长恨歌から源氏物语桐壶Word格式.docx
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要旨
『長恨歌』は中国の唐の詩人白居易の人口に膾炙する名作です。
彼は叙事体の手法で読者に玄宗と楊貴妃の間の婉曲的な愛情の悲劇だと語った。
『源氏物語』は日本の古典名著の一つである。
日本文学の発展に大きな影響を与えた,日本文学の最高峰といわれる。
世界最古の長編写実小説として,それは世界文学史においても重要な地位を占めている。
それの作者の紫式部は『源氏物語』を創作しているうちに、中国の唐の詩人の白居易に書かれた『長恨歌』をはじめて、ほかの詩の引用と溶け込みのが百余りある。
本文は『源氏物語』が『長恨歌」に具体的な引用を列挙する,そして両作品の人物像、物語の内容及び総体から比較分析する。
そして中国古典文学が日本文学に影響を与えるのが分かる。
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目 次
はじめに
『源氏物語』中、紫式部が『長恨歌』をよく知っていたことが随所に見られ。
『長恨歌』もマクロの上から、やはりミクロの上からも『源氏物語』の創作に大きな影響を与えたように思われた。
『長恨歌』は唐中期の白居易の作品たいであり。
『源氏物語』は平安時代の紫式部の作品です。
『長恨歌』は紫式部に影響を与えたので、紫式部は『源氏物語』を書きました。
つまり、『長恨歌』のような作品がなければ成立しなかったかもしれない。
日本は外来の文化をよく受け取る民族である,彼らはそれに対してよく改造、発展、融合をして、日本文学の自身の特徴を形成された。
日中文化の交流と融合して紫式部の文学作品の中から完璧な体現を示した。
『源氏物語』によると、世界一番長い長編小説だそうだ。
違う時代に作家の言いたい気持ちが分かるようになった。
本格的に異国文化の差異を感じられ。
中国も日本も自分の文化的な特色を持っているようと考えられて。
これからも日本の文化について一層深く研究したいと思う。
一、『長恨歌』は、『源氏物語』の中での応用
(一)『長恨歌』は、『源氏物語』の中に分布されたこと
『源氏物語』の冒頭の桐壺編で、紫式部は長恨歌の詩から引用して物語の幕が開いた。
「どの天皇様の御代であったか、女御とか更衣とかいわれる後宮がおおぜいいた中に、最上の貴族出身ではないが深いご寵愛を得ている人があった。
夜の御殿の宿直所からさがる朝、つづいてその人ばかりが召される夜、目に見、耳に聞いてくやしがらせた恨みのせいもあったか、からだが弱くなって、心細くなった更衣は多く実家へさがっていがちということになると、いよいよ帝はこの人にばかり心をおひかれになるというごようすで、人がなんと批評しようとも、それにご遠慮などというものがおできにならない。
高官たちも殿上役人たちも困って、ご覚醒になるのを期しながら、当分は見ぬ顔をしていたいという態度をとるほどのご寵愛ぶりであった。
唐の国でもこの種類の寵姫、楊家の女の出現によって乱が醸されたなどと陰ではいわれる。
」それは作品の冒頭である。
作者は桐壷帝と玄宗が更衣と楊貴妃がつながっている。
全巻では『長恨歌」を基本構想として展開する。
その後更衣病死、桐壷帝が死ぬほど悲しむ。
「ただ涙の中のご朝夕であって」、「彼女の幻は帝のお目に立ち添ってすこしも消えない。
しかしながら、どんなに濃い幻でも瞬間の現実の価値はないのである。
」これと白居易の詩の“蜀江水碧蜀山青,圣主朝朝暮暮情。
”“芙蓉如面柳如眉,对此如何不泪垂。
”を一にしている。
そのあと未亡人は帝に更衣の遺物を渡す、帝が見てから 「命婦は贈られた物を御前へ並べた。
これが唐の幻術師が他界の楊貴妃に会って得てきた玉の簪であったらと、帝はかいないこともお思いになった。
」と思っている。
これは長恨歌の中“临邛道士鸿都客,能以精诚致魂魄。
”に似あるような。
全体の「桐壺」篇では『長恨歌』に直接あるいは間接引用、借りたり、中文を溶かして類似表現は、表現桐壷帝愛人を失った悲しみ恨む気持ち。
『源氏物語』はずっと白居易の詩の「長恨」をめぐって、それぞれ桐壷と更衣、光源氏と薫君 この三人の主人公の愛情の悲劇を描いた。
だから、「桐壺」巻は桐壷帝と更衣間の愛情の悲劇から 引き出しました物語の主人公光源氏。
これからも新しい象徴を与えてくれた全書の基調は、特殊な栄宠と亡くなった後の悲しみである。
その後の物語の中で、私たちは『長恨歌』からの影響が見られる。
光源氏の一生にはたくさんの愛情があって、しかし最後までの感情がない。
彼は、マザーコンプレックで継母藤壺に対して思慕の情を寄せる、最後にかなわない恋。
もう最後まで紫の上は彼の人生に入って、藤壺の位置に代わって、最後には妻が病死して彼を離れて行く。
その後の一年は、光源氏も、悲嘆の中で物語の中で消え、出家が僧になった。
光源氏の感情もすべて恨みである。
その彼と愛する女、病死(夕顔、葵の上、紫の上)または運命のでこぼこ(六行妃)やブリタニア(空セミ、女三の宮)、感情にも淡い哀愁があふれている。
『帳台の前には硯などが出ていて、むだ書きをした紙などもあった。
涙をしいて払って、目をみはるようにして大臣はそれを取って読んでいた。
若い女房たちは悲しんでいながらもおかしがった。
古い詩歌がたくさん書かれてある。
草書もある,楷書もある。
「上手な字だ」
歎息をしたあとで、大臣はじっと空間をながめて物思わしいふうをしていた。
源氏が婿でなくなったことが老大臣には惜しんでも惜しんでも足りなく思えるらしい。
「旧枕故衾誰与共」という詩の句の書かれた横に、
亡き魂ぞいとど悲しき寝し床のあくがれがたき心ならひに
と書いてある。
「鸳鸯瓦冷树挂重」と書いた所にはこう書かれてある。
君なくて塵積もりぬる床なつの露うち払ひいく夜寝ぬらん。
』「葵」
“鸳鸯瓦冷霜华重,翡翠衾寒谁与共。
”《长恨歌》
『蛍のいと多い飛び交ふも,「殿に蛍飛んで」と,例の,古事もかかる筋にのみ口馴れたまへり。
』「幻」
“夕殿萤飞思悄然,孤灯挑尽未成眠。
光源氏として子非子の薫くんは、物語の後十回の主人公である。
彼はまだ「長恨」の軸を続いている。
薫君は愛の追求に執着する。
しかし彼は消極的な弱さで、行動できない人で、彼と宇治の大君、宇治の二君、浮舟の間で、すべて1種はあるようでないよう、似非の愛がある。
しかし彼は個性的な欠点のせいで、最終に愛を失ってしまう。
「宿木」巻中で、紫式部は巧みに長恨歌の詩の中の故事を借用して、薫君は愛のための決意と書きました。
「訪ねる霊魂があるのは、たとえ海上仙山、ときに全力でも。
」(上穷碧落下黄泉,两处茫茫皆不见。
忽闻海上有仙山,山在虚无缥渺间。
)薫さんは宇至山荘の時には、タッセル山荘の浮舟容貌が宇至の大君に酷似しているのを見る、心ひそかに喜ぶはと「蓬莱尋ねて、釵の限りを伝入て見たまひけむ帝は,なほ、いぶせかりけむ。
これは異人なれど、慰め所ありぬべきさまなり。
」(惟将旧物表深情,钿合金钗寄将去。
)薫君は決心を持って探して浮舟は実は、亡き人を追うと思う。
紫式部は玄宗が楊貴妃をあ思い切る気持ちを借りて、薫の心の変化を描いた、桐壷帝、光源氏が丧偶で思い出し『長恨歌』にそっくり。
このことからみって、『源氏物語』全書の筋枠組みの中にも、紫式部は『長恨歌』から吸収した影響の跡がある、彼女は自分の文学の基礎に頼って、創造的に白居易『長恨歌』の精髄を吸収した、自分の物語の世界を深める
(二)『長恨歌』の诗や故事からの引用として昇華をされた『源氏物語』
『源氏物語』と『長恨歌」の関連点は3種類に分けることができる、一つは直接引用で:
二は、メタファーの形式を借りて原典で:
三は文章中原ある詩を用いて派にして新しいアプリケーションを見抜くことができて。
しかし、紫式部は硬い使用原句を使ってない、詩句を十分に理解した上で、自分の創作と融合貫通、巧みに使って,詩の境地の上に、創造的な革新を加えて、高度絶妙の手法を展示する。
1.直接引用
直接引用は最も基本的な引用方式である,筆者の統計によると『長恨歌』の原句から直接引用されたのは,主に「桐壺」篇の2か所に分布して、「葵」篇で、『幻』で、それぞれ桐壷帝の更衣の死、光源氏の葵の上、紫の上の死を描いた。
『長恨歌』に丧偶後の悲痛哀悼の気持ちを引用して。
イメージした深く刻む。
「桐壶」篇に書かれている:
「お二人のあいだはいつも、天にあっては比翼の鳥、地に生れれば連理の枝とよう言葉で永久の愛を誓っておいでになったが、運命はその一人に早く死を与えてしまった。
」
『長恨歌』の“在天愿作比翼鸟,在地愿为连理枝”を直接的に引用した。
玄宗と楊貴妃の関係を移植して桐壷帝と更衣の関係に比ベる。
