中国财政科学研究院招收攻读博士学位研究生入学考试日语试题文档格式.docx

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中国财政科学研究院招收攻读博士学位研究生入学考试日语试题文档格式.docx

25かいぜん    1改善      2解善      3改繕     4解繕

26とりしまり    1取り閉まり  2取り締まり  3取り縛まり  4取り絞まり

27かくほ      1獲補      2獲保     3確補      4確保

28はかる      1測る      2図る     3量る      4謀る

問題三 ( )の中のことばの下線は、どのような漢字を書きますか。

同じ漢字を使うものを、1・2・3・4からひとつ選んでください。

(1点) 

29 計画はとくにもんだいもなく、(じゅんちょう)に進んでいるようだ。

1 その場になって困らないように、十分に(じゅんび)をしてきた。

2 この製品を作るには、(じゅんすい)なアルコールが必要だ。

3 先生は、生徒の名前を(じゅんばん)に読み上げていった。

4 人間の体内には、血液が休みなく(じゅんかん)している。

30 多くの人が、知らないうちに時間を(ろうひ)している。

1 今度の旅行は、あまり(ひよう)がかけられない。

2 彼は、いつも(ひにく)な言い方をする。

3 花の咲いたあとに、十分(ひりょう)を与えたほうがいい。

4 毎晩帰りが遅いせいか、(ひろう)がたまっているようだ。

問題四 次の文の下線をつけた言葉は、ひらがなでどう書きますか。

同じひらがなで書く言葉を、1・2・3・4から一つ選びなさい。

(3点)

31 生涯にわたって一つの仕事に打ち込む。

1、傷害 2、正解 3、盛大 4、紹介

32 電話で消防車の出動を要請した。

1、養成 2、容積 3、抑制 4、様相

33 顕微鏡で雪の結晶を見る。

1、化粧 2、決勝 3、傑作 4、欠席

問題五 ( )の中に入れるのに最も適当なものを1・2・3・4から一つ選んで下さい。

34 彼は( )性格でみんなに好かれている。

1 明確な 2 明解な 3 明朗な 4 明白な

35 周囲の人々の気持ちに( )して対策を考えるべきだ。

1 気配 2 配慮 3 配置 4 分配

36 高い木に登っている子供が落ちはしないかと、大人は( )して見ている。

1 はらはら 2 ひらひら 3 ぶかぶか 4 ふらふら

問題六 次の文章ことばの意味を説明したものです。

その説明にあう用例を1・2・3・4から一つ選んでください。

(4点)

37 言わなくてもお互いにわかっていること。

1 わかりやすい例をあげて説明してください。

2 次回の会合は例の場所で行います。

3 そんなことは例がないから無理だ。

4 例にならって答えてください。

38 きれいに・・・・残らす。

1 花がきれいに咲いている。

2 手をきれいに洗ってください。

3 そのことはきれいに忘れてしまった。

4 試合は正々堂々ときれいにやってほしい。

 

39 もまれる・・・・いろいろな経験を積む。

1 満員電車でもまれて、ひどく疲れた。

2 彼は世間でもまれて、すっかり大人になった。

3 その船は波にもまれて、今にも沈みそうだった。

4 マッサージを頼んだら、痛いほど強くもまれてしまった。

40 すじ・・・・一貫した論理、道理。

1 首のすじをちがえたため、けさは首が回らない。

2 この子はすじがいいから、きっとうまくなりますよ。

3 確かなすじから得た情報だから、まちがいないだろう。

4 彼の言うことはすじが通っている。

問題七 次の文の__にはどんな言葉を入れたらよいか。

1・2・3・4から最も適当なものを一つ選びなさい。

(30点)

41 前から欲しかった本がやっと手に入った  、早速徹夜して終わりまで読んでしまった。

1ものだから2ことだから3ものでも  4ことでも

42 昼休み  、事務所は1時まで休みです。

1にとって   2のもので    3につき    4の末に

43 彼は、私が借金を抱えていることを知っているに  。

1ちがいない2かぎらない3ほかでもない 4おうじない

44 彼女の演奏には、人の心を  。

1動くことである   2動かすことである3動くものがある4動かすものがある

45 今度の選挙では、実力も人気もあるあの若い候補が勝つに  。

1限られている 2限っている3決まっている 4決めている

46 今は都会になってしまったが、数年前までこのあたりは畑ばかりのいなかだった。

それ  時の流れのなんと早いことか。

1によっても2についても3においても4につけても

47 みんなの前でパソコンが得意だなんて話すんじゃなかった。

よけいなことを言った  クラス会の案内状作りを頼まれてしまった。

1ほどで 2かぎりに  3だけあって4ばかりに

48 コーチは、これまで選手を育てることにすべてのエネルギーを注いできた。

選手たちはこれ  、今年の大会で次々と新記録を出した。

1にこたえて2にくらべて3に反して 4にもかかわらず

49 参加国の首相による話し合いは、5回に  行われた。

1そって2はいって 3わたって 4おうじて

50 面接試験では、その人の能力  服装までも判断の材料にされる。

1としたら 2のすえに3にしては 4はもちろん

51 この劇場は、一番後ろの座席でもよく聞こえる  設計されている。

1ように2ために3だけに4ことに

52 この子は小学生  ずいぶんしっかりしている。

1にすると 2にしては3にするなら4にしてから

53 先日の会議では彼の説明に  質問が集中した。

1つけて 2おいて   3とって   4対して

54 台風で電車が不通になっていたが、10時間  運転を始めたそうだ。

1ごろに 2ほどに  3ぶりに  4ぐらいに

55 最終電車に乗り遅れてしまったので、歩いて帰る  。

1うえはない2ほどはない3ものはない4ほかはない

56 外国語教育について、政府の方針に  計画を立てた。

1ついだ2至った3即した4比した

57 劇団は評判がよく、明日の公演を  今年は10都市をまわる予定である。

1かわきりに2かえりみず3前にして 4禁じえず

58 当最近の若い親と  、子どもが電車の中で騒いでいても、ちっとも注意しようとしない。

1あれば   2いえども   3ばかりに   4きたら

59 1年に1回ぐらい  、こんなにしょっちゅう停電するようでは、普段の生活にもさしつかえる。

1ならまだしも  2ともなると3にあって 4ほどてなくても

60 こうして私たちが商売を続けられるのも、お客様  のものと感謝しております。

1だって  2あって  3かぎり 4ばかり

61 留学する  、勉強だけでなく、その国の文化を学んだり交流をしたりしたいと思う。

1一方で   2あげくに  3以上は   4末には

62 小学校からずっと仲のよかった彼女が遠くに引っ越すのは、寂しい  。

1ほかない2に限る 3限りだ     4にほかならない

63 台風の被害にあった人々のため、一日も早い生活環境の整備を  。

1願っていられない2願うわけでもない3願いようもない 4願わずにはいられない

64 首相が誰になるかは、日本の将来  ことだ。

1 に基づく 2にかかわる 3にかたくない  4に相違ない

65 この地域の再開発に自分がかかわることになろうとは  。

1想像すらしていなかった 2想像することができた

3想像さえしたわけだ    4想像しないではいられない

66 この作品の芸術的価値は高く、十分、今回の展覧会に出品する  。

1にとどまる2にすぎない3にたる4にこたえる

67 就職が決まらなくても困らない。

アルバイトをして生活する  。

1までだ    2かわりだ 3とおりだ 4ほどだ

68 彼は会社勤めの __、福祉活動に積極的に取り組んでいる。

1かたわら2あまり    3うちに    4いかんで

69 国際政治の専門家__ 、日々変化する世界情勢を分析するのは難しい。

1とあって    2にしては   3にかけては  4といえども

70 ウイルスの感染経路を明らかに__調査が行われた。

1すまじと 2すべく   3するはおろか  4すべからず

問題八次の文章を読んで、後の問いに答えなさい。

(14点)

文章Ⅰ(2点)

