日语论文从《青梅竹马》看樋口叶的写实主义.docx
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日语论文从《青梅竹马》看樋口叶的写实主义
学士学位论文
论文题目:
从《青梅竹马》看樋口一叶的写实主义
姓名高建军
学院外国语学院
专业日语
年级2008级
学号081411106
指导教师蔡晶纯
2012年5月25日
『たけくらべ』から樋口一葉のリアリズムを見る
学生氏名:
高建軍
指導教官:
蔡晶純
魯東大学外国語学院学士学位申請論文
2012年5月25日
毕业论文选题报告
姓名
高建军
性别
女
学院
外国语学院
年级
2008级
学号
20081411106
论文题目
从《青梅竹马》看樋口一叶的写实主义
『たけくらべ』から樋口一葉のリアリズムを見る
课题来源
教学
课题类别
基础研究
选做本课题的原因及条件分析:
樋口一叶是日本明治时代独放异彩的一位职业女性作家,被誉为“明治紫式部”。
在她那彗星般短暂的生涯中创作了大量的小说,每篇都散发着独特的艺术魅力。
其中最具影响力的是《青梅竹马》。
此作品轰动一时,大受日本评论家的赞扬。
因此,想通过分析她的这部作品来深入了解这位明治时期,只有小学水平,却被文学大家森鸥外誉为“真正诗人”的女性作家。
关于《青梅竹马》的写实主义,在日本和中国学术界都有很多相关的研究和评论。
通过互联网以及图书馆可以获得大量资料。
从目前的情况来看,资料收集得比较顺利。
同时在老师的指导下,相信一定能够顺利完成本论文的写作。
指导教师意见:
樋口一叶是日本近代文学史上第一位独放异彩的女性作家。
其代表作《青梅竹马》曾受到森鸥外的高度评价,该生通过查找大量资料,对这部作品已充分了解。
该论文拟通过作品《青梅竹马》来探析樋口一叶的写实主义精神,该选题具有一定的研究价值,建议充分结合作品的创作背景来进行具体分析。
总体来看,已具备了毕业论文写作的基本条件,同意该选题。
签名:
2011年12月25日
学院毕业论文领导小组意见:
(签章)
2012年1月5日
毕业论文开题报告
姓名
高建军
性别
女
学院
外国语学院
年级
2008级
学号
081411106
预计完
成时间
2012年
5月25日
论文题目
从《青梅竹马》看樋口一叶的实主义
『たけくらべ』から樋口一葉のリアリズムを見る
课题来源
教学
课题类别
基础研究
指导教师
蔡晶纯
毕业论文实施方案:
1.选择论文题目,规划完成论文的日程安排;2.充分利用图书馆、资料室、网络等手段,搜集相关资料;3.对搜集的资料进行筛选和整理,并认真分析与论文关系密切的资料;4.在对资料进行认真分析的基础上,发现问题,得出自己的结论;5.构筑论文大体框架,做好写作纲要;6.着手论文的详细写作;7.修改并最终完成论文。
论文主要内容(提纲):
1.0はじめに
2.0先行研究
3.0樋口一葉について
5.0『たけくらべ』について
4.0『たけくらべ』から見た樋口一葉のリアリズム
5.1社会背景から
5.2人物像から
5.3美登利と信如の恋から
6.0終わりに
指导教师意见:
该论文设计合理,通过作品《青梅竹马》来论述樋口一叶的写实主义,提纲明确,具有一定的研究价值。
论文准备工作较为充实,资料收集翔实,研究方法得当,速度安排合理。
同意开题。
签名:
2012年3月15日
学院毕业论文领导小组意见:
(公章)
2012年3月17日
毕业论文结题报告
姓名
高建军
性别
女
学院
外国语学院
年级
2008级
学号
081411106
论文题目
从《青梅竹马》看樋口一叶的写实主义
『たけくらべ』から樋口一葉のリアリズムを見る
课题来源
教学
课题类别
基础研究
指导教师
蔡晶纯
本课题完成情况介绍(包括研究过程、实验过程、结果分析、存在的问题及应用情况等。
)
在查阅和分析相关文献、先行研究的基础上,在老师的指导帮助下,通过自己的理解,完成了本论文的写作。
本论文以《青梅竹马》为中心,探析其中的写实主义。
首先,在先行研究中,回顾了目前中日学界对《青梅竹马》所作的研究及不同学者的不同立场。
