狐の由来Word下载.docx
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しかし、実際は、この石に近づいたものが死ぬのは火山から出る有毒ガスだといわれている。
本当に狐は国を滅ぼさんとしていたのか、それとも単に身の安全を得ようとして時の権力者に取り入っていたのか、真意は謎である。
因みに、伝説では九尾の狐の死後病状が回復したとされる後鳥羽上皇だが、実際にはその三年後に亡くなっている。
狐といえば、昔話によく登場する動物で、8~9世紀に成立した『日本霊異記』にもすでに狐が化けた話しが記されている。
美濃国(岐阜県)大野郡のこと。
ある男が、広野で一人の美女に出会い、結ばれて子を成す。
しかし、実はそれは狐が化けた姿で、結局犬に吠えられて正体がばれて野に帰ってしまう。
しかし夫は狐に『なんじ我を忘れたか、子までなせし仲ではないか、来つ寝(来て寝よ)』と言った。
そこから『きつね』という語ができたという。
『今昔物語』では、京都の高陽川では、夕暮れ時に馬に乗って通る人がいると、童子に化けた狐が現われ、尻馬に乗せてくれと頼むという。
しかし狐と気付かずに乗せてやると、しばらくすると馬から落ち、狐になって鳴きながら姿を消してしまうということである。
このように古くから狐は人間と関わりを持っているわけだが、昔話の中では、狐といえば一般的にずる賢い狡猾者として登場することが多い。
たとえば、魚屋から魚をだまし取る『魚泥棒』、自分の利益の為に他の動物を利用する『百舌と狐』、狐にだまされないという男が結局はだまされていたという『尻のぞき』『髪剃り狐』などである。
『尻尾の釣』のように、逆に人間にだまされて尻尾が切れてしまったり、『狐と熊』では、熊の仕返しを受けたりもするが、それも狐が先にだました結果の酬いであって、やはり悪者的存在としての狐が前提にあるようだ。
他方では、狐の報復譚というのもある。
『行脚怪談袋』には、昔ある僧が、だんごを喰おうとする狐を杖で打ったら、翌日その狐が大名行列に化けて仕返しをしたという話しがある。
ほかには『太平百物語』にある話しで、京都伏見の穀物問屋へ女がやって来て、桶を預けていった。
ところがその桶の中から、大坂真田山の狐と名乗る大入道が現われて、この家の者が日頃自分の住まいに小便をして汚すと苦情を述べた。
そこで主人は入道に詫びて、三日間赤飯と油ものを狐のすみかの穴に供えて許しを乞うたという。
このように狐は、ほかの妖怪に化けてでることもある。
江戸は大窪百人町のあたりには狐が棲んでいて、夜になると人をたぶらかすという風聞があったというが、狐は化ける、化かすというのは一狐憑き
狐の特徴といえば、化ける、化かすというのが一般的な話しで体験した人も多いが、この他に人に憑くという点が挙げられる。
狐にまつわるさまざまな俗信や説話が残されていることからもわかるように、日本には狐に対する独特な感覚や信仰がある。
そのなかでも興味深いのが、狐憑きという現象で、憑依現象は世界中にいろいろみられるし、日本ではほかにも狸、蛇、犬神などの霊も人に憑くと信じられているが、狐憑きというのは全国的に根強く信じられていて、日本独自のもののように思われる。
昔はおかしな言動をする人のことを、狐が憑いているなどといったそうだが、狐憑きは、狐の霊が特に女性に多く憑いて、異常心理にみちびくとするもので、今日でも広く農村社会にちらばっているようだ。
狐憑きとは、精神薄弱者や暗示にかかりやすい女性たちの間に多く見られる発作性、ヒステリー性の一種の精神病といわれ、実際にみずから狐となって、いろいろなことを口走ったり、動作をしたりするという話しが、平安時代ころから文献に述べられている。
行者や神職などが、『松葉いぶし』などといった方法で、狐を落とす呪術を行っていたようだ。
狐を落とすために、狐が憑いた人の全身にまぐろの肉のすり身を塗って、犬を放ち、犬に全身を舐めさせると、狐は犬を恐れて、悲鳴をあげおおさわぎになったが、やがて狐は落ちたという話しもある。
狐憑きのほかに『狐持ち』という現象があり、狐を飼育したり、その霊を駆使したりして怪しい術を使うと信じられる家系があったという。
この『狐持ち』は、くだ、おさき、人狐(にんこ)などと呼ばれ、狐を人に憑かせて、憎む相手を病気にしたり、呪いをかけたりすることができると信じられ、地域社会では忌きらわれていたそうだ。
同様に、一昔前まで『いずな使い』と呼ばれ、狐を使うことで商売をしている者もいたようである。
管狐という小さな狐や、おさき狐というのを飼って、それを操り、人にとりつかせたりすることができると信じられていた。
狐憑きのなかでもっとも有名なのは『おとら狐』と呼ばれる狐で、愛知県の長篠を中心に語り伝えられ、『長篠のおとら狐』とか『長篠の御城の狐』などと呼ばれていた。
このおとら狐は、病人や、ときには健康な人にも憑くことがあって、憑いた人の口をかりて長篠合戦の物語を語り、自分の身の上話しをするのだそうだ。
櫓に上がって合戦を見物しているときに、流れ弾にあたって左目を失明し、その後左足を狙撃されたという話しで、そのためこのおとら狐にとり憑かれた人は、左の目から目やにをだして、左足の痛みを訴えるという。
般的な話しで、全国至る所でいろいろな話しがあり、また体験した人も多い。
得体のしれない明りを『狐火』といったり、道に迷ったり、物をなくすと、『狐に化かされた』としたり、説明のつかない不思議な現象などを、狐の仕業とすることも多かった。
一昔前までは、町や村のはずれには、しばしば狐の出没する一本杉や野原があり、こうした狐は名前をつけて呼ばれ、人びとを化かしたり、だましたり、あるいは災害や変事を報らせてくれたりすることもしばしばあったという。
狐はまた一方では人間を助ける役割を果たすこともあり、静岡県に伝えられる「お竹」という古狐は、葬式などで大勢人々が集まるとき、皆に出す膳が足りない場合にお願いに行くと、膳を揃えてくれるといわれていた。
岩手県の九戸のアラズマイ平では、そこに棲む白狐は村の子供たちと仲よしで、よくいっしょに遊んでいたという。
狐にまつわる俗信のひとつには、日暮れに新しい草履をはくと狐に化かされるというものがあり、かなり広い範囲で信じられていた。
下駄はもちろん靴でも、新しい履物は必ず朝におろすようにして、夕方に新しいのをおろしてはいけないとされ、どうしても夕方新品を履かねばならないときは、裏底に灰をつけたり墨をぬらねばならないといわれている。
ほかに狐といって馴染み深いのは、お稲荷さんであろう。
狐は稲荷の神の使いとされ、商売繁盛の神として信仰されているが、とくに農耕神として親しまれてきた。
『狐女房』の類話には、狐の女房が、正体を知られて別れた後、農繁期に帰ってきて田仕事で夫を助けるとか、その後男の家の稲がよく稔るようになったといった話しがあるそうだが、こうしたエピソードは狐の農耕神としての性格を物語っている。
ところで、この『狐女房』のはなしであるが、最初に少し触れたように、この狐と人間の異類婚姻譚は古くからあって、『葛の葉』『信太妻』と呼ばれる話しや、説教節『信田妻』はじめ、浄瑠璃その他いろいろと語り伝えられている。
ちなみに有名な妖狐というと、特に江戸時代に語られた金毛九尾の狐、『玉藻前』であろう。
美貌の才女に化けた玉藻前は、12世紀に鳥羽上皇の寵愛をうけ、上皇の精気を奪う。
しかし陰陽師、安倍泰成によって、実は天竺からやってきた齢800才の大狐であると見破られ、退治されてしまう。
しかしその後、玉藻前の怨霊は、殺生石となって、触れるものの命を奪っていた。
それを知った高僧が、焼香、説法をしてその怨霊を成仏させてやる。
こうして玉藻前は、退治されても復活してなおパワーを発揮する妖怪変化としてその名を轟かせた。
狐憑き
むかしばなし
殺生石
昔、英暁(えいぎょう)という旅の僧が、山中で夜を明かすうち、不思議なものに出会うことになった。
草を枕にして、月明りを浴びながらまどろんでいたところ、風に乗って、音楽のようなものが聞こえてきたのだ。
