日本银元主要版别.docx
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日本银元主要版别
明治元年,日本由香港购得全套铸币机器(英国人的机器,1866至1868年曾在香港铸造过香港第一套货币),在大阪成立国家造币厂。
明治三年,造币厂落成,马上开铸银圆,大小币值分5钱?
10钱?
20钱?
50钱?
1圆5种,将“圆”定为日本的本位货币,即实行银本位制度?
日本初铸银圆,其意是驱逐当时在日本大肆横行的本洋(双柱)?
鹰洋,统一货币?
由于头版的龙银铸量少,人们一时不能接受,结果这场银圆日本龙洋大败而终,于是明治八年,日本又铸造了贸易银?
这种贸易银与旧版相比,成色不变,重量增加,结果又被民间收藏熔铸,日本再败一阵?
日本连败两阵后,马上应变,于明治十一年停铸贸易银,回复到明治三年的成色重量水平?
明治十一年至三十年,龙洋的铸造量逐步递增,进入了日本龙洋的黄金时代?
日本把枪头对外,军事?
经济均开始实行扩张,需要大量的殖民贸易货币?
此时的日本龙洋不但成功地在本土打了个漂亮的翻身仗,而且把影响力扩大到了东亚?
东南亚的广大地区,其中中国东北?
华东?
华南地区受其影响较深。
日本贸易银元是近代流入我国的外国银元当中数量较多,也较为常见的一个品种,因币面有飞龙图案,故在我国又称之为日本龙洋。
明治三十年,日本仿照西方当时的风气,实行金本位制,发行5?
10?
20圆等面值的金币,次年停铸银圆?
此项措施引起日本人的巨大恐慌,纷纷抛售银圆,套购黄金?
为了防止人们用龙洋到日本国内套换黄金,日本政府将手头上约2千万枚销往中国?
台湾?
朝鲜等地的各式龙洋经由东京?
大阪两厂打上“银”字?
所以明治三十年(含三十年)以前龙洋均有这种“银”字版存世?
分“左银”?
“右银”两种?
“银”字打在龙洋背面“一圆”两边的空白处?
“银”字在左,是大阪造币厂产品,称“左银”,18,350,000枚;“银”字在右,是东京造币厂产品,称“右银”,2,100,000枚?
也发现有把“银”字打在龙洋正面,或者直接打在“一圆”上面的,比较少见?
明治三十四年恢复铸造银圆,完全沿用明治三十年前的模式,直至大正三年(1914年)?
日本贸易银元是近代流入我国的外国银元当中数量较多,也较为常见的一个品种,因币面有飞龙图案,故在我国又称之为日本龙洋。
1868年,日本维新派发动政变推翻了德川幕府,成立了以明治天皇为首的维新政府,在富国强兵、文明开化、殖产兴业的宗旨下,实行了一系列改革,大力发展资本主义经济。
为适应对外经济和商品贸易的需要,维新政府从明治三年(公元1870年)开始,铸造发行面值1元的贸易银元,历时45年,直到大正三年(公元1914年)结束,累计铸造银元2亿枚。
日本银元(也称日本龙洋或龙番,1871-1897),成色90%,重416英厘。
流入中国约2000万元,流通于福建沿海、台湾、广东的潮汕和琼州、江西的九江和南昌、辽东半岛、山东半岛等处。
日本贸易银元有三种版式。
第一种是明治三年的贸易银元。
正面图案为圈珠环绕、光芒四射的太阳,珠外绕以樱花枝叶;背面为圈珠环绕的飞龙,珠外绕以“大日本?
明治三年?
一圆”的汉字,币上飞龙图案以顺时针方向盘旋,腾云驾雾,呼之欲出,颇具美感和神韵。
其铸量为368.5万枚。
第二种是明治七年所铸的版式。
正面图案为汉字“一圆”,上方为太阳图案,周围以樱花枝叶环绕,下部图案为绸带扎成的同心结;背面为圈珠环绕的飞龙戏珠图案,龙外圈珠,珠外有“大日本?
明治八年(或其余年号)”和“416稯NEYEN?