其次,在本论部分,具体从樋口一叶的生平经历、写作背景、主人公的特征、恋爱及分别来探究了作品中流露出来的写实主义。
总体来说,本论文达到了写作的目的。
但是也存在一些问题,如对明治时期具体社会背景的分析不够全面等。
今后作为课题,会继续研究完善下去。
指导教师意见:
该论文已按照计划顺利完成,论点明确,论据较翔实,结构较合理,行文较流畅,语言表达较准确。
但仍有欠缺方面,对作品主人公的性格分析得不够充分,若能论述得更具体些,本文将会更充实。
未发现抄袭现象。
达到了学士学位论文水平,同意结题。
签名:
2012年5月25日
学院毕业论文领导小组意见:
(公章)
2012年5月30日
论文成绩
摘要:
樋口一叶是日本近、现代文学女作家的先驱,在日本近代文学史上占有重要的地位。
在她非常短暂的生涯中,给我们留下了《大年夜》、《浊流》、《十三夜》、《青梅竹马》等优秀作品。
特别是《青梅竹马》在当时的文坛引起了极大的轰动。
该作品以吉原花街柳巷为背景,在这生活的孩子深深地被成人世界所左右,他们失去了天真无邪,没有了自己的意志和希望,不得不在现实面前顺从命运的安排。
本文试从樋口一叶的生平、明治时代的社会背景、主人公的特点、美登利和信如的恋爱及分别来分析《青梅竹马》中樋口一叶想要表现的写实主义。
关键词:
吉原;命运;写实主义
要旨:
樋口一葉は日本近現代女流作家の先駆者である。
日本近代文学史で重要な地位を占めている。
きわめて短い生涯で、『にごりえ』、『十三夜』、『たけくらべ』など優れた作品を残してくれた。
特に『たけくらべ』は当時の文壇で大きなセンセ-ションを巻き起こした。
『たけくらべ』は吉原遊郭という特殊な環境を背景に、そこで育てられ、暮らしていた子供たちが大人の世界に深く影響され、天真無邪気を失って、運命に従わざるを得なかった。
本文は樋口一葉の生い立ち、明治時代の社会背景、人物像、美登利と信如の恋、別れから樋口一葉が表現したリアリズムを探求しようと思う。
キーワード:
吉原、運命、写実主義
謝辞
本論文の作成は蔡晶純先生からご多忙中にもかかわらず、貴重なご指導を承りまして、心から感謝の意をお表し致します。
またこの論文が最初の段階から進行中ご熱心に励ましてくださった方々にもお礼を申し上げます。
目次
1.0はじめに
樋口一葉(1872--1896)は近代以降最初の職業女性作家である。
きわめて短い生涯の中で『にごりえ』、『十三夜』、『大つごもり』、『たけくらべ』など優れた作品を残してくれた。
特に、1895年に発表された『たけくらべ』は当時の文壇で大きなセンセーションを巻き起こした。
『文学界』で連載された後、一流雑誌の『文芸倶楽部』四月号に掲載された。
幸田露伴や森鴎外の絶賛を浴び、作家としての地位を不動のものにした。
一般的には『たけくらべ』という作品は吉原遊郭を背景に、子供たちの淡い恋を叙情的に描いた短編小説と認められる。
内容から見れば、確かに、子供同士の純愛を描いている。
ところが、そこで育てられ、暮らしていた子供たちが大人の世界に深く影響され、天真無邪気を失って、運命に従わざるを得ない。
将来遊女になる美登利、僧侶になる信如、金貸し屋の後継者の正太郎、彼らはそれぞれ定められた宿命に苦しんでいる。
樋口一葉は単なる子供の恋を述べるだけではなく、恋の背後の明治時代の現状をよく反映したと思う。
本稿は樋口一葉の生い立ち、明治時代の背景、人物像、美登利と信如の恋、別れから樋口一葉が表現したリアリズムについて探求しようと思う。
2.0先行研究
日本における樋口一葉の研究は非常に盛んである。
最も有名なのは和田芳恵、前田愛、関良一、塩田良平らの大家である。
それらの研究はさまざまな問題点を含めている、特に日記に合わせる研究が多い。
樋口一葉を研究する第一人、和田芳恵は樋口一葉の研究に没頭して伝記・評論を書き続け、全集の実務にも携わった。
「一葉十六歳から死に到る二十五歳までの日記を、鋭い洞察力で丹念に分析した。
一葉文学の本質を描出し、評伝文学の白眉といわれた。
