考研日语万能作文模板.docx

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考研日语万能作文模板

考研日语万能作文模板第1类(共两类)

段落

内容

模板句

开首段

扣题展开

第1句(2模板句)

描绘产生问题的背景

第2句(2模板句)

说明在该背景下问题如何产生

第二段

论述方法一

(角度A)

第1句(2模板句)

一句话提出方法

第2句(2模板句)

进一步阐明方法

第3句(2模板句)

论述必要性(为什么)

第4句(2模板句)

总结说明该方法

第三段

论述方法二

(角度B)

第1句(2模板句)

一句话提出方法

第2句(2模板句)

进一步阐明方法

第3句(2模板句)

论述必要性(为什么)

第4句(2模板句)

总结说明该方法

总结段

扣题总结

第1句(2模板句)

再一次强调问题的迫切性

第2句(2模板句)

从正面或反面说明如果采取以上措施,则问题可以得到解决

第一段:

第1句:

模板句1きょう今日のせかい世界においては、へいわ平和とはってん発展がおも主なちょうりゅう潮流である。

にもかかわらず、たまにとっぱつてきさいがい突発的災害やじけん事件がお起こるかのうせい可能性もある。

翻译:

在当今世界上,和平和发展是主要的潮流。

但是,有时候会偶尔发生突发性的灾难、事件。

模板句2いま今では、しぜんかんきょう自然環境がこれいじょうわる以上悪くなると、ちきゅう地球がたいへん大変なことになるということがひろ広くし知られるようになった。

オゾンそう層のはかい破壊、ちきゅう地球のおんだんか温暖化、さんせいう酸性雨、すいしつおせん水質汚染、ごみもんだい問題など、みぢか身近なしぜんはかい自然破壊のれい例はまいきょ枚挙にいとまがない。

翻译:

众所周知的是,如今,自然环境如果再持续恶化,地球将难以承受。

臭氧层破坏、温室效应、酸雨、水污染、垃圾问题等等,这些发生在我们身边的自然破坏的例子,不胜枚举。

第2句:

模板句1とっぱつてきさいなん突発的災難やじけん事件はじぜん事前によそく予測できないうえ上に、おお大きなひがい被害をおよ及ぼすばあい場合もおお多いため、ぼうさいいしき防災意識やたいおうさく対応策をそな備えているひつよう必要がある。

翻译:

突发性灾难、事件不能事先预测,而且,由于很多情况下带来很大的破坏,因此有必要进行防灾意识、防灾对策的准备。

模板句2しかし、「いま今、ちきゅう地球はしんこく深刻なきき危機におちいっている」といったらおおげさだとおも思うひと人がまだたいせい大勢いるが、ちきゅう地球のきき危機はまぎ紛れもないじじつ事実なのだ。

翻译:

然而,即便是说“如今地球正陷入严重的危机”,很多人以为这言过其实,但是,地球的危机确实是不争的事实。

第二段:

第1句:

模板句1:

こじん個人として、まんいち万一のさいなん災難やじけん事件にたい対して、われわれ我々は心構えをしていなければならない。

翻译:

作为个人,为应对万一出现的灾难、事件,我们必须要做好心理准备。

模板句2:

ひと一つは、じぶん自分にとって「むだ無駄なじかん時間をへ減らす」ことだ。

翻译:

一个是,对于自己而言,减少浪费的时间。

第2句:

模板句1:

まえ前もってさいなん災難があったらどのようにすればいいのか、どうすればお落ちつ着けるかというちしき知識をべんきょう勉強せざるをえない。

翻译:

我们必须要事前学习这一类知识:

一旦发生了灾难该如何应对、如何才能够冷静下来。

模板句2:

だいがく大学にう受かるためのじかん時間がひつよう必要ならば、それにかんけい関係のないじかん時間をへ減らせばいい。

翻译:

如果准备大学考试的时间很重要,那么就应减少与之无关的时间花费。

第3句:

模板句1:

まえ前もってぼうさいいしき防災意識がそな備えていたら、お落ちつ着いたきも気持ちでさいがい災害やじけん事件をたいおう対応することもできるし、そのそんしつ損失をさいしょうげん最小限にすることもできるとおも思っている。

翻译:

如果提前做好防灾意识的准备,那么既可以以平静的心情来应对灾害、事件,也可以将损失控制在最小的范围。

模板句2:

せいかつ生活にはいろいろなことにちゅうい注意をはら払うひつよう必要がある。

でも、どれもこれもじゅうぶん十分なじかん時間をとるのは、とうていむり無理なはなし話だ。

翻译:

在生活中有很多事情值得花费精力。

但是,如果什么事情都花费充足的时间,无论如何也是难以办到的事情。

第4句:

模板句1:

これをみ身につけるためには、く繰りかえ返しおこな行うきょういく教育がもっと最もたいせつ大切である。

とく特にそうきがっこうきょういく早期学校教育、かていきょういく家庭教育がじゅうよう重要である。

翻译:

为了掌握它,反复的进行教育是最为重要的。

特别是早期的学校教育和家庭教育尤为重要。

模板句2:

だから、どうしてもじぶん自分にとってす捨てられないことをす捨てられないじかん時間をふた二つかみっ三つにしぼ絞り、それいがい以外はけず削らなければならない。

翻译:

因此,将对自己最为重要的事情、时间精简为两到三个,其他的都必须舍弃。

第三段:

第1句:

模板句1:

いっぽう一方、せいふ政府として、とっぱつてきさいなん突発的災難やさまざまなじけん事件へのたいおうさく対応策をじぜん事前にじゅんび準備すべきである。

翻译:

另一方面,作为政府,应该对突发性灾难、各类事件做预先的准备。

模板句2:

じかん時間をふ増やすふた二つめ目のほうほう方法は「じかん時間のみつど密度をあ上げる」ことだ。

翻译:

增加时间的第二个方法是:

提高时间的利用密度。

注:

其他句式与上一段构成相同,不赘述。

第四段:

第1句

模板句1:

しぜん自然はゆうげん有限である、どこかでじんるい人類がよくぼう欲望をじせい自制することをまな学ばなければ、じんるい人類もまたきょうりゅう恐竜のに二のまい舞になる恐れがある。

翻译:

自然资源是有限度的,如果人类不能学着控制欲望,就可能重蹈恐龙灭绝的覆辙。

模板句2:

じんせい人生がみじか短いが、じかん時間をむだ無駄にく暮らしがちなひと人がたいせい大勢いる。

ざんねん残念なことに、じかん時間をつく作るほうほう方法をますたマスターするひと人がとても少ない。

翻译:

人生很短,但却有很多人在浪费大好青春。

很遗憾的是,只有很少人掌握了创造时间的方法。

第2句:

模板句1:

したが従って、みらい未来につづ続くたいせつ大切なしぜん自然をまも守れば、きっとすば素晴らしいみらい未来がむか迎えられるだろう。

翻译:

因此,如果能在未来持续地保卫大自然,那么一定能迎来光明的未来。

模板句2:

じかん時間をつく作れらなければ、もっとゆういぎ有意義なせいかつ生活をく暮らすことができないのだ。

ゆういぎ有意義なせいかつ生活をく暮らせばく暮らすほど、まこと真のこうふく幸福になるというわけである。

翻译:

只有创造时间,才能过上更加具有意义的生活。

越能过上有意义的生活,也就是说得到了真正的幸福。

問題1

あなたは、外国の人があなたの国の母語で語りかけてきたとき、文法や言葉遣いが間違っていたら直してあげますか。

それとも失礼になると考えて言わないでおきますか。

解答直してあげる

私は間違っていたら直してあげる。

なぜなら、言葉の誤用に中には、相手の誤解を生んだり心を傷つけるような言い回しがあり、その不用意な一言のせいでゴミュコケーシュンに障害が生じるとしたら、本人にとっても不幸だと思うからだ。