00”字样。
明治七年版的贸易银元铸量为94.2万枚。
第三种是明治八年、九年、十年的版式。
与第二种版式的不同点即将正面“一圆”汉字改为“贸易银”3字。
其中,明治八年的贸易银元仅铸13.9万枚。
这里需要说明的是,有一部分明治三十年以前的贸易银元打有“银”字戳记,但由于打戳记费工费时,又人为地损坏了银币,也没有实际意义,所以明治三十年以后的贸易银元就不再打戳记了。
因此有“银”字戳记的贸易银元比较稀少,与同年号、同品相的贸易银元相比,在价格上还要高出二三成。
至于日本贸易银元上的其它戳记,都是
清末民国时期地方商业银行、私人银楼、钱庄验收时留下的印记,不能与“银”字戳记同值相待,如币面上有之,其价格也将大大地缩水。
明治八年“贸易银”版式的贸易银元,在当时铸造发行量就很小,经过100多年岁月的洗礼,存世珍罕,品相八成的,价格高达人民币5至8万元。
其次是明治七年的贸易银元,价格达1至3万元。
另外,明治三年、八年(壹圆版)、九年、十年、十一年、十二年的贸易银元,价格在一千至一万元之间。
如1997年上海首届银币铜元拍卖会上,明治十年的贸易银元以7600元、明治八年的贸易银元(壹圆版)以4000元的价格成交;2003年中国嘉德拍卖会上,明治十二年的贸易银元以5000元的价格成交。
但明治二十七年、大正三年的贸易银元由于铸量大、存世多,其价格一般在100至200元之间,其余的贸易银元存世量也不算少,价格都在数百元之间。
日本贸易银元铸工精良、制作精美、成色统一,分为大版、小版两种。
大版重27.23克左右,直径为38.6毫米,含银量90%,明治三年至十八年的贸易银元均为大版。
小版重26.96克左右,直径为38.2毫米,成色90%,明治二十一年以后的贸易银元均为小版。
明治十九年、二十年为过度期,贸易银元大、小版均有。
俗话说物以稀为贵,受到近年国内旧版银元收藏热的影响,日本贸易银元的价格也在不断上涨,增值势头强劲。
明治八年“贸易银”版式的贸易银元,在当时铸造发行量就很小,经过100多年岁月的洗礼,存世珍罕,品相八成的,价格高达人民币5至8万元。
其次是明治七年的贸易银元,价格达1至3万元。
另外,明治三年、八年(壹圆版)、九年、十年、十一年、十二年的贸易银元,价格在一千至一万元之间。
如1997年上海首届银币铜元拍卖会上,明治十年的贸易银元以7600元、明治八年的贸易银元(壹圆版)以4000元的价格成交;2003年中国嘉德拍卖会上,明治十二年的贸易银元以5000元的价格成交。
但明治二十七年、大正三年的贸易银元由于铸量大、存世多,其价格一般在100至200元之间,其余的贸易银元存世量也不算少,价格都在数百元之间。
xx银币资料
一圆币
旧一圆银币
明治3年
(1870):
3,685,049枚(普通圆有轮、普通圆无轮、正贝圆、欠贝圆)-
大型新一圆银币
明治7年
(1874):
942,006枚(前期,后期,深彫,浅彫)
明治8年
(1875):
139,323枚(深彫,浅彫)
明治11年
(1878):
856,378枚(深彫,浅彫)
明治12年
(1879):
1,913,318枚
明治13年
(1880):
5,247,432枚
明治14年
(1881):
2,927,409枚(正常、降四)
明治15年
(1882):
5,089,064枚
明治16年
(1883):
3,636,678枚
明治17年
(1884):
3,599,192枚
明治18年
(1885):
4,296,620枚
明治19年
(1886):
9,084,262枚(前、后期)
明治20年
(1887):
8,275,787枚(大小型总数)-小型新一圆银币
明治20年
(1887):
8,275,787枚(大小型总数)
明治21年
(1888):
9,477,414枚
明治22年
(1889):
9,295,348枚
明治23年
(1890):
7,292,877枚
明治24年
(1891):
7,518,021枚
明治25年
(1892):
11,187,613枚(前、后期)
明治26年
(1893):
10,403,477枚
明治27年
(1894):
22,118,416枚
明治28年
(1895):
21,098,754枚
明治29年
(1896):
11,363,949枚
明治30年
(1897):
2,448,694枚
明治34年
(1901):
1,256,252枚
明治35年
(1902):
668,782枚
明治36年
(1903):
5,131,096枚
明治37年
(1904):
6,970,843枚
明治38年
(1905):
5,031,503枚
明治39年
(1906):
3,471,297枚
明治41年
(1908):
334,705枚(特年)
明治45年
(1912):
5,000,000枚
大正3年
(1914):
11,500,000枚-贸易银
明治8年
(1875):
97,575枚
明治9年
(1876):
1,514,629枚
明治10年
(1877):
1,125,273枚
五十钱
旭日龙大型50xx银币
明治3年
(1870):
1,806,293枚(
3、4年总数)
明治4年
(1871):
1,806,293枚(前、后期)-旭日龙小型50钱银币
明治4年
(1871):
2,648,309枚(大龙21.0mm、小龙19.0mm)-龙50钱银币
明治6年
(1873):
3,447,733枚(正常、长年)
明治7年
(1874):
枚明治9年
(1876):
枚明治10年
(1877):
枚明治13年
(1880):
枚明治18年
(1885):
409,920(特年)
明治30年
(1897):
5,078,437枚
明治31年
(1898):
22,797,041枚
明治32年
(1899):
10,254,431枚
明治33年
(1900):
3,280,91枚
明治34年
(1901):
1,790,000枚
明治35年
(1902):
1,023,280枚
明治36年
(1903):
1,503,068枚
明治37年
(1904):
5,373,652枚
明治38年
(1905):
9,566,100枚-旭日50钱银币
明治39年
(1906):
24,062,952枚(
39、40年总数)
明治40年
(1907):
24,062,952枚(
39、40年总数)
明治41年
(1908):