どんなにいいことを言っても,口に出したことばはすぐに消えてしまう。

聞いた方もすぐに忘れてしまう。

よほど印象深く聞いたことばなら,そうすぐには忘れもしないだろうが,ふつうは二,三日もすればほとんど忘れてしまうことが多いのではなかろうか。

ところが,いいことを言った方の人は,相手は覚えているのが当然だと考えがちである。

したがって,覚えていないことがわかった場合,けしからん,ということにもなりかねない。

…(略)…そこで,どうすればよいか,ということである。

一つは,くり返し話すことである。

大切なこと,相手に覚えてもらいたいことは,何度も何度もくり返して言う。

二度でも三度でも,五へんでも十ぺんでも言う。

そうすれば,いやでも頭に入る。

覚えることになる。

(松下幸之助『人を活かす経営』PHP研究所)

71 いいことを言った人は,それを聞いた人の記憶について,どう考える傾向がありますか。

1.覚えていなくても仕方ない。

   2.覚えているわけがない。

3.数日なら覚えているだろう。

   4.覚えているものだ。

72 次の文章で筆者が最も言いたいことはどれですか。

1.聞いたことを忘れないためには、何度も繰り返して覚えるとよい。

2.覚えて欲しいことは、相手にくり返し伝える努力が必要だ。

3.いいことを言った人は、相手が覚えていなくても怒らないほうがよい。

4.いいことを覚えるためには、相手に何度でも言ってもらうことだ。

文章Ⅱ(6点)

私の住む東京都品川区の旗の台の近辺では子どもたちが普通の隠れん坊をすることはほとんどない。

そのかわりに変型した隠れん坊はしばしばおこなわれている。

商店街の裏手の入り組んだ路地や、整地中の小工場の跡地や、まだ人の入っていない建て売り住宅の周りや、周囲のビルに押しつぶされそうな小公園で、子どもたちの呼び方では「複数オニ」とか「陣オニ」といった隠れん坊の変り種が生き延びている。

その変り種のなかでも、かんけりは子どもたちに好まれている。

 「複数オニ」とは、その呼び名のとおり、見つかった者すべてが見つかった時点でオニに転じて、複数のオニが残りの隠れている子どもを探す隠れん坊である。

 「陣オニ」の場合は、立木でも塀の一部でもよい、オニが決めた「陣」にオニより早くタッチすればオニになることから免れる。

ただし、かんけりと違って、助かるのは陣にタッチした本人だけである。

 子どもたちが集まって何かして遊ぼうとするときに、隠れん坊をしないで「複数オニ」や「陣オニ」をすることには見過ごし難い意味がありそうだ。

隠れん坊は、■a藤田省三が「或る喪失の経験——隠れん坊の精神史——」という論文(『精神史的考察』平凡社、一九八二年、所収)で述べたように、人生の旅を凝縮して型取りした身体ゲームである。

オニはひとり荒野を彷徨し、隠れる側はどこかに「籠る」という対照的な構図はあるけれども、いずれも同じ社会から引き離される経験であり、オニは隠れていた者を見つけることによって仲間のいる社会に復帰し、隠れた者もオニに見つけてもらうことによって擬似的な死の世界から蘇生して社会に戻ることができる。

隠れん坊が子どもの遊びの世界から消えることは、子どもたちが相互に役割を演じ遊ぶことによって自他を再生させつつ社会に復帰する演習の経験を失うということである。

■Aたしかに「複数オニ」や「陣オニ」はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない。

 ■b小学六年生の男の子から聞いた話を翻案すれば、「複数オニ」の演習の主題は裏切りである。

オニが目をつぶってかぞえている間に子どもたちはいっせいに逃げる。

それぞれ隠れ場所を工夫しても、同じ方向に逃げれば、近くにいる者同士は互いにどの辺に隠れているかを知っている。

そのとき一方が見つかれば即座にオニという名のスパイに変じて、寸秒前に仲間だった者の隠れ家をあばくことになる。

近くに隠れた者との仲間意識は裏切り・裏切られる恒常的な不安によって脅かされている。

連帯と裏切りとの相互変換が半所属の不安を産み出し、その不安を抑えこもうとして、裏切り者の残党狩りはいっそう苛酷なものになる。

オニは聖なる媒介者であることをやめて秘密警察に転じ、隠れる側も一人ひとりが癒し難い離隔を深めつつ、仲間にスパイを抱えた逃亡者集団と化す。

 「陣オニ」について、さきほどの少年は「自分だけ助かればよい」ゲームだという。

「陣オニ」の本質をいいつくした説明であろう。

「陣」になる木や石は、元来呪的な意味をもち、集団を成り立たせる中心であった。

だが今日子どもたちのおこなう「陣オニ」では、「陣」は社会秩序そのものであり、「陣」に触れることは、自分を守ってくれる秩序へのコミットメントを競争場裡で獲得すること、選良の資格を手にすることである。

社会秩序の中心と私的エゴイズムとを結びつけるための単独行的な冒険ということが、「陣オニ」の演習の本義なのだ。

 隠れん坊の系譜をはずれた身体ゲームのなかで子どもたちに好まれている遊びは「高オニ」である。

「高オニ」は、土の盛り上がったところ、石段の上部、ブロック塀の上など、オニの立った平面よりもより高い位置に立つことによってオニになることを免れる遊びで、鬼ごっこの一種と考えられる。

この遊びの演習課題は、人より高い位置に立つこと、より高みをめざすことがポイントである。

 「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」のような戸外の遊びに飽きた子どもたちは、子ども部屋に閉じこもって「人生ゲーム」に興じる。

「人生ゲーム」は、周知のように、金を操作することによって人生の階段を上昇することを争うゲームである。

ルーレットをまわすたびに金が動く。

人生の修羅場をくぐって他人を蹴落としながら、自動車を買い、会社に入り、結婚し、土地を買い、家を建て、株を売買する。

こうして最終的に獲得した財産の多寡に応じて、その人の人生の到達度が量られる。

成功の頂点は億万長者、ついで社長で、最底辺は浮浪者である。

その間に万年課長とか平社員とかレーサーといった地位・職業が位階づけられて配列されている。

 ■B「複数オニ」「陣オニ」「高オニ」の行き着く先が「人生ゲーム」といえるのではないか。

これらのすべての身体ゲームが共通のコスモロジーをもっている。

それは、私生活主義と競争民主主義に主導された市民社会の模型としてのコスモロジーであり、また、産業社会型の管理社会の透視図法を骨格にもつコスモロジーでもある。

これらの身体ゲームを通して、子どもたちは現実の社会への適応訓練をおこない、おとなの人生の写し絵を身体に埋め込むのである。

 もとより玩具産業が次から次へと繰り出して見せる新しいゲームの魅力に子どもたちは抗し難い。

ひとり遊びに子どもを引き入れるゲーム・ウォッチ、列強に分かれて太平洋戦争を再演してみせるシミュレーション・ゲームに子どもたちの関心が移れば、「人生ゲーム」は「クラシック」なゲーム、「ダサイ」遊びになってしまう。

だが、たび重なるモデル・チェンジにもかかわらず、幻想的に上演されるゲームは、限定された同じコスモロジーを浮かび上がらせる。

子どもたちに目先の関心を変えさせ、次から次へと飽きさせることもまたこの商業主義のコスモロジーの特徴である。

子どもたちは飽きることの中毒症にかかったようなものだ。

しかし、とことんまで飽きたとき、ふと、■C飽きることに飽きてしまう一瞬が子ゼもたちを訪れる。

密室で、とにかく他人を打ち負かすありとあらゆるゲームに熱中していた子どもたちが、思い出したように外へ出てくることがある。

そのときボールがあれば、三角ベースやサッカーが始まることもあるだろう。

何もなくからだだけあるとき、「陣オニ」や「高オニ」が思い出されるだろう。

だが、飽きることの煉獄から戻ってくるとき、子どもたちは管理社会のコスモロジーそれ自体に飽きているのだ。

「陣オニ」や「高オニ」に同構造のコスモロジーを感じ取れば、子どもたちのからだは急速に熱中度を失う。

 子どもたちのからだの慣性が、意図しないで管理社会のコスモロジーを引き寄せてしまう。

累々たる管理社会のコスモロジーの山だ。

だが、その間隙をぬうようにして、同じからだの慣性がもう一つのコスモロジーに出会う場合がある。

もう一つのコスモロジーが憑きやすい遊びは、からだの集まりが相互性を帯びるときに思い出される。

かんけりはそのような身体ゲームの一つである。

 かんけりはね、かんを思いっきりけっとばすときが気持ちいいんだよ、と小六の男の子はいう。

輪の中心に置かれたあきかんに吸い寄せられるようにして、物陰から物陰へと忍び寄っていく。

背を見せたオニとの距離を見切ったとき、もうからだは物陰からとび出している。

オニが猛然と迫ってくる。

オニのからだとほとんど交錯するようにしながら、一瞬早くあきかんの横腹を蹴る。

あきかんが空中をゆっくり弧を描いてくるりくるりと舞うとき、時よとまれ、とでも叫んでしまいそうな快感が押し寄せ、同時に「私」という名の何ものかが音もなく抜け出していき、とても身軽になったからだだけが残される。