例えば、日本語の「あなた」という言葉は目上の人に使うと失礼になるが、欧米の人たちは誰彼の区別なく「あなた」を使う。

それが初心者ならまだ許せるが、ぺらぺらしゃべる外国の人に「あなた」と言われたら、日本人は間違いなくむかっとするだろう。

それは母語と関係しているのであり、何の悪意もないのだが、言われた日本人はいい気持ちがしない。

こうした誤用は誰かが指摘してあげなければ、いつまでも直らない。

従って、異なる言語や文化を持った者同士のゴミュコケーシュンが大切な時代には、自分が間違っていたら指摘してもらうし、相手が間違っていたら指摘してあげるといった率直さが美徳となると思う。

問題2

ある外国の人は「日本人は『はい/いいえ』がはっきりしないから、理解しにくい。

日本人はもっとはっきり意思表示をするべきだ」と言います、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答賛成する

私はこの意見に賛成である。

確かに日本人は「はい/いいえ」をはっきり言わない傾向がある。

それは相手の気持ちを傷つけまいとする「和」の文化と言われるものだろうが、私たち外国人には賛成なのか反対なのか、好きなのか嫌いなのか、とても判断しにくい。

例えば、以心伝心とか、言葉を使わずに察しあう習慣は、日本社会のような同質性の高い同一民族社会では可能かもしれないが、私の国中国のように文化が異なり、言語が異なる多民族が暮らす社会ではほとんど不可能だと思う。

きちんと意思表示しなければ、コミュニケーションが成立しないのである。

今の日本も国際化が進んでおり、多くの外国人が住み、異文化間の交流が日常化している。

そんな国際化時代には、はっきりとした意思表示や自己主張ができなければ、他人からも認めてもらえなくなるのではないか。

従って、私は日本人にはもっとはっきり意思表示できるようになってほしいと思う。

問題3

日本には昔からクジラの肉を食べる習慣がありますが、現在は食用としての商業捕鯨は全て禁止されています。

あなたはこの商業捕鯨の一律禁止についてどう考えますか。

解答賛成する

私は商業捕鯨の一律禁止に賛成である。

なぜなら、クジラは繁殖力が低いので、捕りすぎると資源の回復が遅いからであり、また、クジラは経済的価値が高く、商業捕鯨を一旦認めると、乱獲されやすいからである。

例えば、1946年に「国際捕鯨条約」が締結されたが、その後も乱獲が続き、クジラを絶滅の危機に追い込んだのは周知の事実である。

捕鯨国代表は、カンガルーと同様に間引きが必要なまでに鯨が増えているとし、商業捕鯨の再開を主張しているが、鯨の生息数に関して、科学的に確定した合意が得られているわけではない。

また、捕鯨反対派に対して「食文化への干渉」と言うが、IWCが原住民の生存捕鯨を認めているように、食文化まで否定しているわけではない。

乱獲を防ぐための国際的管理体制が確立されない状況下で、商業捕鯨が再開されることに反対しているのである。

従って、私は現状における商業捕鯨の再開に反対する。

問題4

「言語や宗教、生活習慣など、民族間の文化的な違いが生む確執こそ、現代の地域紛争を生む最大の原因である」という意見があります。

あなたはこの意見をどう思いますか。

解答反対する

私はこの意見に反対である。

なぜなら、現代の地域紛争は単に宗教や言語の差異から起こるのではなく、主に経済・政治的理由から生じているからである。

例えばパレスチナ問題である。

「パレスチナ人」という民族概念もユダヤ人国家イスラエル誕生で土地を追われ、難民となった人々の共通の運命をてこに形成されたのであり、歴史的にも新しい事態である。

それ以前のパレスチナでは多数派であるイスラム教徒と、少数派であるキリスト教徒やユダヤ教徒が住んでいたが、人々は宗教や民族の違いに関わらず、共存して暮らしていたのである。

また、アフリカ各地で部族間紛争が頻発しているが、そもそもヨーロッパ列強がが植民地化のために諸部族や諸民族の暮らしを無視して、人為的に引いた国境線が原因となっている。

従って、文化や宗教の違いがあっても人々は棲み分けし共存してきたのであり、文化の違いが地域紛争を生んだのではないのである。

問題5

ごみ減量やリサイクルを促進するために、残飯や紙、プラスチック容器などの一般家庭ゴミの回収も有料化するべきだという意見があります。

あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答賛成する

私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成である。

なぜなら、ゴミを捨てるのにお金がかかれば、市民もゴミの分別やリサイクルに関心をもつし、ゴミ減量にも目に見える効果が期待できるからだ。

例えば、家電ガミの回収の有料化によって、家庭から捨てられる家電は半減したし、家電メーカーでも使える部品を再利用して製品として再生するなどの取り組みが進んだ。

同様のことは家電ゴミ以外でも起こると思う。

食べ物を無駄にしていないかとか、使い捨てのプラスチック容器のように、使い捨てとなり、再利用が困難なモノを作っていないかなど、消費者からの生産現場への問題提起となり、リサイクル社会への移行が進むに違いない。

確かに、家計の負担は増える。

しかし、今までもゴミ処理費を税金として住民が負担していたことに変わりはなく、住民自身、その長短を考えるべきだろう。

以上の理由から、私は一般家庭ゴミの回収有料化に賛成する。

問題6

「地球温暖化を防ぐためにも、できるだけ自動車や電気を使わない生活をするべきだ」という意見がありますが、あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答人々の意識

私はこの意見に賛成である。

なぜなら、地球温暖化の最大の原因は、今日の「消費は美徳」とする大量消費型社会にあり、エネルギー浪費型の生活スタイルにあると思うからだ。

例えば、自動車がなければ本当に生活できないのか。

クーラーがなければ生きていけないのか。

極論すれば、それらはなくても生きていけるはずだ。

しかし、水、空気、土地、太陽、植物といった自然が壊わたら、人は生きていけない。

せめて、近くの移動は自転車を使い、多少の暑さ寒さに耐えるぐらいのことはできることだ。

自然は有限であり、どこかで人類が欲望を自制することを学ばなければ、人類もまた恐竜の二の舞になるだろう。

この地球には、60億人を越す人類が、先進国並みの消費生活を享受できるような余地はないのである。

従って、私は未来の子孫のためにも、可能な限り車や電化製品に頼らない生活をすべきであり、資源リサイクル型社会を目指すべきだと考える。

問題7

最近、電子辞書が普及していますが、あなたは外国語を学習するとき、普通の印刷された辞書と電子辞書と、どちらが勝っていると思いますか。

解答普通の辞書

私は外国語の学習には、印刷された普通の辞書の方が勝ると考える。

なぜなら、単に意味を調べるだけなら電子辞書の方が便利だが、言語学習には語彙や例文を覚えるための練習があり、そのためには下線を引いたり、メモしたりできる辞典の方がいいと思うからだ。

例えば、外国語を学ぶための教材に電子教科書が使われないのは、言語習得には手で書いたり、声を出して反復したり、教師の説明をメモしたりと、様々な作業が必要だが、電子教科書ではそれができないからであろう。