目を開けると、闇の向こうにいくつもの灯りがともり、列をなして進んでいた。
音楽は聞いたこともない調べで、笛の音とも獣の声ともつかない。
英暁は最初、何かの祭りだろうかと考えたが、すぐに思い違いに気付いた。
そこは人里から離れた深山だったし、何より、灯りの色は人の生み出すものではなかった。
闇の中に並ぶのは、緑色の光だった。
これは自分の仕事かもしれない。
英暁はそう思い、腰を上げた。
英暁はまだ若かったが、自分の法力には自信を持っていた。
ほうぼうに出向いては、憑き物を落としたり、怪異を鎮めたりという経験を繰り返し、それなりに名声を得て、自信を深めていた。
若さゆえの思いということもあるが、英暁は、また一つ武勇伝でもたててやろうというような気持ちだった。
下草をかきわけて進むうちに、怪光の正体が明らかになっていった。
それは狐火のようだった。
狐たちが、口にくわえた枝や、尾の先に光をともして歩いているのだが、それぞれどこかがおかしい。
一つ目の狐や、尾が何本もある狐。
首のない狐もいるかと思えば、首だけをこね合わせたような姿もある。
虫のように小さな狐や、毛玉だけのものもあった。
英暁は行列を前にたじろいていた。
狐火は前にも見たことがあったが、このように奇怪なものははじめてだった。
そこへ、列から離れて、一匹の狐がやってきた。
『おまえに、供養を頼みたい』
三つの目で見上げながら、白毛の狐が言った。
『…供養?
』
『そうだ。
われわれ妖狐の主を供養してもらいたい。
『どういうことだ?
『われわれの主人は人に討たれた。
もう昔のことだ。
だがその怒りはまだ解けず、死してもなお石となって毒気を吐き続けている。
ふびんでならない。
心安らぐように供養を頼みたい…』
そういうと、白毛の狐は英暁をうながすようにして列に戻っていった。
英暁は怪しんだ。
話しから察するに、妖狐たちの主とは、天竺、支那、日本の三国を悩ませた金毛白面九尾の狐、玉藻前のことである。
討たれた後も石となって毒気を放っているという『殺生石』の話は有名だった。
正直いって、それほどの化け物を相手にできる自信はなかった。
だが…英暁は、白毛の狐の後に続くことにした。
供養となれば話しは別だと思ったのだ。
何も相手に打ち勝つ必要はない。
祈るだけでいいのだ。
それに、供養がうまくいって殺生石を鎮めることができれば、大変な名声を得ることになる。
玉藻前を討ち取った陰陽師や豪族たちのように、英暁の名も人々に語り継がれ、伝説となるだろう。
英暁は不安と期待がないまぜになった妙な気分で、妖狐の行列に続いていった。
殺生石のあたりに着いたのは、空が白みはじめたころだった。
朝もやの漂う中に、噂にたがわぬ壮絶な光景があった。
殺生石のまわりにはことごとく木や草が枯れ果てて、広大な荒れ地となっている。
そして、下地が見えないほどに蝶や蜂の死骸が積み重なり、鳥や獣、人間のものとおぼしい白骨がいたるところに転がっている。
英暁はその光景に恐怖を覚えた。
『さあ…』妖狐が供養をうながした。
英暁はうなずくと、懐から経文を取り出し、読経をはじめた。
離れてはいても、膚を焼くような毒気が漂ってくる。
加えて、背中には妖狐たちの視線がひしひしと感じられる。
英暁は逃げ出したい気持ちで一杯だったが、得られるであろう栄誉を思い、声をはりあげ、必死で読経を続けた。
そして…。
朝費が昇り、空が赤く染まった頃だった。
『だめだな』白毛の妖狐が、読経をさえぎった。
驚いて振り向いた英暁のもとへ、妖狐たちの冷ややかな眼が注がれた。
『おまえは主のために祈っているのではない。
自分のために祈っているだけだ。
そのような供養など何の意味もない。
おまえのような人間には、別な形で供養の助けとなってもらおう。
妖狐たちは英暁を追い詰めるように、ゆっくりと迫っていった。
『つまらない坊主でも、主の怒りを和らげる供物にはなるだろう…。
英暁が耳にした最期の言葉だった。
殺生石はこの後も毒気を吐き続け、近付くもの全ての命を奪い続けたという。