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日常生活の美学日语学习

 

日常生活の美学

-モダニズムと「いき」-

 

原題:

AnAestheticsofEverydayLife

-ModernismandaJapanesePopularAestheticIdeal,Iki -

 

山本有二

 

書式付版版番号0.66(2000年4月21日改訂)

電子版注

著作権に関する注、電子版技術的注を文書末に付す。

本文書の最新版はhttp:

//purl.org/yuji/papers/papers-j.htmにて入手できる。

本文(和文)は、修士号取得の要件の一部として1999年5月14日にシカゴ大学人文学部(ジェイムス・ケトラー、W.J.トマス・ミッチェル両教授)へ提出された修士論文(英文)に加筆したものの日本語版である。

原文は英語圏読者を想定して執筆されたため、日本語版執筆にあたって日本の読者には不要の解説は省いた。

英文、仏文からの引用文は、別記されていなければ山本による翻訳である。

なお本論文の原文では「いき」はikiと表記されている。

「いき」の日本語での表記の方法は十数種以上が記録されているが、粋(いき)と表記されるのが現在最も一般的である。

だが、粋(すい)と区別するため、この日本語要約では基本的に「いき」と表記する。

また九鬼周造全集は本文に旧字体を含んでいる個所があるが、引用文は適宜新字体に改めた。

0.序文

浮世絵を始めとする十九世紀の日本の大衆文化は近代西洋における芸術運動―アーツ・アンド・クラフツ、アール・ヌーヴォー、印象主義、フォーヴィスムなど―に大きな影響を与えた。

日本の建築が西洋における浮世絵の最初期のコレクターでもあったアメリカ近代建築の巨匠、フランク・ロイド・ライト(1869-1959)に与えた影響も見逃せない。

これらの影響は日本文化を西洋的価値観―芸術においては美的理念―において解釈されたものである。

しかしこれらの解釈は「西洋が非西洋を解釈する」という一方通行になりがちであった。

その逆、つまり非西洋的理念を西洋の事物に適用する試みは積極的に行われなかった。

そうすることが無益であったからだろうか。

あるいはそれは不可能と考えられたのだろうか。

「東洋は東洋、西洋は西洋、二つが

えることは決してないであろう」というキプリングの一節に首肯する者は今日稀であろう。

だが、ヴァナキュラー(vernacular)な理解を通して文化が説明されることなしには、この一節もまた真となる可能性がある。

日本の美的理念「いき」は、日本文化のモダニズムの流れ全体への貢献の性質を明らかにする上で、ヴァナキュラーな美的理念の好例といえる。

十八世紀後半から近代前夜にかけて当時世界最大の百三十万の都市人口を有していた江戸において、幅広く民衆に支持されていたという点で「いき」は日本の数多くの美的理念の中でも特殊な位置を有する。

その含意するところは今日まったく同じではないにせよ、「いき」は日本の近代化を生き延び、今日日常生活において浸透している。

ヴァナキュラーな美的理念を西洋の芸術作品に適用することは有益であるのみならず、非西洋的理念がこれらの作品にどのように影響したかということをより深く理解する上でも必要である。

そのような美的理念はときに「作品」(workofart)という西洋の芸術において当然の前提とされている概念すら揺るがすことがある。

「いき」がどのように西洋の作品に見出しうるかの一例として、ライトの代表作の一つであるロビー邸をとりあげる。

1.歴史的文脈における「いき」

「いき」は十八世紀後期の江戸の町民―都市生活者に由来する。

同時期に流通した美的理念「通」はより知的な性格を持つことは諏訪らによって指摘[1]されている。

「いき」は町民にとっては広い関心を持たれていたが、江戸期においては学術的主題として取り上げられることはなかった。

この点は西洋においては美的理念のほぼすべてが徹底した学術的吟味を経ていた「学術的主題」として扱われていたことと比較して注目に値する。

「いき」は、九鬼周造の『「いき」の構造』(1930)によって初めて本格的に学問的に取り上げられた。

今日、「いき」は「江戸っ子」や東京の人に限られたものではなく、日本人全体に受け入れられている。

西山は「『いき』」の美意識は、日本人共有のものである」[2]述べている。

日本の美学はあはれ、をかし、わび、さび、余情、幽玄など多くの美的理念を生み出した。

だがこれらの理念は歴史的色彩が濃く、現代の日常生活に常に親しいとは言いがたい。

それに対し、「いき」は今日の日本語でさかんに用いられる標準的な語彙のひとつと言える。

遠藤由紀子と本間道子は「いき」という語に関する調査(1963)において「いきはその原義からかなりのずれを伴ないながらも現代においてまだ死語とはなっていないし、一部の人々のあいだにはかなり積極的な価値を付与されて用いられてもいる」[3]と結論づけている。

「いき」は前近代から近代を通して、また江戸から今日にかけて人々に受け継がれていると言えよう。

「いき」は俗悪と超越的という両極端を避けたため、日本の美的理念の中で現代でも生き残ることができたのである。

2.『「いき」の構造』再検討

2.1.『「いき」の構造』批判

それまでの歴史の中で直接学問的対象とならず、いわば閉ざされた概念であった「いき」を、九鬼は『「いき」の構造』においてひとつの美的理念として、近代的な思想の中で理論的に位置付けようとした。

「いき」に関する後世の多くの著作はこの文章に深く負っている。

九鬼の「いき」の研究は極めて重要なものであるが、「いき」に対する決定的な説明とはいえない。

そして『「いき」の構造』は、異文化間の美意識の流通、普遍性と特殊性という観点から、主に以下の三点からの批判を免れない。

第一は、西洋の、特にハイデッガーの論理と方法論、また西洋の芸術作品の例を用いながらも、なお西洋が「いき」を理解することを懐疑するという矛盾である。

「いき」は九鬼が主張するように排他的で固定された理念ではなく、相対的で柔軟である。

九鬼自身、「いき」が特定の対象に固定された価値ではないことを、より「いき」である縦縞よりも状況により横縞が「いき」となりうることを図らずも示している。

[4]「いき」の用法と意味するところは実際多様であり、不安定である。

第二に、九鬼は「いき」に対して過剰なまでに哲学的操作(philosophization)を加え、町人、特に「江戸っ子」の役割を軽視し、むしろ武士道を「いき」の精神的基盤と捉える曲解を行った。

レスリー・ピンカスは「『「いき」の構造』においては、大衆文化の諸様式と徳川期社会の物質的変遷との繋がりは事実上消え失せている」[5]と指摘した。

九鬼は「いき」の重要な面のいくつかを明らかにしたが、大衆の日常生活に根ざした美的理念としては哲学的操作が行き過ぎた。

第一、第二の点に関連して、第三の点として、九鬼は「いき」を美学全体の中で位置付ける上においての「日常性」を看過した。

第一、第二の点に関しては続く項で、また第三の点については後の章でより深く触れる。

2.2.江戸町人の美学

九鬼の哲学的観察とは矛盾するが、「いき」は気まぐれで即興的であり、知的分析を拒否し、ときには表面的で俗悪な面も有していた。

安田[6]はその他の日本の美的理念わび、さびを「聖なる美意識」、「いき」を「俗なる美意識」と対比させている。

(竹内、諏訪、中尾、西山らの引用。

洒落本『大通法語』(1779))喜田川守貞が著した江戸時代の百科事典的風俗誌である『守貞漫稿』(1853)には「俗間ノ流行ニ走ル者ヲ京坂ニ粋ト云。

江戸ニテ是ヲ意気ト云」[7]という記述があり、「いき」の表面性を示している。

また斎藤隆三、赤堀又次郎、宮武外骨らは江戸っ子らは自らの貧しさと無学をそのまま受け入れるのではなく、むしろ彼らが金銭に関する気前よさを誇り、反知識人的態度を標榜して、武士の権威に挑戦していたことを指摘している。

[8]中尾は「いき」の支持者である江戸っ子について「…袢天着、すなわち、職人階級や準職人階級に属する者たちは、腕に誇りを持っているため、読み書きの力や教養などを身につけることはしなかった。

むしろ空意地でその必要を認めなかった。

」[9]と述べている。

(川柳における例。

)「いき」は江戸文学で頻繁に登場する。

山東京伝の黄表紙『江戸生艶気樺焼』(1785))二葉亭四迷は言文一致体を生み出すにあたって、以下のように述べている。

「…僅に參考にしたものは、式亭三馬の作中にある所謂深川言葉といふ奴だ。

「べらぼうめ、南瓜畑に落っこちた凧ぢゃあるめえし、乙うひっからんだことを云ひなさんな」とか、「井戸の釣瓶ぢゃあるめえし、上げたり下げたりして貰ふめえぜえ」とか、「紙幟の鍾馗といふもめッけへした中揚げ底で折りがわりい」とか、乃至は「腹は北山しぐれ」の、「何で有馬の人形筆」のといった類で、いかにも下品であるが、併しポエチカルだ。

俗語の精神は茲に存するのだと信じたので、これだけは多少便りにした…」[10]

多田[11]、南[12]、ピンカス[13]らはいずれも『「いき」の構造』が武士道に「いき」の起源を求める点についての批判を行った。

また南は武士以外の権威としての、深川芸者が客を選ぶ「さし」の権利を指摘した[14]。

野暮な武士、浅黄裏(浅葱裏)、武左、新五左は江戸っ子に侮蔑されたが決して「いき」とは呼ばれなかった。

永井荷風は浮世絵を被支配階級による「いき」の表出の例として、次のように述べている。

「浮世絵は隠然として政府の迫害に屈服せざりし平民の意気を示し其の凱歌を奏するものならずや。

」[15]この一文は「いき」が武士ではなく、町人のものであることを示している。

2.3.「いき」の西洋における理解は不可能か

九鬼の対象は日本的現象であったにも関わらず、『「いき」の構造』における手法は西洋、特にハイデッガーの解釈学であった。

興味深いことにこの著作の草稿は、主題が日本の美的理念であるにも関わらず、パリで書かれた。

レスリー・ピンカスはカントの「判断力批判」(いわゆる第三批判)からの影響[16]を指摘している。

少なくともカントにとって美学的判断は普遍的でなければならなかった。

九鬼は自らの議論を擁護するために、日本の例の他に多くの西洋の思想家と詩人(ゼノン、ロスリン、ビラン、ニーチェ、ヴァレリー、ベルクソン)またエル・グレコ、ロダン、そしてショパンなどの芸術家を挙げている。

その一方で、彼はこの書を日本語で書いている。

フランス語、ドイツ語でも文章を残している九鬼がとりわけ日本語で書いたことにはある理由が想像される。

西洋の概念を用いて日本の概念を説明すること自体が問題なのではない。

だが九鬼の西洋における理解を悲観的とする見方は、彼自身の西洋の概念への依存と明確に矛盾する。

九鬼のこの非一貫性の裏には日本の近代化/西洋化への皮肉なジレンマがある。

それは九鬼と近代の日本の知識人によって共有された西洋への両価感情(アンビヴァレンス)である。

ピンカスは『「いき」の構造』が抱えたジレンマを次のように要約する。

皮肉にも『「いき」の構造』という理論的成語は、日本の文化的正当性が固有の過去に根を持つことを示そうとする目的のためにつくり上げられ、同時に当時の日本を前近代から不可逆的に分離する異質な現代という幕間の証人となった。

[17]

ヨーロッパで長期間生活する日本人が、その町並みや、成熟した人心、学問的伝統に触れて感動する一方で、あからさまな差別的待遇を受けることもまたないとはいえない。

九鬼は自作の詩集「巴里心景」の中で「黄色い顔」と題する一編を残している。

「…

かう申しては失礼ながら

支那人と日本人

慢性の黄疸病とやらに罹つて……

と、かう私共欧州人は

実のところ考へてゐるのです。

…」[18]