25,470,371枚
明治42年
(1909):
21,998,600枚
明治43年
(1910):
15,323,276枚
明治44年
(1911):
9,900,437枚
明治45年
(1912):
3,677,704枚
大正元年
(1912):
1,928,649枚
大正2年
(1913):
5,910,063枚
大正3年
(1914):
1,872,331枚
大正4年
(1915):
2,001,253枚
大正5年
(1916):
8,736,768枚
大正6年
(1917):
9,963,232枚-八咫乌50钱银币
大正7年
(1918):
枚大正8年
(19):
枚-
小型50xx银币
大正11年
(1922):
76,320,000枚
大正12年
(1923):
185,180,000枚
大正13年
(1924):
75,520,000枚
大正14年
(1925):
47,808,000枚
大正15年
(1926):
32,572,000枚
昭和3年
(1928):
38,592,000枚
昭和4年
(1929):
12,568,000枚
昭和5年
(1930):
10,200,000枚
昭和6年
(1931):
27,677,501枚
昭和7年
(1932):
24,132,795枚
昭和8年
(1933):
10,001,973枚
昭和9年
(1934):
20,003,995枚
昭和10年
(1935):
11,738,334枚
昭和11年
(1936):
44,272,796枚
昭和12年
(1937):
48,000,533枚
昭和13年
(1938):
3,600,717枚
二十钱
旭日xx20xx银币
明治3年
(1870):
4,313,045枚(
3、4年总数)
明治4年
(1871):
4,313,045枚(正常、欠钱)-龙20钱银币
明治6年
(1873):
6,214,284枚(正常、欠日)
明治7年
(1874):
3,024,242枚
明治8年
(1875):
612,736枚(前期、后期,特年)
明治9年
(1876):
9,200,892枚(前期、后期)
明治10年
(1877):
5,199,731枚
明治13年
(1880):
96枚
明治18年
(1885):
4,205,723枚
明治20年
(1887):
4,794,755枚
明治21年
(1888):
703,920枚(特年)
明治24年
(1891):
2,500,000枚
明治25年
(1892):
3,054,693枚
明治26年
(1893):
3,445,307枚
明治27年
(1894):
4,500,000枚
明治28年
(1895):
7,000,000枚
明治29年
(1896):
2,599,340枚
明治30年
(1897):
7,516,448枚
明治31年
(1898):
17,984,212枚
明治32年
(1899):
15,000,000枚
明治33年
(1900):
800,000枚
明治34年
(1901):
500,000枚(特年)
明治37年
(1904):
5,250,000枚
明治38年
(1905):
8,444,930枚-旭日20钱银币
明治39年
(1906):
6,555,070枚
明治40年
(1907):
20,000,000枚
明治41年
(1908):
15,000,000枚
明治42年
(1909):
8,824,702枚
明治43年
(1910):
21,175,298枚
明治44年
(1911):
500,000枚(特年)
十钱
旭日xx10xx
明治3年
(1870):
6,102,674枚-龙10钱
明治6年
(1873):
5,109,951枚
明治7年
(1874):
10,221,571枚
明治8年
(1875)(前后期):
8,977,419枚
明治9年
(1876):
11,890,000枚
明治10年
(1877):
20,352,136枚
明治13年
(1880):
枚明治18年
(1885):
9,763,333枚
明治20年
(1887):
10,421,616枚
明治21年
(1888):
8,177,229枚
明治24年
(1891):
5,000,000枚
明治25年
(1892):
5,000,000枚
明治26年
(1893):
12,000,000枚
明治27年
(1894):
11,000,000枚
明治28年
(1895):
13,719,054枚
明治29年
(1896):
15,080,506枚
明治30年
(1897):
20,357,439枚
明治31年
(1898):
13,643,001枚
明治32年
(1899):
26,216,579枚
明治33年
(1900):
8,183,421枚
明治34年
(1901):
797,561枚(特年)
明治35年
(1902):
1,204,439枚(特年)
明治37年
(1904):
11,106,638枚
明治38年
(1905):
34,182,194枚
明治39年
(1906):
4,710,168枚-旭日10钱
明治40年
(1907):
枚明治41年
(1908):
枚明治42年
(1909):
20,279,846枚
明治43年
(1910):
20,339,816
明治44年
(1911):
38,729,680枚
明治45年
(1912):
10,755,009枚
大正元年
(1912):
10,344,307枚
大正2年
(1913):
13,321,466枚
大正3年
(1914):
10,325,327枚
大正4年
(1915):
16,836,225枚
大正5年
(1916):
10,324,179枚
大正6年
(1917):
35,170,906枚-八咫乌10钱银币
大正7年:
大正8年:
五钱
旭日xx5xx
明治3年及4年(1870,1871):
1,501,473枚-大字5钱
明治4年前后期
(1871):
1,665,613枚-龙5钱
明治6年
(1873):
5,593,172枚
明治7年
(1874):
7,806,493枚(特年)
明治8年
(1875):
6,396,784枚
明治9年
(1876):
5,546,424枚
明治10年
(1877):
22,024,167枚
明治13年
(1880):
79枚
停息
http: