな手を、父親は静かに引っ張った。

そして店の人に言った。

   「たかが十円、お金が問題じゃないんです。

お金の大切さと、自分で責任を取ることを教えたいんです」

   そして、女の子に言った。

   「お金がなくしたのは自分だから、今日はゲームはできないよ。

わかってるね」

   やがて父親は女の子の手を引くと、店の人たちに礼も言わずに出て行った。

移動させたタバコケースもコピー機も一切も通りにはしないで。

まったく「責任」はどこへいくのだ!

口先だけで偉そうなことを言うほど簡単なことはない。

空港のコアラ(4)

仕事で博多に出かけていた。

日曜日の最終便で東京に戻るため、私は空港で搭乗手続きをとっていた。

   その時である。

空港ロビーを揺るがすような、子供の泣き声が聞こえてきた。

搭乗手続きの乗客はもとより、係員まだが思わず手を止めてその子供を見たほどである。

子供は四歳くらいの男の子で、両親は困り切っている。

立って泣いていたその子は、突然床に大の字になり、大声で泣き叫びながら手足をバタバタさせ始めた。

父親が懸命に何か言いきかせているのだが、いっこうに泣き止まず、声は大きくなるばかりである。

   こうなると、私も含めて周囲の人たちは眉をひそめだした。

そのうちに、子供は父親の首にかじりつき、両脚をその背に回し、まるでコアラが木にしがみつくようにして泣きわめく。

若い母親はじっとうつむき、何もしない。

   「あのお母さん、なってないわねッ」

   私の前に並んでいた老夫婦がつぶやいた時、子供の言葉がロビーに響き渡った。

   「お父さんも帰ろー!

お父さんもいっしょー」

   私はハッとした。

改めて見ると父親はジャンパーにサンダルばきである。

明らかに妻子を空港に送りに来ている姿であった。

   「帰ろー!

お父さんもー!

 ヤダー!

僕ヤダー!

   子供はコアラになったまま、大粒の涙をポロポロとこぼし、泣き疲れてかすれた声で叫び続ける。

ロビーにいた人たちがシーンとなった。

誰の目にも、父親は博多に単身赴任しているのだとわかった。

なってないと思われた若い母親は、自分もおっとと別れが切なくて、うつむいて涙ぐんでいたのかもしれない。

搭乗の最終案内がアナワンスされるや、父親は力ずくでコアラを引き剥がし、後も振り返らずに駆け出して行った。

   子供を育てた経験がある限り、男たちは本気で不倫などできるはずがないと思うほうがいい。

   あの父親はこのクリスマスには帰れるのだろうか。

隠れタバコ(5)

ある夜遅く、NHKからタクシーに乗った。

放送センターの構内から出るや、運転手さんが言った。

   「タバコ、吸っていいですよ」

   「え?

   「会議が何かだったんでしょ。

ご遠慮なく」

   ルームミラーに映る運転手さんの目は優しく笑っている。

私は不思議な気がして聞いた。

   「女の人たち、タクシーでタバコ吸うことが多いんですか?

   「多いですよォ。

車に乗ってすぐに『運転手さん、タバコ吸っていい?

』って言うのは八割がた女です。

男は車に乗ってすぐ吸うって人はまずないね」

   「へえ。

それって意外だなァ」

   「でしょう。

やっぱり女はあまり人前で吸うわけにはいかないんじゃないですか。

夜遅く会社から乗る女の人ってのは、ほとんどが会議や何かでしょう。

疲れて一服したくてもしにくいし、それでタクシーが乗るとすぐなんじゃないかねぇ。

お客さんもてっきりそのクチかと思ったんで、どうぞって言ったんだけどね」

   運転手さんの分析はかなりいいとことを突いていると私は思う。

人前でタバコを吸うことをためらう女は、この時代にあってもかなり多い気がする。

それは禁煙、嫌煙が進んでいる今、他人に迷惑をかけたくないという思いもあろう。

が、私個人の意見だが、やっぱり「男にとっていい子」でいたい女は、人前では吸えないのだと思う。

「タバコを吸う女」というだけで、少なからず見る目を変えてしまう男というのは確かにいるだから。

   「タバコを隠れて吸うなんて情けないわよ。

悪いことしてるわけじゃないんだし」という声は正論だが、私はトイレやタクシーの中で、隠れて吸う女の気持ちのほうがよくわかる。

男に愛されたい以上、マイナス要素を隠れたいのは当然のこと。

しかし、確かにみじめてあり、切なくもある。

一番いいのはタバコをやめることだろうか。

悲惨な食事(6)

知り合いの下宿している大学生に、どういうものを食べているのかを尋ねてみると、その食生活の貧しさに驚くことがある。

   「そんなものばかり食べて、よく今まで生きてこられたね」

   といいたくなってしまうような内容なのである。

朝はコンビニエンス?

ストアで買ったパンと牛乳。

昼はラーメン。

夜は友達とおつまみもろくに食べないで酒を飲む。

そして酔いがさめてお腹がすいたら、スナック菓子をひと袋食べてすませるひどさなのだ。

これは男の子に限ったことではない。

女の子だから大丈夫だろうと思っても、実態はなかなかすさまじいのだ。

   彼女に言わせると、

   「忙しいので自炊はしない」

   そうである。

   「朝、何を食べてきたの」

   と聞いたときに、彼女の口からチーズ?

ケーキとチェリー?

タルトと炭酸飲料の名前が返ってきたときには、本当に驚いてしまった。

   「えっ、それが朝ご飯?

   と思わず聞き返すと、

   「いつもこんなもんです」

   という。

朝は授業が始まるギリギリまで寝ているから、朝ご飯をつくる時間なんかないというのが彼女の言い分なのだが、そういうわりにはきれいにお化粧しているのがとても不思議であった。

   私が学生のときに、授業中によく倒れる男の子がいた。

彼はとにかく貧乏で、着ている服は一年中、高校時代の詰め襟のみ。

食べることにも事欠き。

空腹ですぐへなへなとなってしまい、そのたびに私たちはお米や野菜を持ち寄って、彼に寄付したものだった。

今の学生はお金も持っているし、一見体格もいい。

しかし、栄養がなくて手軽に空腹が満たされる食べ物がありすぎて、食生活の内容は悲惨なのではないだろうか。

   長生きするために食べるわけではないし、無理やり私が食べさせられるわけではないから関係ないけど、人に献立を話して気持ち悪いがられるようなものはやめていただきたい。

目(7)

毎年、春になると私にはつらい出来事がおこる。

鼻がムズムズするのもそうだが、一番困るのは外を歩いていると、春風に舞いあげられた小さなゴミが、やたらと目の中に入ってくれることなのである。

たとえば私の目がぱっちりしていて、いかにもゴミが入りやすそうな形状をしているというのならまだ納得できる。

風が吹いてきても受ける部分の表面積が大きいのだからそれが仕方がない。

しかし私の目は一重まぶたで人よりもちっこいのだ。

   学生時代、みんなと連れだって帰るとき、決まって私だけが目にゴミが入る。

二重まぶたでわたしよりもずっと目が大きい友だちは何ともないのにだ。

涙をプロプロ流しているのを見て、彼女たちは、

   「おかしいわねえ」

   といって首をかしげた。

必死になって涙でゴミを流し出そうと努力している私に同情してくれるどころが、腕組みしながら路上で議論し始めたりするのだった。

   「四人が同じ条件で歩いていて風が吹いたら、どう考えたってあなたが一番入る確率が低いのにね」

   理数関係が得意な子が冷ややかにいった。

   「私は目が大きいほうだけど、そんなにゴミが入った記憶なんかないわ」

   出目金というあだ名の子は、そういいながら私の顔をのぞきこんだ。

やっとの思いでが流れ出てもしばらくは涙目が収まらず、涙と一緒にでてきた鼻水をずるずるやりながら、電車に乗るのが毎度のことだったのだ。

   それから私はちっこい目の人に会うたびに、

   「ゴミが入りやすいですか」

   と聞くことにしている。

驚いたのは私と同じような思いをしている人が、ちっこい目の人に多いということだった。

話によると目の大小ではなくて、眼球の角度によってゴミが入りやすくなるそうなのだが、この件は自他ともにずっと不思議だといいながら、依然、解明されていない。

お気に入り(8)

五歳の男の子を連れた友達とばったり道で会った。

   「随分、大きくなったね」

   といいながら、ふと彼の着ている物をみたら、妙にお腹のところがふくらんでいる。

   「腹巻きできさせてるの」

   「そんなことないんだけと?

?

?

?

?

?

、どうしたのかしら」

   彼女は、男の子の着ているダブッとしたTシャツを捲り上げた。

中から出てきたのは、くしゃくしゃに丸められたこーデュロイの半ズボンであった。

あるデザイン?