この「白色の俗人」の言葉に、「黄色の実証論者」、「黄色の形而上学者」、「白色の批評哲学者」がそれぞれ、あくまで「黄色い顔」が差別的であるという点に触れずに自分の考えを冷静に述べる皮肉な詩である。

おそらく九鬼は心無い差別的な言葉を投げかけられ、腹にすねかえてこの詩を作ったのであろう。

永井荷風もまたアメリカで四年、フランスに一年滞在して帰国後に江戸趣味への傾斜をいっそう深めた。

九鬼の日本への回帰は、欧米への憧憬と共にこのような被差別感情がひとつの要因となっていると考えられる。

2.3.1.西洋へのアンビヴァレンス-他者としての西洋

九鬼の西洋に対する非一貫的な立場を理解するには、まず西洋がどのように日本人に受け止められてきたかに触れる必要がある。

西洋(theWest)という一般的な語は、その漠然さゆえに西洋の人々にとっては違和感を持たれる語であろう。

この語は日本人にとってはまた単なる地理的名称以上のある特有のイメージを伴っている。

それはエドワード・サイードが西洋的文脈の中で「オリエント」がいかに捉えられ(誤解され)てきたかを示したように、東洋人が「東洋」という言葉に違和感を覚えるのと同様である。

オスカー・ワイルドは西洋人の日本に対する幻想に対して警告を発した。

日本にとっては西洋は文化的な他者であり、西洋化/近代化は日本人の自己同一性を脅かした。

(自己同一性の観念そのものが西洋化の産物でもあるが)(西洋化と近代化の比較。

)ピンカスは九鬼の「いき」に対する哲学的操作を「近代化の要請」に対する「美学的防衛」であると呼んだ。

[19]

ハイデッガーは日本人との対話[20]の中で「あなたは私が九鬼伯爵としばしば議論した異論の多い疑問について触れていますね。

つまり東アジアの人々にとって、ヨーロッパの概念体系を追いまわすのが必要且つ正当なことであるかという疑問です。

」[21]と警告する。

日本文化の特殊性はしばしば日本論、または日本人論において誇張されており、『「いき」の構造』もその中に数えられる。

しかし「日本人特殊論」を攻撃する場合は、文化的帝国主義に陥る危険性を知らなければなるまい。

日本の思想を西洋の思想と連関させることは、日本の知識人にとって、十九世紀末に西洋の思想に出会ったときから今日に至るまで重要な問題であった。

ハイデッガーの対話における「ある日本人」手塚はハイデッガーの問いに対し、日本語は「決定的な秩序の中で上下に相互関連する対象を示すための境界を定める力を欠く」[22]と応えている。

2.3.2.「いき」の相対性

九鬼は近代化/西洋化される日本を嘆いていた。

の自らの文化を失う不安に対しては同情するが、「いき」の研究は日本美学のみならず、比較美学の観点からも有用である。

九鬼は「厳密なる意味」[23]を「いき」に求めようとするが「いき」は相対的且つ柔軟な価値であり、絶対的で排他的ではない。

竹内は江戸の文学と俗謡に表れる「いき」の表記を十四例(粋、意気、趣向、当世、好風、好意、好漢、好雅、風雅、大通、通人、程、秀美、花美)[24]挙げているがそのひとつひとつが微妙に異なったニュアンスを持っている。