また最近、電話番号を記憶させておける携帯電話が普及したために、人は相手の電話番号を覚えなくなったと言われるが、同様のことが外国語学習でも言えそうである。

人は易きに流れるものであり、便利になればなるほど、機械に頼り、覚えたり考える努力をしなくなるものだからである。

従って、言語学習には、日々の努力の跡がまざまれる普通の辞書の方が勝ると思う。

問題8

ある人は、「子供に悪い影響を与えるテレビ番組は、法律で規制するべきだ」と言います。

ある人は、「表現の自由を侵害することになるので、テレビ番組を規制するべきではない」と言います。

あなたはどちらの意見に賛成しますか。

解答規制すべきだ

私は、「子供に悪い影響を与える可能性のあるテレビ番組は法律で規制すべきだ」という意見に賛成する。

なぜならば、テレビの番組は、見たい人だけが足を運ぶ劇場や映画館とことなり、誰もが見る可能性がある自宅に、一方的に送られてくるものだからである。

露骨なベッドシーン、残酷な暴力シーンなど、明らかに子供に有害と思われる番組が、野放しにされているのは好ましいことではない。

「殺人者をテーマにした番組を見た子どもが、全員人殺しをするわけではない」が、犯罪行為を英雄のように描く番組や、暴力礼賛のような番組が、子供たちに何の悪影響も与えないと断言できるのだろうか。

また、正しいかどうかを疑う確かな目が、まだ養われていない子供には、発展段階に応じた情報や内容が提供されるべきだろう。

従って私は、子供に悪い影響を与える番組を規制することは、子どもたちの健全な感受性を養う上で、必ずポラスに働くと思う。

問題9

将来、学生はコンピュータなどの情報機器を使った在宅学習か、従来通り学校に通って受ける学校教育かを自由に選択できるようになるでしょう。

その場合、あなたはどちらを選びますか。

解答学校教育

私は学校教育を選ぶ。

なぜなら、共通の学びの場である学校という集団生活の中でしかできないことがあると思うからである。

例えば、友との交流や、クラスのみんなが力を一つにして何かを実現する喜びなど、自宅に引きこもっていただけでは味わえないことである。

確かに今日の学校では、いじめ、不登校、暴力などの様々なことが起こっている。

私自身、学校の勉強が楽しいわけでもないし、学校という集団生活の中では、煩わしいこともあれば、自分の思い通りにならないこともある。

しかし、人は一人では生きていけないし、人との関係に中でこそ喜びもある。

また、学校といういろいろな個性が出会い、集団で生活する経験を通して、私たちは実社会で生きる力を身につけるのではないだろうか。

これらのことは、ひとりでパソコンに向かい在宅学習をしているだけでは、決して学ぶことはできない。

以上が私が学校教育を選ぶ理由である。

問題10

あなたは、情報源として、新聞とテレビと、どちらの方が信じられると思いますか。

どちらかと選んで、あなたの意見を書いてください。

解答新聞

私はテレビよりも新聞の方が信用できると考える。

なぜなら、新聞は速報性よりも、事実を正確に伝え、解説することを目的としているからであり、テレビよりも感情や過剰な脚色を交えぬ報道ができるからだ。

例えば、アメリカの同時多発テロ事件の報道にしても、テレビではアナウンサーが絶叫し、センセーシュナルに報道していたが、映像や音声があるおかげで臨場感はあるものの、実際の被害はどうなのか、どうしてこのような事件が起こったのかなど、冷静になって知りたいと思う、やはり翌日の新聞を読むことになる。

やはり、文字を中心とする新聞の方が、活字化するという作業の中で言葉が選ばれ、事実や論評げのチエックが働くからだと思う。

確かに、新聞にも誤報がないわけではないが、テレビのように視聴率を稼がんがための演出や「やらせ」が少ないぶん、信びょうせいも高くなる。

従って、私はテレビよりも新聞のほうが信用できると考える。

問題11

日本では学校教育法(第11条)で体罰を禁止されていますが、「ケースによっては、体罰が必要なこともある」と主張する人がいます。

あなたはこの意見に賛成ですか、反対ですか。

解答反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、体罰というの外からの強制であり、このような他律的な強制力では自覚的規律の育成は不可能だと考えるからである。

例えば、これは実際の話であるが、学校でいじめ事件が発生し、いじめた者たちを生活指導の教師が体育館に何時間も正座させ、姿勢が崩れた者を竹刀で打つという体罰を加えたことがある。