そして、実証的な方法で竜泉寺の生活者精神の創作への移植、家族の業病、日清戦争の影響などから現実主義の『十四ヶ月の奇跡』の作品を生み出した動因を追及した」[1]。
相馬御風は樋口一葉が「明治わが小説史上、単に短編の作を持って第一流の地位を得た作家」、「真に天才の二字に値する作家」、「最も尊ぶべき作家である」[2]と絶賛した。
2005年、山東大学の肖霞は《论樋口一叶的浪漫主义文学创作》という論文の中で樋口文学の個性的特徴を浪漫的な角度から論じた。
「浪漫、写実、古典」という一葉文学の作風を指摘した。
曾峻梅は『樋口一葉の出世意識と創作』の中で「一葉後期の小説は、空想的、類型的、趣向中心の旧套から脱出し、リアリズムの世界を開き、個性的円熟の境地に達した。
一葉は下層社会の女性を主人公としその立身出世に関する内面と外面の矛盾を浮き彫りにしていて、明治社会の深層の動揺を反映している」[3]と述べた。
青島大学の王海霞は《从〈青梅竹马〉看樋口一叶的现实批判》の中で「作品の主人公たちは深く大人の世界に影響されて、天真無邪気を失って、最後、誰も自分の運命を逃さない」[4]と書いた。
3.0樋口一葉について
樋口一葉は1872年、東京の下級官吏の家に生まれた。
十歳ごろまでの生活は安定した。
ところが、1887年以降、父の破産と病没、婚約者の渋谷三郎に裏切られた苦痛、半井桃水への慕いと絶交、数奇な運命は一斉に頼るものもない弱い一葉を襲ってきた。
家庭を支えるために、1893年、下谷龍泉寺町へ転居し、荒物・駄菓子の店を開いた。
竜泉寺は『たけくらべ』の舞台となった吉原に近接する場所であった。
付近一帯、廓者や貧民の吹きだまりのようなところで、一葉は、毎朝仕入れに自分で荷物を担ぎ、小店への道を往復していた。
そこで見聞した社会の底辺に生きる人々の姿が、のちの一葉文学を生み出すことになったのである。
一葉の小説のテーマはほとんど女性の薄幸と宿命についてのである。
暗い明治時代の資本主義社会では、貧困と不平等の現実が普遍的に存在していた。
不幸、屈辱などの宿命は悪魔のごとく世の中を徘徊し、数え切れないほどの悲劇を作っていた。
女性は弱い存在で、彼女たちの運命はもっと悲惨なものである。
一葉はその時代の不幸の女性たちの代弁者である。
4.0『たけくらべ』について
「廻れば大門の見返り柳いとながけれどお歯ぐろ溝灯火映る三階の騒ぎも手にとる如く、明けくれなしの車の行き来にばかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は佛くさけれど…」[5]という書き出しで始まる。
『たけくらべ』は吉原遊郭という特殊な環境を背景に、主な登場人物は美登利、信如、正太郎の三人です。
勝気な美登利は最後遊女になる運命をもつ少女である。
竜華寺僧侶の息子信如は、おとなしくて内向的な少年である。
金貸しの息子の正太郎は美登利に惚れている。
遊郭周辺の子供たちは長吉を中心とした集団と金貸しの子正太郎を中心とした横町組と表町組とに別れ、対立している。
美登利と信如は同じ学校に通っている。
運動会の日に美登利は転んで服を汚した信如に赤い絹ハンカチを渡した。
そのことで友達にからかわれた信如は、美登利を避けるようになった。
何も知らない美登利は、信如が自分に意地悪になったと思い込んでしまった。
夏祭りの日、人望のある信如を味方に頼んだ長吉らの横町組の集団は、正太郎を殴ろうが、その時、ちょうど正太郎は家に戻っていた。
その場にいなかった。
長吉たちは横町に住みながら表町組に加わっている三五郎を正太郎の代わりに痛めつけた。
美登利は喧嘩すれば正太とすればよく、私が相手になると長吉に叫んだ。
長吉は美登利の顔に草履を投げつけた。
美登利は、長吉から受けた屈辱が信如に向けた
ある雨風の強い日、信如が用事で美登利の家の前を通りかかった時、下駄の鼻緒を切ってしまった。
端切れを渡そうとした美登利が信如だと気付くと顔を赤らめて、紅の友禅の端切れを格子の外に投げた。
ところが、信如は美登利の思いを受けず、手にとることが出来ず、立ち去っていた。
いつか淋しい秋の訪れるとともに、美登利は女らしく変わっていった。
その年の酉の市の日、美しく着飾った美登利が正太郎との神社に行く約束も破り、布団に突っ伏し忍び泣いた。
友達が遊ぼうよと誘いに来ても、「今に今に」と答えるだけで外に出なかった。
母親だけは、意味ありげなことを言って笑っていた。
美登利は、信如に抱いていた慕いを胸に封じ込め、ぼんやりと過ごしていた。
ある朝水仙が家の窓に差し込まれているのを見て懐かしく思った。
この日、信如は僧侶の学校に入った。
5.0『たけくらべ』から見た樋口一葉のリアリズム
5.1社会背景から
樋口一葉が生きていた明治時代の日本は千年の封建社会を経て、初めて西方の制度と思想を受け入れ、一連の文明開化政策を行ったが、封建的な要素がまだ庶民の生活、特に社会下層に生きている人々の思想に根ざして、封建思想および金銭関係に背負われることも現実である。
その現実は社会下層に生きている人に不幸をもたらした。
明治時代の日本では、遊廓が数多く存在していた。
それらの中で吉原遊廓は最大級の規模を誇っていた。
江戸市中の中でも最大級の繁華街と言うことができる。
遊女にはランクがあり、美貌と機知を兼ね備え、男性の人気を集めることが出来る女性であれば、遊女の中で高いランクに登ることが出来た。
主人公美登利の姉は「大黒屋は大巻で持つ」と言われるほどの評判の高い花魁である。
美登利は姉の余光で、金の不自由などなく、わがまま三昧に日を送っている。
そして、明治時代の遊女達は貧農出身者が多かったため、遊女を買った金額を実家が返却できることは非常に稀であった。
結果、大半の遊女が生涯を遊廓で終えることとなった。
美登利は元紀州の生まれだが、吉原に身売りした姉の縁で、両親と一緒にこの街へ移り住んだのである。
美登利の父は小格子の書記、母は大黒屋の寮の留守居役で、郭に寄食している一家のであり、美登利はやがては姉と同じ遊女になるべき身の上である。
1889年まで、江戸時代ほど厳格ではなかったが、日本には皇族、華族、平民という身分制度が残っていた。
そして、明治時代の政府は、法律や文化で、職業や性別の役割を定めようとする傾向もあった。
地縁や階級、貧富の差によって、信如は僧侶に美登利は遊女にという風に登場する子どもたち一人一人の将来は動かしがたい。
明治時代以降の資本主義の発達とともに、田畑や資本が一部の地主や資本家に集中するようになり、貧富の差が大きくなった。
社会の下層に生きていた人は、人の嫌がる、きつくて危険で儲からない仕事に仕方なくつかざるをえなかった。
貧困に苦しまなければならなくなった。
5.2人物像から
5.2.1美登利
主人公美登利は数えの十四歳で、彼女は元紀州の生まれだが、吉原に身売りした姉の縁で、両親と一緒にこの街へ移り住んだのである。
姉は「大黒屋は大巻で持つ」と言われるほどの評判の高いお職女郎で、父は小格子の書記、母は大黒屋の寮の留守居役で、郭に寄食している一家の一人である。
美登利は売買春を常識とする気風の中で育った。
吉原界隈でだれも振り返る美少女で、華族の令嬢かと思われるほどである。
「解けば足にも届くべき髪を、根あがりに堅くつめて前髪大きく髷おもたげの」[6]というような豊かな髪、「細く清しき」声、「生き生きしたる」身のこなしで、美登利は郭帰りの若者に「今三年の後に見た」と言われた。
そして、「子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の余波、延いては遣手新造が姉への世辞にも、美いちやん人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代と、呉れるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覚えず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃ひのごむ鞠を与えしはおろかの事、馴染の筆やに店ざらし之手遊を買しめて、喜ばせし事もある。
」[7]美登利は姉の余光で、金の不自由などなく、わがまま三昧に日を送っていた。
彼女の美しさと闊達で、子供中間の女王と認められる。
ところが、夏祭りの夜、彼女は長吉に「何を女郎めほうげたたたく、姉の跡継ぎの乞食め、手前の相手にはこれが相応だ」[8]と罵られ、額に泥草履を投げつけられた。
ここにはさらに美登利が羨望の対象でありながら、女郎とか乞食とか呼んで軽蔑の対象でもある二重性を長吉の口を借りて表明している。
江戸時代まで売春は特別なものではなかったが、異文化が本格的に流入してきた明治以降になると、世の風潮は売春婦を軽蔑していくことになった。
彼女は花魁の妹として遊女になる将来を楽しみにしていて、そしてまわりの人々に羨望されている。
しかし同時に、美登利は性の商品として鋭く蔑視されている。
彼女はその時代の遊女の現状を真実に反映している。
大音寺前に来たばかりの美登利は田舎者と嘲笑され、結局、夏祭りの夜、子供たちはみんな美登利の機嫌を取りながら祭りの遊びを決めようとすることになる。
この変化には、確かに金の力である。
大音寺前は遊びと金銭に支配されていて、庶民たちの卑屈な様子が子供たちの世界にも影が窺える。
美登利は大黒屋から潤沢な小遣いをもらうからこそ、「女王様」として、子供たちの遊びの世界を主宰できたのである。
明治時代の人たちは社会的地位の向上を望むだけでなく、金銭を手に入れることにも人一倍関心が強いのである。
美登利の変化は明治人の考えを真実に現す。
美登利の闊達さが、将来彼女の自由を奪うことになる吉原の世界から提供される金銭によって保証されている。
金銭によって形作られた美登利の子供世界での地位は実に崩れやすく、非常に脆いものである。
美登利はどの役を演じるか、徹底的に金銭によって決定されている。
子供としての彼女は潤沢な小遣いがゆるされ、わがままで、「子供中間の女王様」を演じている。
またもう一方、将来の彼女はいうまでもなく吉原に入り、遊女になると決められた。
遊女になったら、遊客が金を払うと、美登利はすぐ犯す対象に転じている。
美登利は幼い頃からすでに「遊女」になることを運命づけられていて、何も知らない頃は単純に綺麗な着物を着たり、店の主人に大切にされたりすることが「楽しい事が待っている」というように誤解していて、それがやがて初潮を迎えることで、姉と同じ遊女になるべき身の上である。
酉の市の日、美登利は初初しい大島田に結い、京人形を見るように極彩色であるが、「私は厭やでしょう」と正太郎に訴え、嘆いたのである。
吉原という悪場所の世界から送り込まれる宿命を背負った美登利はそれを意識し始めて、恥と嫌悪を抱いた。
既存の大人の世界に予定された自分の大人像を美登利は拒否している。
拒否しても、大人世界に侵蝕され、大人の論理に絡め取られてしまう。
彼女は定められた宿命から逃れることが許されない。
『たけくらべ』の美登利は少女から大人になるとき初恋に別れを告げた。
彼女にとって大人になるということは先に花魁となっていた姉と同じように吉原で客をとるということである。
大人として振舞うにも、まだ世の中のことを何一つ知らない。
できることは薄暗い部屋にいて、誰からも言葉をかけられず、自分の顔を眺める人などいない朝夕を過ごしたい。
そうすれば、憂いに満ちていても人目を気にしないで済む。
明治時代の遊女達は貧農出身者が多かったため、遊女を買った金額を実家が返却できることは非常に稀であった。
お金のせいで、美登利は自分の前途、運命には何もできない。
5.2.2正太郎
金貸しの子正太郎は祖母と二人寂しく暮らしている。
高利貸という商業に付いても、世間から嫌われるとは感じている。
明治時代では高利貸が庶民の日常生活の一部となっていた。
質屋に対して、担保を必要としないかわりに高利と厳しい取立てを行った。
高利貸は人々の憎悪の対象である。