九鬼自身もまた「いき」に対して四種の異なる表記(生、息、行、意気)を挙げている。

[25]九鬼自身がしたように「いき」がひらがなで表記された場合は特に、その正確な意味はより決定しがたい。

また「いき」の表出は縦縞と横縞の例に見られるように、状況と文脈に深く依存する。

3.日常美学としての「いき」の再文脈化

3.1.日常生活に根ざすオルターナティヴな美学としての「いき」

自らの西洋的手法にも関わらず、九鬼は西洋における「いき」を認めていないため、彼の文章は西洋の読者を前提としていない。

九鬼は「いき」を日本的なるものとして正当化するため、「いき」における日常性を軽視したと考えられる。

九鬼が逸した点は、「いき」は第一義的には芸術的経験より日常的経験における美的理念であるという点である。

多田は「いき」を「俗なる美意識」[26]と呼んだ。

日常性のみが「いき」の包括的な条件ではない。

だが、「いき」における日常性は、芸術と芸術作品に根ざした西洋美学と比較し、その位置を明らかにするために注視することが必要である。

日常性を反映させ、西洋の理念との比較のために二つの軸を「いき」についての議論に付け加えたい。

それは単純性と黙示性である。

3.2.形態的「いき」と状況的「いき」

「いき」の単純性と黙示性について触れる前に、二つの観点を導入するのが有用と考えられる。

それは「いき」を形態的(formal)「いき」と状況的(situational)「いき」に分類することである。

九鬼は「いき」に関して、人の性格のような「意識現象」と外見、行為、服装などの「客観的表現[27]」を区別した。

九鬼にとって「いき」は、「民族的具体の形で体験される意味」であり、彼はまず「いき」は意識現象として、その次に客観表現として[28]理解されるべきであるとした。

ここでも彼は論理的なつまずきを見せている。

もし日本人読者が「いき」とは何物であるか理解しているとすれば、「いき」について説明を加える行為の意味がなくなる。

言い換えると、説明が日本人にとって意味があるものであれば、非日本人にとっても何がしかの意味があるはずである。

「いき」の説明可能性を示すために、九鬼とは異なる「いき」の分類を提起したい。

それは形態的と状況的「いき」である。

形態的「いき」は物の形態、形相において表出する「いき」である。

それに対し、状況的「いき」とは特定の物ではなく、その場の状況全体について表出する「いき」である。

状況的「いき」には行為、察知、ある人物の生き方、ある場所の雰囲気、自然現象などが含まれる。

形態的「いき」と状況的「いき」は相互に連関しており、排他的ではない。

だが「いき」を興味深い理念としているものは「いき」が状況的たりうる点である。

その点において、「いき」は「状況の美学」ともいえるであろう。

それに対し西洋の古典的美術作品は状況に依存しない。

(いわゆる)『モナ・リザ』はルーブル美術館にあっても、個人の邸宅にあったとしてもそれが真正の作品である限り、そして西洋的美学の立場に立つ限り、何ら作品の美的価値に変化はない。

現代の日本語において「いき」は形態的な意味よりも、状況的な意味において適用されることが多い。

例えば、九鬼が指摘するようには「いき」な色(鼠色、茶、青[29])に関してそれほど明確な合意があるとは考えられない。

だが「いき」は現代において、例えばある行動の質、要素の組み合わせ、そして色自身よりは色の用い方などについて言及される。

九鬼が行っているような形態的「いき」の分析には「いき」の持つ柔軟性を単に色やデザインの好みに還元してしまう危険性がある。

「いき」とは相対的で文脈に依存するものであり、状況的「いき」はより柔軟な解釈を可能にする。

3.3.「いき」における単純性

単純性(simplicity)はわび、さびなどの日本の美的理念にも共有されているが、「いき」の非日本的美的理念との比較において重要な役割を持つ。

「いき」の単純性は視覚的レベルにおける幾何学的単純性、そしてより抽象的な構造的単純性がある。

前者は形態的「いき」、そして後者は状況的「いき」に対応する。

九鬼が『「いき」の構造』において「いき」の芸術的表出について触れるとき、次の点に留意すべきである。

それは九鬼の結論とは矛盾するが、「いき」の表出は日本に固有の現象ではなく、日本以外においても流通可能だということである。

「いき」の概念が普遍的に見られないことは、「いき」が日本の外で理解されないということにはならない。

(九鬼の縞に対して卍や放射状の模様が「いき」でないという主張。

)皮肉にも建築家ルドヴィッヒ・ミース・ファン・デア・ローエのモットー、"lessismore"は図らずも西洋芸術における絶えざる装飾的衝動、あるいは単純性に対する遺伝的嫌悪を明らかにしている。