メーカーのものだ。

話によると、このズボンは彼のお気に入りで、冬場、ほとんど毎日はいていたという。

   洗濯すると、

   「いつ乾くの」

   としつこと尋ねる。

目を離すと生乾きでも幼稚園にはいていこうとするので、説得するのが大変だったというのだ。

春先に、

   「このズボンは寒いときにはくものだから、しまおうね」

    といてタンスの奥にしまったのだが、そのときしまい場所をしっかり見ていたらしいのである。

   「こんなに好きなの」

   と聞いたらこっくりとうなすく。

そして、

   「今日のズボン、嫌いなんだ」

   と訴えるのである。

はいているのはふつうのジーンズの半ズボンである。

   「どうして、ちっとも変じゃないわよ」

   「かっこ悪いんだよ、ここのところが」

   彼はポケットを指さして、口がとがらせる。

母親にはかされたズボンが気に入らなくて、すきあらば自分の大好きなズボンにはき替えようと、隠し持ってきたのである。

   「五歳でねえ。

それも男の子でねえ?

?

?

?

?

?

   私は感心半分、あきれ半分でため息をついた。

私も子供のときには好きな服と嫌いな服はあったが、文句を言えば、

   「ふざけるな」

   と親に怒鳴られるに決まっていた。

裾がびろびろに伸びたランニング?

シャツで走り回っていた子供の姿は、遥か彼方に消えてしまったようだ。

花(9)

家の中にいつも花を飾る習慣になっている人はとてもうらやましい。

別によい服を着ていなくても、贅沢な食事をしていなくても、広い部屋に住んでいなくても、花を飾って生活をしている人には憧れてしまう。

というのは、私は地べたから生えている花は平気だが、切り花はどうも弱いからなのである。

   そうはいっても、自分の殺風景の部屋に、なんとかかっこをつけようと思って、あきかけのや蕾が混ざったバラを買ったことがあった。

花瓶にいけて眺めて見ると、狭い部屋でも、花があるのとないのとでは、雰囲気が大違いであった。

   「やっぱりこのくらいはしなくちゃね」

   私はひとりで悦にいっていた。

だんだん蕾が開いて、きれいな花を咲かせてくれた。

   「まあ、きれい、きれい」

   といいながら喜んでいた。

問題はその先である。

いつまだも花をきれいに咲いていないから、日に日に花びらの色が変わり、茎も発っぱも萎びてくる。

とたんに部屋の中が何となく悲しく、うら淋しくなってしまうのである。

ここでいつも私は悩む。

見てくれを考えればさっさと捨ててしまえばいいのだが、まだ水を吸って生えているかと思うと、ゴミ箱行きにできないのだ。

   どうしようと迷っているうちに、花は萎れてくる。

花が咲いてきれいなときはほんのわずかで、萎れかけてから枯れるまでのほうがずっと長い。

   「早く枯れてくれないかなあ」

   と期待しても、これが結構しぶとい。

みっともないから、なるべく人目につかない場所に花瓶を移動しようとするのだが、物陰に持っていくとますます悲惨になってくる。

私は首項垂れた花が入っている花瓶を持って、部屋のなかをうろうろするハメになるのである。

花びらが落ち、茎もパサパサになると、やっとゴミ箱にポイする決心がつく。

花を飾るのは本当に神経が疲れる。

私は基本的にこういうことには向いていない。

偏食(10)

みんなで楽しく食事をしているとき、ふと見ると意外に偏食する人が多いのに驚くことがある。

もちろん子供ではなくて、立派な大人である。

あれもだめこれもだめといいながら必死になって嫌いなものを皿の隅によけている姿を見ると、その人には悪いけど、

   「あまりみっともいいものじゃないな」

   と思う。

   かくいう私も子供のころはすさまじい偏食児童であった。

食べられるのはお菓子とご飯と海苔と卵だけ。

野菜など全く食べなかった。

最初は私の気に入ったものだけがちゃぶ台に登場していたが、あるときを境にして突然、大嫌いな食べ物のオン?

パレードになってしまったのである。

ご飯はあるものの、海苔と卵の姿はない。

当然の如く私は抵抗した。

   「こんなのいやだ」

   といってみても、母親は知らんぷりしていた。

次は大声で泣いてみた。

まだ無視された。

最後の手段として畳の上に引っくり返って、足をばたばたさせながら、

   「海苔と卵じゃないといやだあ」

   と泣きわめいても、またまた私は無視されたのである。

   「これしかないの。

嫌だったらしようがないわね」

   そういって母親はさっさと私の目の前にあった食べ物を片付けてしまった。

一応私も抵抗したプライドがあるので、そっぽを向いていたが、それから三食連続でそういう調子で、一日ハンストしたものの、結局は大嫌いな食べ物を口に入れることになってしまったのである。

