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日语试题Z

第一部分语法读解

問題一:

次の文を読んで、1、2、3、4からもっともいいものを一つ選んで(  )に入れてください。

(1×20=20)

(1)花田さんの冗談には、いつも思わず(   )。

1、笑われた2、笑わせた

 3、笑わせられた  4、笑わさせられた

(2)試験で100点をとったからって、驚くには(   )。

彼女は、それなりの努力をしているから。

1、あたっている2、あたらない

 3、ありうる   4、ありえない

(3)患者のプライバシーを他の人に漏らすなんて、医者としてある(   )ことだ。

1、まじき2、べからず

 3、はずの   4、かぎりの

(4)これは機密事項である。

口外(    )。

1、せざるべきだ2、しないべきだ

 3、するべし     4、するべからず

(5)大地震の被害を受けた人々が早く元気になることを願って(    )。

1、おわらない2、やまない

 3、しまわない    4、やめない

(6)今度うそをついたら、本当に針千本飲まさずには(    )!

1、やめない2、もたない

 3、おかない     4、えない

(7)え?

 幽霊を見たって?

 錯覚よ、錯覚(   )何だって言うの?

1、としても2、とせずに

 3、であって4、でなくて

(8)社長もまた株主総会の決定には従わざるを得ず、退任を(    )。

1、余儀せずさせた2、余儀せずされた

 3、余儀なくさせた4、余儀なくされた

(9)もうとても追いつけないだろうと(   )、驚くほどの速さで彼は一気に先頭に走り出た。

1、おもいきや2、おもうべく

 3、おもいがけず4、おもうだに

(10)午後の会議にはだれが出席しても構わないが、君が出てくれるなら、それに(   )。

1、こしたことはない2、まさることはない

 3、さしつかえない4、承らない

(11)今さら先生のせいにしたって、合格する(   )。

1、べきではない2、かもしれない

 3、わけではない 4、までもない

(12)彼は確信(   )顔をして私たちに言った。

1、ありげな 2、あるらしい

 3、あろうな  4、ありっぽい

(13)妻にすら行き先を(    )、彼はふらりと旅行に出た。

1、告げようとして 2、告げまいとして

 3、告げなくて 4、告げずに

(14)プロの芸人たるもの、他人のまねは(    )。

 

1、できるだろう2、できるはずだ

 3、できないだろう   4、できるべきだ

(15)今朝は仕事の疲れがたまり、おまけに熱まで出て、(    )起きられなかった。

1、起きれば2、起きても

 3、起きようとしても  4、起きまいか

(16)現代人の生活はテレビなどのマスメディアなしには(    )。

1、語れるだろう2、語れない

 3、語れるわけである  4、語れずにすむ

(17)可能性がゼロになったわけじゃないんだ。

一生懸命やれば(    )。

1、できるものではない2、できることではない

 3、できないものでもない4、できはしない

(18)緊急の電話を受けた警察官は、パトカーに飛び乗る(    )、猛スピードで現場へ向かった。

1、より早いか2、が早いか

 3、から早いか     4、も早いか

(19)子どもの成長の段階(    )は、母親がそばにいた方が望ましい。

1、にいたって2、にとって

 3、にあって4、にして

(20)勉強、勉強といっても、ただ勉強する時間が多ければ良い(  )。

効率の良い勉強方法を工夫しなければ良い成績にはつながらない。

1、きらいがある2、といったらない

   3、というにはあたらない4、というのもでもない

 

問題二:

次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

答えは1、2、3、4から一番いいものを一つ選んでください。

(2×15=30)

文章Ⅰ

中学から高校にかけて人間は微妙な時期を迎える。

簡単にいえば、一種のはにかみのようなものが生まれ、あからさまな好奇心の発動が少なくなるのだ。

これは何、なぜ、というあの子ども時代の旺盛な好奇心に抑制がかかるからである。

幼いころには知らないということが少しも心理的に負担になったりはしないが、十代の半ばになると知らないということが恥ずかしいという気持ちを呼び起こすのだ。

本当は知らないのだけれど、知らないというと人に笑われるのではないかという不安がある。

だから①知らないのに知っているようなふりをする。

要するに好奇心にふたをしてしまうのだ。

知らないことを素直に知らないといい、知る努力をすれば、情報の蓄積は子ども時代と同じようにぐんぐん増えてゆくだろう。

( ② )、「知らない」いう一言をいえないために本当は増えてゆくはずの情報が増えない。

昔から、聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥ということわざがある。

「知らない」ということばを口にするのは、恥ずかしいことかもしれないが、知らないくせに知ったようなふりをしていることは、一生知らぬままに過ごすことになるというわけだ。