それというのもこのモットーは一般的には"moreisbetter"であることを踏まえ、彼自身としては"lessisbetter"であることを主張しているのであるから。

このことは単純性が西洋で美学的問題とならなかったということを意味しないが、ウィリアム・モリス、ウォルト・ホィットマン、ヘンリー・デイヴィッド・ソローなどの単純性の礼賛、そしてモダニズムが到来するまでは、単純性は民衆に広い支持をうることはなかった。

モダニズムこそが単純性の美を日常生活にもたらしたのである。

これに対し、日本語においては「あっさり」「さっぱり」「すっきり」「素朴」といった語が従来からあり、「きれい」という語が余分なものがないことと同時に美しいことを指すのである。

九鬼はジャン・アントワーヌ・ワトー、コンスタンタン・ギース、エドガー・ドガなど具象画家のみを挙げて彼と同時代の抽象画家を挙げないのは奇妙である。

[30]九鬼は単純性の追及に関しては近代の抽象画家と驚くほど明確な類似を見せている。

原色の使用は九鬼の言う「いき」な色(鼠色、茶、青)とは必ずしも一致しないが、抽象絵画の幾何学的な単純性、特にモンドリアンの構成においては「いき」の要素が認められる。

(デュシャンの「反芸術」としてのレディ・メイド、また「見出されたオブジェ(オブジェ・トゥルヴェ)」と、「非芸術」としての状況的「いき」の類似。

デュシャン、L.H.O.O.Q.における状況的「いき」。

以下略)「いき」においてシンプルであること、あるいは日常生活における単純性への志向はそれ自体、美的快感を生む美的経験を形作る。

「洗練された素朴さ」という撞着語(オクシモロン)は「いき」の単純性をよく言いあらわしている。

3.4.「いき」の黙示性-反例としての美術館

「いき」は明示性、雄弁、冗長性を避ける。

黙示性(implicitness)は、単純性とともに「いき」の理解に加えるべきもうひとつの軸である。

美の概念は「私は美しい」といった自己主張的宣言のナルシシズムを許容する。

ナルシシスト的な宣言自体はその発言者の美の質には影響しない。

(つまり美しい人が「私は美しい」ということは美しくない人がそのような宣言をすること同様、十分にありうる)だが「いき」の場合、「私は『いき』だ」と言うことはありえない。

なぜならば「いき」は自己主張的、明示的であってはならず、さりげなく(inconspicuous)、黙示的でなければならないからである。

このようなさりげなさ、黙示性により「いき」は「背中の美学」であるとも言える。

面と向かい合うことは「いき」ではなく、「いき」の表出には見出されない。

西山は菱川師宣の(いわゆる)「見返り美人」[31]を「いき」の表出の例としてあげている。

この浮世絵の女性像を西洋の古典的な肖像、例えば見るものをまっすぐに見返してくる(いわゆる)「モナ・リザ」と比較すれば違いは明らかである。

アメリカ人画家ジェイムズ・モンゴメリ・フラッグによるよく知られた徴兵用宣伝ポスター、アンクル・サムが見るものに指をつきつけるIWantYou(1917)に類似した浮世絵を見つけることは不可能に近い。

これは浮世絵が宣伝的ではないということではなく、見るものを見つめ返すということが「いき」ではないからである。

どの浮世絵においても、姿勢のみならず、感情においても見るものを見つめ返す姿勢がとられることはない。

和服の帯の装飾的な鑑賞の中心は背中の結びであり、腹側ではない点も注目に値する。

抜き衣紋におけるうなじが「いき」であることは、背中を見せることが身体的な「いき」の表出において重要であることを確認する。

身体的「いき」の表出に関して、二人の人物、特に現実や映画などにおける一組の男女の相対的な位置として、最も「いき」な位置を決定することが可能であろう。

それはおそらく背中合わせである。

多田は、向かい合う抱擁に対して、背中合わせが九鬼の言う、男

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