もっとも、いつもそんなにうまく蹴れるわけではない。

しばしばかんはさわがしい音をたてながら舗道を転がっていったり、二、三メートル先の芝生にぽとんと落ちてとまったりする。

それでもかんを蹴った喜びには変りない。

 かんを蹴るとき、人は市民社会の「真の御柱」を蹴る身ぶりを上演している。

輪が市民社会を示すとすれば、かんは秩序の中心であり、管理塔でもある。

子どもたちはかんを蹴ることによって、家、学校、塾、地域、社会一般、そして自己内面の管理社会のコスモロジーに蹴りを入れているのだ。

 小六の少年はまたいう。

かんけりは隠れているとき、とっても幸福なんだよ。

なんだか温かい気持ちがする。

いつまででも隠れていて、もう絶対に出て来たくなくなるんだ。

管理塔からの監視の死角に隠れているとき、一人であっても、あるいは二、三人がいっしょであっても、羊水に包まれたような安堵感が生まれる。

いうまでもなくこの「籠り」は、管理社会化した市民社会からのアジール(避難所)創建の身ぶりなのだ。

市民社会からの離脱と内閉において、かいこがまゆをつくるように、もう一つのコスモスが姿を現してくる。

それは、胎内空間にも似て、根源的な相互的共同性に充ちたコスモスである。

おとなも子どもも、そこで、見失った自分の内なる<

子ども>

、<

無垢なる子ども>

に再会するのである。

 小六の男の子は最後にもう一つつけ加えていう。

かんけりは「陣オニ」と違ってほかの人を救おうとするの。

自分も救われたいけれど、つかまった仲間を助けなくちゃって、夢中になるのが楽しい。

だけどオニは大変だな。

オニは気の毒だから何回かかんを蹴られたら交替するんだ。

実際、かんけりでは、隠れた者は誰もオニに見つかって市民社会に復帰したいとは考えない。

運悪く捕われても、勇者が忽然と現れて自分を救出してくれるごとを願っている。

■D隠れた者が囚われた友を奪い返して帰って来ようとするのは、つねにアジールの方、市民社会の制外的領域である。

オニが「気の毒」であるのは、オニが最初から市民社会の住人であるかぎり、隠れた者を何人見つけても、そのことで自分が市民社会に復帰するドラマを経験しようがないからである。

隠れる者は市民社会では囚われ人以外ではなく、したがって、オニは管理者であることをやめることはできない。

  (栗原彬「かんけりの政治学」による)

73 傍線部A「たしかに『複数オニ』や『陣オニ』はおこなわれているけれども、それらはもはや普通の隠れん坊の退屈さを救うためにアクセントをつけた、といったていどのことではない」とあるが、それはどういうことか。

その説明として最も適当なものを、次の(1)〜(5)のうちから一つ選びなさい。

(1)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちがいくつもの役割を相互に演じ遊ぶ点で、従来の隠れん坊の枠をこえた、人生の行程が凝縮して経験される苛酷な身体ゲームになってしまっているということ。

(2)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニに捕まった者も助かる契機が与えられている点で、従来の隠れん坊にはなかった、擬似的な死の世界から蘇生する象徴的意味を内包してしまっているということ。

(3)「複数オニ」や「陣オニ」は、オニも隠れた者も仲間のもとに戻ることが想定されていない点で、従来の隠れん坊の本質であった、社会から離脱し復帰する要素を完全に欠いてしまっているということ。

(4)「複数オニ」や「陣オニ」は、子どもたちの自由を制限するさまざまなルールが付加されている点で、従来の隠れん坊とは異質な、管理社会のコスモロジーに主導さ

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