それで、いじめがなくなったかというと、結果は全く逆であり、よりいじめは陰惨となり、巧妙となった。

体に傷が残らないようないじめが、訴えた生徒に加えられたのである。

この一例を見ても、体罰が有効でないばかりか有害であることがわかる。

私は教室で騒いだり、喧嘩をした生徒を教室に立たせたり、運動場を走らせたりする程度のことまで体罰とは言わない。

しかし、一旦制度として体罰が認められれば、それが過剰に行使される危険の方が大きい。

従って、私は体罰を認めることに反対である。

問題12

「今の大学入試制度を廃止し、一定の成績で高校を卒業した学生には誰でも大学進学の資格を与え、卒業を厳しくする方式に変えていくべきである。

」という意見があります。

あなたはこの意見に賛成しますか、反対しますか。

解答反対意見

私はこの意見に反対である。

なぜなら、競争こそ進歩の原動力であり、努力した者が報われ、能力のある者がよりその能力を磨けるいい大学に進学するのは当然の権利だと考えるからだ。

例えば、大学が成績の善し悪しを基準にしないで、誰でも学生を受け入れるとしたら、大学ではその水準に合わせる授業が必要となるため、授業レベルは低下し、学習意欲も高く能力もある学生は犠牲にされることになる。

中高生たちは、「勉強は大学に入ってからでもいいさ」と怠けるようになるのではないだろうか。

安易さは堕落を生む。

この競争社会では安易な道はない。

勝ち残るためには努力が必要なのである、それは、中等教育でも大学でも、そして社会に出ても、連続的に続くプロセスなのである。

むしろ、受験競争を悪としたり、能力主義を否定したりする戦後学校教育の悪平等主義こそが、教育荒廃を生んだと考える。

従って、私はこの意見に反対である。

問題13

規則は厳しいが、有名大学への進学率が高い受験重視の学校と、進学率は余りよくないが、規則は緩やかで子供の自主性を尊重する自由な学校があるとします。

もしあなたが親なら、自分の子供をどちらの学校に通わせますか。

解答自由な学校

私なら、子どもの自主性を尊重する自由な学校に通わせる。

なぜなら、人間にとって幸せとは、いい大学を卒業して、一流企業に就職し、高い地位につくことにあるとは限らないからである。

例えば、ラーメンづくりに情熱を注ぎ、少しでもおいしいラーメンを作りたいと日々努力している人は、大会社の社長や大学教授よりも不幸せだと言えるだろうか。

豪邸に住む人々が、平凡なサラリーマン家庭よりも幸せだと言えるだろうか。

人は強制されて何かをしているとき、幸せを感じはしない。

また、人は自分自身が選んだ好きな道に打ち込むことを通してしか、自分の能力を開花させることはできない。

それはこども自身がつかみ取るものであり、親が自分が望む「幸せの形」を押しつけるべきではない思う。

従って、親は子供自身が自分の好きな道を選べるように、寛大で自由な学習環境を与え、子どもを信じて、温かく見守ってやることが大切なのである。

問題14

いじめ問題にかんしては、「いじめる方だけでなく、いじめられる方にも原因がある」という意見があります。

あなたはこの意見についてどう思いますか。

解答賛成意見

わたしは「いじめられる方にも原因がある」と思う。

なぜなら、いじめには、いじめる者、いじめられる者、いじめを傍観したり見て楽しんでいる者という三つの当事者が存在すると思うし、いじめはこの三者の複合的な産物だと思うからである。

例えば、いじめる者がターゲットを絞るときには、「いじめても反撃されない」「親しい友だちやグループがいない」「先生に言いつけたりしないだろう」などのずるい判断が働いているはずだ。

少なくとも、自分よりもちからが強く、クラスでも信望がある者をいじめの対象にはしない。

これを逆に言えば、いじめられる対象に選ばれたのは、「いじめられやすい者に見られる共通の傾向」が何か存在していたことがわかる。

つまり、いじめを生む原因は、三者それぞれにあるのである。

従って、私はいじめを解決するためにも、加害、傍観、被害という連鎖構造を生む三当事者それぞれの中に、原因を求める必要があると考える。

問題15

「みんなが共通の科目を学ぶのは義務教育である中学校までとし、高校からは学生に科目

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