むき出しの好奇心にブレーキをかけてはっきり「知らない」といえず、そして、③それを恥ずかしいと思うようになるのは、それだけ自我意識が確立したということにほかならないわけだから、いちがいにそれを悪いことだとは思わない。

しかし知りたいという欲求を抑えて知ったかぶりをするというのは、④人生の生き方として大きなマイナスなのではないか。

頭の中には、まだいくらでも情報は入る余裕がある。

好奇心にブレーキをかけるのは、決して賢明なことではないのだ。

だが、こうした知ったかぶりはまだよい。

さらに困るのは、二十歳そこそこで世界のことはすべてわかった、と思い上がってしまう人たちである。

学校教育が終わると同時に、情報の吸収をぴったりと止めてしまう人が少なくない。

つまり、知るべきことはすべて学校で知り尽くしてしまったというまちがった思い込みが、これらの人々を支配しているのである。

しかし、少し考えてみればすぐにわかることだが、学校を卒業したから、それで現代の人間の知っていなければならないすべてがおしまいといった観念は、むしろ滑稽だ。

学ぶべきこと、覚えるべきことは無限である。

人間の向学心、あるいは好奇心は、その無限の世界に向かっていつも積極的にかかわりあっていなければならない。

ほんのちょっぴりの知識を学びとったからといってごう慢になったら、⑤その時、人間の精神は成長を停止したのだといってもよい。

ユネスコでは十年ほど前から、「生涯を通じた継続的な教育」という考え方を提唱している。

人間が外界の情報を取り入れて自らを豊かにしてゆくプロセス(過程)、( ⑥ )教育という営みは、人間の人生を通じて、継続していなければいけない、というわけである。

社会の高度化した今日、この考え方はきわめて大事だとわたしは思う。

青年期というのは、積極的に情報を取り込むための人生のスタートだ。

   