   それ以来、私はまったく好き嫌いがなくなった。

母親の強硬手段も今になっては感謝している。

きっといい歳をとしてもひどい偏食が直らない人は、よほど甘い両親に育てられたのだろう。

他人が偏食をしても、別に私に迷惑が及ぶわけではないのだけれど、食べ物の取材を細かく分析し、あれも嫌だ、これも嫌だといわれると、一緒に食事をしているこちらとしては、とても不愉快になってしまうのである。

老成した子供(11)

   送られてきた週刊誌をパラパラめくっていたら、偏差値の高いいわゆる有名私立中学校に合格した男の子たちの写真が載れを見て私は少し驚いた。

みんな合格が決まってにこにこしているのだが、それを見て私は少し驚いた。

中学に入学しようというのだから十一、二歳なのに、そのほとんどの子がよくいえば老成し、はっきりいえばふけていたからである。

彼が背広を着てネクタイを締めれは、背丈はともかく顔だけは立派なサラリーマンとして通用し、四十歳、五十歳の姿も容易に想像できるくらいなのだ。

   うちの近所にある進学塾に出入りしている男の子たちを見ても、やはり眼鏡をかけた老成したタイプが多い。

あるとき彼らの会話が聞こえてきたのだが、その深田祐介と大橋居泉のミニチュア版みたいなふたりは、まだ声は変わりもしていないというのに、将来の計画について話していた。

   「きみは長男だから、家と土地はもらえるんでしょう」

   「まあね」

   「いいなあ。

僕はおにいちゃんがいるから、家と土地はあっちにいっちゃって、自分で不動産を買わなきゃならないんだ」

   「それじゃ、よほどいい会社に勤めないと替えないぞ」

   「そうなんだ。

やっぱり年収がよくないとね。

それじゃなかったら株で儲けるとかさ」

   などと延々と会話は続き、一生勤めて退職金はいくらだの、奥さんの親にも助けてもらわなければなどといっているのだ。

人生設計などまるでなく、日々を行き当たりばったりで過ごし、これからもそうしょうと思っている私は、

   「ひえーつ」

   と、心の中でつぶやいてあとずさりしてしまった。

これではたかが十一、に歳で老成するわけである。

小学生で年収とか不動産取得のために妻の実家の援助まで計算しているなんてちょっと怖い。

彼らは人生設計の第一歩として有名私立中学校をめざす。

親にしてみれば成績のいい自慢の息子なのだろうが、私からみれば「子供」とは呼べない、不可思議な別の生き物なのだった。

ダイエット(12)

   女性誌を見ると相変わらずいろいろなダイエットの方法が載っている。

高校正のときに理想体重を十五歳キロオーバーしていた私は、どうやったら痩せられるかを考えない日はなかった。

   「そういう年頃なんだから、無理して痩せることなんかない。

体を壊すからやめなさい」

   まわりの大人たちは口を揃えていったが、とにかく頭の中には痩せることしかない私にはそんな忠告など何の役にも立たなかった。

だいたい同年輩の男の子たちの九十九パーセントは痩せた女の子が好きなので、明るい男女交際をするためにの第一歩としてダイエットは必要不可欠だった。

そして大学を卒業するまでダイエットということばは頭の中から離れなかったのである。

   同じゼミの男の子たちは、

   「僕たちはね、お金がなくてお腹いっぱい食べられないから、太れないの。

いわば自然ダイエットだね。

君たちも仲間に入らない?

   とダイエット、ダイエットと騒ぐ私たちをからかった。

喫茶店にいっては、ケーキやアイスクリームを食べ、そのうえ運動なんか全然しないのだから、晩御飯を減らしたって太るに決まっているのに、ダイエットということばを見ただけで痩せるような錯覚に陥っていたのだった。

   街で女子高校生がどうやったら痩せられるかを話しているのを小耳にはさむことがある。

たしかに太目の子もいるが、あのくらいの歳の人はどんな体型でもそれなりにかわいいし、みっともなくなんかない。

若さが体型の欠点をすべて吹き飛ばしてくれるのだ。

それがわかったのは私自身の若さが失われつつあることに気がついだからである。

しかしかつての私みたいに、彼女たちはいくらまわりからそういわれても「フン」と思うに違いない。

   あるとき知り合いの中年男性がいった。

  

   「女の子はどうして、何もしなくてもかわいらしいときにダイエットなんかして、ちょっと気にしてほしいなあという年齢になると何もしなくなっちゃうんでしょうかね」

   耳が痛いおことばであった。

ワープロ(13)

  ワープロが打てるのはかっこいいなと思

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