「去年も己れが處の末弟の奴と正太郎組の短小野郎と萬燈のたたき合ひから始まつて、夫れといふと奴の中間がばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう小さな者の萬燈を打こわしちまつて、胴揚にしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間拔に背のたかい大人のやうな面をして居る團子屋の頓馬が、頭もあるものか尻尾だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて惡口を言つたとさ」[9]「いくら金があるといって、質屋くずれの高利貸が何というざまだ」[10]。
高利貸への悪嫉妬、非常に嫌悪することは、一葉に深く描かれた。
美登利を慕う正太郎は金貸しの祖母と二人暮らして、祖母の気持ちも分かるし、祖母に恨みを抱く貧しい人たちの気持ちも分かり、「己れは気が弱いのかしら」[11]と悩んでいた。
三五郎も横町に住んでいながら表町の正太郎の祖母から借金しているため、横町と表町の争いで辛い立場に立たされた。
登場する子供達の世界に大人の社会が色濃く投影されていた。
『たけくらべ』の子供達にとって、吉原は大人の遊び場で、大音寺前は彼らの遊び空間である。
二つの空間でありながら、子供たちの世界はいち早く大人の世界と深い関係を結んでいる。
吉原から溢れ出す遊びの気分に子供たちは早くから馴染んでしまったのである。
吉原は遊びの空間である。
その遊びは言うまでもなく金銭によって女を買うそのことである。
ここに吉原のもう一つの面影が浮かび上がる。
それは金銭に支配された非情で残酷な世界である。
吉原の遊びの歓楽を享受するなら、金がなければならない。
つまり、大人の世界に遊びと金銭とは緊密な関係が結んでいる。
この辺り、金銭の力はかなりものを言う。
そのゆえ、下町の庶民たちは金を稼ぐことに熱中している。
そしてさらに子供たちの世界にも波及する。
5.2.3信如
信如は竜泉寺の若旦那として生まれ、将来竜泉寺の住職となる一番恵まれている家庭に育ち、学校で優れた成績で、明るく自信満々の少年のはずであるが、妻に酉の市の日に簪の店を出させ、娘に愛嬌を資本として茶屋を開かせた俗気の父に不満を感じて、深く悩んで陰気な少年になる。
この学業優秀な少年は、社会から見られる自己を意識し、親が利欲に走ることを恥じている。
それは、修身教育を重視していた当時の学校制度によって培われた清廉潔白な価値観のためであったと考えられる。
ところが、彼の父親は、そのような意識から遠く金儲けに走っている。
大音寺前の早くから大人の世界の遊びと金銭に馴染まれた子供たちの中で、信如一人は酔えない眼を持って、大人の世界の落とした穴を見通すことができたのである。
そのゆえこそ、信如の心を理解できる人は登場人物の中にはいない。
彼は明治時代の新しい思想と古い考え、つまり二つの価値観の間で板挟みになるのに、何もできなく、内向していくのである。
5.3美登利と信如の恋から
「美登利はさる事も心にとまらねば、最初は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、學校退けての歸りがけに、我れは一足はやくて道端に珍らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これ此樣うつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が屆きましよ」[11]というように学校の帰りに、美登利が信如を待って、花を摘むことを頼んで、この小さいことから、美登利が信如への思慕がわかる。
「四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいて居るらしくとぼとぼと歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さん何うしたの、と正太は怪しがりて背中をつつきぬ」「12」三つの「いつまでも」