(21) ①“知らないのに知っているようなふりをする”のはなぜか。

次から最も適当なものを選びなさい。

1.心理的負担がないから。

2.知らないというと人に笑われるのではないかという不安があるから。

3.十代のなかばから人間は微妙な時期にあるから。

4.好奇心がないから。

(22) ( ② )に何が入るか。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

1.すなわち      2.だから

3.ところが      4.さて

(23) ③“それ”のさしていることは何か、最も適当なものを次から選びなさい。

1.はっきり“知らない”ということ。

2.自我意識が確立したこと

3.好奇心がないこと

4.ブレーキをかけたこと。

(24) ④“人生の生き方として大きなマイナス”と言っている理由は次のどれか。

最も適当なものを次から一つ選びなさい。

1.自我意識が確立したから。

2.恥をかくから。

3.増えてゆくはずの情報が増えないから。

4.笑われるから。

(25) ⑤“その時”とはどんな時か、次から最も適当なものを一つ選びなさい。

1.ほんの少しの知識を学び取ったからといって傲慢になるとき。

2.知らないくせに知ったかぶりをするとき。

3.学校教育が終わるとき。

4.好奇心にブレーキをかけるとき。

(26) ( ⑥ )に何が入るか。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

1.だから       2.たとえば

3.しかし       4.すなわち

(27) この文章が、述べようとしていることは次のどれか。

最も適当なものを次から一つ選びなさい。

   1.自我意識を確立することは、情報の蓄積には必ずしも悪いことではなく、むしろ望ましい。

   2.好奇心を抑制し、知的欲求にブレーキをかけるのは、人生の生き方としてマイナスである。

   3.ユネスコでは、青年期に積極的に情報を取り入れ、自らを豊かにせよと提唱している。

   4.二十歳以上の人々に比べ中学生・高校生は、学校教育が教育のすべてだと思い込むことが多い。

文章Ⅱ

花の多いところに着いたら、リュックを下ろして寝ころんでみよう。

寝ころぶ場所が問題で、谷あいの棚田なら山手半分は敬遠したほうがよい。

いつの間にか滲み出した水のために背中がぬれる。

地下水位が高いのだ。

下手の畦のへりなら乾いていて、①まず大丈夫だろう。

そのつもりで改めて眺めなおすと、一枚の田んぼでも場所によってレンゲの生え方、密集の程度がちがう。

レンゲはあまり湿った土を好まない草である。

ブンブン唸り声が聞こえる。

ミツバチだ。

チョウも遊びに来るかもしれない。

ミツバチの仕草を眺めたら、レンゲの体を見なおしてみよう。

まずレンゲを一株だけ、根ごと掘りとってみる。

力まかせに抜くのではなく、棒切れか竹べらか、あるいはナイフを土に突き立てて、なるべくそっと掘り上げる。

指でつまんで土を丁寧にもみほぐすようにして落とすと、根があらわれる。

付近の用水溝の水で洗ってみると、いっそう根の様子がよくわかる。

一本の太い根と、枝分かれしたたくさんの白っぽい根かある。

そのヒゲ根のあちこちに、米粒形の長さ三~五ミリほどの粒がたくさんくっついているたろう。

少し赤みがかっている。

この粒が曲者だ。

これはじつは②窒素工場なのである。

この中に根瘤バクテリアという特別な細菌が住んでいて、根のまわりやすき間などの空気の中の窒素を水浴性の窒素化合物に変える働きをしている。

③稲刈りをした後の田んぼにレンゲの種子をまいておくと、翌年の田植えまでの間にレンゲが生長し、根に粒ができて多くの水浴性の窒素化合物が生産され、レンゲはこれを栄養にしてますます生長する。

④これをスキで掘り起こし、くだき、土と混ぜる。

つまり肥料にするわけで、緑の草の肥料という意味で「緑肥」と呼ぶ。

現金収入の乏しかった農家が、化学肥料を買わずとも田んぼの土を富ませられる手段だったわけである。

この方法は昭和十年代が最盛で、二十年代には半分に減った。

最近では人手不足の代わりに現金収入のふえた農家が、手間の簡単な「金肥」――化学肥料をどしどし使うので、田園全域が赤い花に敷きつめられるという風景は少なくなった。

レンゲはもともと日本には生えていなかった、と考えられる。

中国大陸の原産で漢名を紫雲英または翹揺と言い、「緑肥」として栽培がさかんに行われ出したのは明治中葉と言われている。

レンゲの花が終わり、野を占めるものの主役が虫媒花からイネ科の風媒花に変わるころ、田園の風景はにわかに色どりを失う。

小学校の図画の時間、私も、級友たちも、いっせいに⑤緑の絵の具が欠乏したものだ。

赤やピンクや紫など、派手な色を使いたいのはやまやまなのだが、見渡してみても、空は青、山は緑、野も緑、屋根は草ぶきで焦げ茶色。

色数はそれだけしかないのだ。

だから、⑥春の野の花の鮮やかさは、農民たちには一種の救いであり、よみがえり来る生の季節の象徴として喜ばれたのだろう。

キンセンカ、ヤグルマギクに始まって、種子とりには不必要なほど多量のシュンギクの花が、抜きとられもせずに咲くにまかせてある。

不精なのではない。

単なる風流でもないように思われる。

少しでも風景を色どり豊かにしようと心がけてきた農民魂のあらわれなのである。

▲回答问题

(28) ①“まず大丈夫”とあるが、何をするのに大丈夫か。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

   1.リュックを下ろすのに

   2.寝ころぶのに

   3.ミツバチやチョウを見るのに

   4.眺めなおすのに

(29) ②“窒素工場”はレンゲにとって何の働きを持っているか。

最も適当なものを次から一つ選びなさい。

   1.根瘤を大きくする働き。

   2.バクテリアという細菌がすむ働き。

   3.窒素を水溶性の窒素化合物に変えて、レンゲに栄養を供給する働き。

   4.レンゲを掘りやすくする働き。

(30) ③“稲刈りをした後の田んぼにレンゲの種子をまいておく”のはなぜか。

レンゲを作る理由を次から最も適当なのを一つ選びなさい。

   1.これを肥料にするため。

   2.これを土と混ぜるため。

   3.これを売って、現金収入にするため。

   4.化学肥料を買うため。

(31) ④“これ”のさしていることは何か。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

   1.レンゲの体

   2.キンセンカの根

   3.レンゲの根

   4.キンセンカの体

(32) ⑤“緑の絵の具が欠乏した”のはなぜか。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

   1.買ってきた絵の具の中には緑のものが入っていなかったから。

   2.緑の絵の具は普段使わないから、用意していなかった。

   3.野や山は風媒花から虫媒花に変わり、田園風景はいっせいに色が鮮やかになり、それを書くのに緑だけでなく、ほかの色の絵の具もたくさん使うから。

   4.野や山はイネ科の風媒花に変わり、田園風景はいっせいに緑の色になり、それを書くのに緑の絵の具をたくさん使うから。

(33) ⑥“春の野の花の鮮やかさ”を生み出したのは何か。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

   1.キンセンカ、ヤグルマギク、シュンギクなどの花

   2.イネ科の花

   3.化学肥料

   4.ハコベなど白い花。

文章Ⅲ

「脳という物質から、心が出てくる。

そんなバカな話はない。

心というのは、もっと霊妙不可思議なものだ」。

哲学で言う心身論とは、もっとも素朴な形では、こうした疑問から発生したものではないか。

そこに、神学上の見解が加わる。

神学では、心つまり精神とは、ヒトと神だけの持ち物でなくてはならないのである。

もっともこれは、キリスト教神学の話だから、「一寸の虫にも五分の魂」というわが国では、ピンと来ない面もあって当然かもしれない。

脳から心が生じて、なにが悪い。

こちらでは、そう思う人の方が、多かったりする可能性もある。

( ① )、ちょっと考えると、脳という物質塊から、心というわけのわからぬものが出てくるというのは、変と言えば変である。

したがって、この点を問題として指摘する習性が、文科系の人たちには、昔からあった。

唯脳論は、②この素朴な問題点について、それなりの解答を与える。

脳と心の関係の問題、すなわち心身論とは、じつは構造と機能の関係の問題に帰着する、ということである。

この点を具体的に考えてみよう。

脳と心の関係に対する疑問は、たとえば次のように表明されることが多い。

「脳という物質から、なぜ心が発生するのか。

脳をバラバラにしていったとする。

そのどこに、『心』が含まれていると言うのか。

徹頭徹尾物質である脳を分解したところで、そこに心が含まれるわけがない」。

(34)( ① )に何が入るか。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

1.たとえば   2.したがって

3.つまり   4.しかし

(35) ②“この素朴な問題点”は何の問題点か。

次から最も適当なものを一つ選びなさい。

   1.“一寸の虫にも五分の魂”ということはあるかという問題点

   2.脳という物質塊から、心というわけのわからぬものが出てくるかという問題点

   3.心つまり精神とは、ヒトと神だけの持ち物でなくてはならないという問題点

   4.構造と機能の関係という問題点

 

第二部分翻译

問題三:

次の文章を読んで、下線部の日本語を中国語に訳してください。

(2.5×10=25)

私が小学校六年生の時だった。

ある日のこと、それまで外側から眺めてだけいた隣家に入ることができた。

隣の大学生のお兄さんが遊びに来いと言って、私に家に中をくまなく案内してくれたのである。

ところが、私がいつも自分の家の庭や縁側から仰ぎ見ていた。

二階のお兄さんの部屋の窓から、初めて自分の家と庭を見下ろした時、私はそのなんとも言えぬ不思議な眺めに、思わず声を立てて笑ってしまったのである。

人生は、改めて言うまでもないことだが、有限なのである。

人間いつかは死ぬ。

どんな天才でも、どんな金持ちでも、この宿命から逃れることはできない。

だれもその例外ではあり得ない。

『生きる』の主人公は、自分の生命が後数け月しかないということを知り、いわば死の世界を眼前に見たことで「生きる」ことの意味をつかんだ。

死を意識して生の意味が明らかになったのである。

京都にある有名な料理屋があって、ここの家では近ごろまで客間に電灯をとまさず、古風な燭台を使うのが名物になっていたが、今年の春、久しぶりで行ってみると、いつの間にか行灯式の電灯を使うようになっている。

いつからこうしたのかと聞くと、去年からこれにいたしました、ろうそくの灯ではあまり暗すぎるとおっしゃるお客様が多いものでございますから、よんどころなくこういうふうにいたしましたが、やはり昔のままのほうがよいとおっしゃるお方には、燭台を持ってまいりますと言う。

せっかくそれを楽しみにして来たのであるから、燭台に替えてもらったが、そのとき私が感じたのは、日本の漆器の美しさは、そういうぼんやりした薄明かりの中に置いてこそ、初めて本当に発揮されるということであった。

その料理屋の座敷というのは四畳半ぐらいの小じんまりした茶席であって、床柱や天井なども黒光りに光っているから、行灯式の電灯でももちろん暗い感じがする。

僕の場合もそうだった。

ある日突然、ああ、オレの青春は終わったなと自覚した。

そう遠い昔のことではない。

正確には覚えていないが、片手で数えられる数年前のことである。

それは自分の生き方に対する迷いからふっ切れたことを自覚したときだったと思う。

いつからいつまでが青春期などと、青春を時間的に定義できるものではない。

自分の生き方を模索している間が青春なのである。

それは人によって短くもあれば、長くもある。

初めから老成してしまっていて、青春など全く持たない人も、必ずしも珍しくはない。

どういうわけか、最近その手の若者が増えているような気がする。

肉体は若く、精神は老いぼれた青年である。

世間の常識から一歩も外れないような事ばかり言う、また、そういう身の処し方、生き方しかしようとしない。

そういう人の人生は、精神的には墓場まで一直線の人生である。

軽い財布、家で待っている妻のこと、明日からの仕事のこと――たちまち父親の酔いはさめてしまう。

そうしてこの父親は、苦しい一日の終わりにフットボール競技場でとうとう人の自転車をかっぱらい、子供の見ている前で捕らえられる。

ラストシーンは、情状酌量のすえ釈放された父親が子供の手を引いて男泣きに泣きながら夕暮れの人ごみに消えていくところで終わっていたように思う。

私はなんだかひどく身につまされて、見終わったあとその主人公の父親のように泣きぬれていた。

すべてがついてこないだまでの私の身の上のようであった。

戦争から帰って来た私の父はビラ貼りこそしなかったが、自転車こそ盗まなかったが、食べる苦労にやせ衰えていたのは似たようなものだった。

郷里に帰省して、思いがけず山田辰吉の死を知ってから二、三日にして、私は彼の長男である二十歳ぐらいの東京の私大生であるという青年の訪問を受けた。

父親と瓜二つの顔をしていた。

色は浅黒く、たくましい体と意欲的な風貌を持っている青年だった。

用件は父山田辰吉の墓石の裏に彼の生涯の略歴を記録したいが、その文章を書いてくれないかという依頼であった。

砂漠とは、こうした反省を私にもたらす世界である。

砂漠は現代の文明社会に生きる人々にとって、一種の鏡の国と言ってもいいような気がする。

私は砂漠に身を置くたびに、ある探検家がしみじみと漏らした次の言葉をかみしめる。

「砂漠とは、そこへ入り込む先には心配で、そこから出てゆく時にはなんの名残もない、そういう地域である。

砂漠には何もない。

ただ、その人自身の反省だけがあるのだ。

」私は、砂漠に自分自身の姿を見に行くのである。

砂漠は、私たち日本人が考えがちなロマンチックな場所では決してない。

王子様とお姫様が月の光を浴びながら銀色の砂の上を行く――などというメルヘンの世界ではない。

昼と夜とで温度は激変し、一瞬のうちに砂嵐が天地を覆ってしまう、そういうおよそ非情な世界である。

日本という井戸の中に住む蛙である私は、こうした砂の世界に足を踏み入れた途端、いつも後悔する。

よりによって、なんでこんな所へ来てしまったのか!

平均的には、三十代までを青春期に数えていいだろう。

孔子は「四十にして惑はず」と言った。

逆に言えば、四十歳までは惑い続けるのが普通だということだ。

僕の場合もそうだった。

青春が終わった自覚とともに、孔子が言った「不惑」とはこういうことであったのかと思った記憶がある。

迷いと惑いが青春の特徴であり特権でもある。

それだけに、恥も多く、失敗も多い。

恥なしの青春、失敗なしの青春など、青春の名に値しない。

自分に忠実に、しかも大胆に生きようと思うほど、恥も失敗もより多くなるのが通例である。

迷いと惑いのあげく、生き方の選択に失敗して、ついに失敗したままの人生を送ってしまうなど、ありふれた話だ。

若者の前にはあらゆる可能性が開けているなどとよく言われる。

その時、「あらゆる可能性」には、あらゆる失敗の可能性もまた含まれていることを忘れてはならない。

蛇に対する生理的嫌悪感の正体は、いったいなんなのか。

蛇嫌いが、わりに一般的なものであるにもかかわらず、その正体の究明は、意外になおざりにされたままである。

まさか、蛇の魔性を信じるわけにもいかず、そうかと言って、気味が悪いから、気味が悪い、では匙を投げたも同然だ。

ただ、一つだけ、世に流布している説明のうちで、一見いかにも合理的な外形を備えているのは、人類の太古の記憶だという例の学説である。

問題四:

次の中国語を日本語に訳してください。

 (2.5×4=10)

1.据说他在靠近山顶附近,因山体滑坡被泥土所埋身亡。

2.对于撰写一位自己丝毫不抱好感的家乡人物的简历,我感到犹豫。

3.日本历代书法爱好者们,取长补短,加深自我艺术修养,树立了独特的民族风格。

4.28日中国迎来了旧历的春节,北京市决定今年春节期间解除在市区内的鞭炮禁放令。

 

第三部分作文

問題五:

次の図表に示された内容や情報に基づいて、「男性の家事協力」に対する考えを、300字―500字以内の作文を作って述べてください。

(15)

男性の家事協力度における国際比較(2010年度)

炊事

掃除·洗濯

家事雑事

買い物

子供の世話

日 本

2.2

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