作者は古詩を借りて、物語のコンプレックスをもっとイメージ化、さらに感染力のあるように書かれた。
2.間接借用
『源氏物語』は『長恨歌』にの意味を借りて、原典が8項ある。
「宿木」篇の故事を引用したことを例にして、分析する。
「世を、海中にも、魂のありか尋ねには,心の限り進みぬべきを、いとさまで思ふべきにはあらざなれど、いとかく慰めむ方なきよりはと。
これは『長恨歌』に玄宗が道士に海上仙山への貴妃を探せる物語を借用する。
『長恨歌』の典故の運用は作者が簡潔な言葉で薫君を見つけ浮舟の切実な気持ち生き生きとして深く描いてきた。
3.表現上の類似
『源氏物語』は『長恨歌』に加工を改造、表現上の類似を求める詩句には全部8項ある。
今は『幻』篇を簡単にまとめる。
「大空をかよふ幻夢にだに見えこぬ魂の行方たづねよ。
』(临邛道士鸿都客,能以精诚致魂魄。
为感君王辗转思,遂教方士殷勤觅。
)このような描写は『長恨歌』の言葉を十分に利用した,やアクションを引き立たせる,人物とかよりを形象化した,読者に新鮮な感じを与えられた。
帝と更衣の悲恋、その子光源氏の生涯にわたる藤壷女御、紫の上、女三の宮などとの愛の苦悩と葛藤、そのあとを継ぐ薫の姫君との空しい愛......作者紫式部が『源氏物語』に描いた人間の愛と孤独のパノラマ絵巻は千年経った今も人を感動させ、作品の日本文学の最高峰としての地位は不動のものである。
『源氏物語』へ白居易の『長恨歌』を溶けこませた時に生じた”紫式部流”の”ひずみ”であり、日本文学と中国文学の間に生じた違い変遷とも言えるであろう。
二、『源氏物語』と『長恨歌』人物の比較
(一)楊貴妃と桐壺更衣
楊貴妃と桐壺更衣はいずれも中傷を受けて亡くなったが、二人の終焉方式は違う。
桐壺更衣は病死したが、楊貴妃は殺された。
桐壺は見た目には非常に普通の生活だが、事実は抑圧的な雰囲気とひどい中傷の中で死んでしまう。
『長恨歌』と違う環境を作って、人にいっそうの悲しみを感じさせる。
『長恨歌』中の”天上と下界が出会うことが出来る”という発想とは違い、日本の天皇は中国の漢の皇帝のような、”人の魂は殻から出て、心の傷を補う”という行動はしない。
彼は更に現実的な態度で、桐壺更衣と似た女性”を探してきて、喪った愛妃の身代わりとして、再び藤壷を迎えた。
これは、紫式部が宮廷で見た更に現実の生活である。
(二)玄宗皇帝と桐壺帝
玄宗皇帝が楊貴妃に心奪われ、国政を顧みなくなったために、王朝は衰退してしまった故事も、「唐にもかかることのおこりにこそ、世も乱れあしかりけれ」というくだりにあり、紫式部は物語の書き出しを、この『長恨歌』からヒントを得ているものだ。
「長恨歌」の主人公の玄宗帝が傾国美女楊貴妃を寵愛し、政事に怠り、ついに反乱を招いた物語は女御桐壷を熱愛する帝のことを心配する公卿に異国の政治的教訓とされた。
さらにストーリーから見ると、「桐壺」の「寵愛」(帝)→死別(桐壺が嫉妬され、病死)→哀傷(帝、桐壺の死を悲しむ)→未練(帝、桐壺の面影を思わせる藤壷を慕う)の構成は「長恨歌」の「寵愛」(玄宗帝)→死別(楊貴妃が嫉妬され、賜死)→哀傷(玄宗帝、楊貴妃の死を悲しむ)→未練(使者を遣わし蓬莱島へ楊貴妃の魂を探す)の構成を踏まえたとも読みうけられよう。
(三)玄宗皇帝と光源氏
光源氏は両面性がある:
第一,酒色におぼれきっている。
光源氏は一日中痴情におぼれる。
彼は情愛を追求する,様々な女性と関係を結び、同時に出世街道を邁進して、一時の左遷を経ながら、ついには准太上天皇としての待遇を受ける。
女性遍歴が華々しく、劇中で明確に判明しているだけでも13人もの女性と恋愛関係にある生粋のプレイボーイでもある。
第二,女性に甘い。
彼は自分の愛する女性が心が移らない。
彼の好きな女子がなくても,彼も見捨てない,これから彼はその彼と関係を持った女子建造六条院,彼女たちの供養を中が見えてくる。
これは思わず思わせ玄宗,同じ多くの女子の情愛を一身に集める,同じ一人が思いこがれる心である,終生遺恨になったのである。
(四)玄宗皇帝と薫君
薫は優柔不断の塊のような鬱屈した主人公像である。
律儀で細かな心遣いに長けたまめ人である一方、優柔不断で特に女性関係には消極的だが、身分の低い女房などが相手の時は積極的に事を運ぶ。
偶然垣間見た宇治の大君に思いを寄せるが、受け入れられぬまま死に別れる。
その傷心から一時は宇治の中君に迫り、さらにその後大君に生き写しの田舎育ちの娘浮舟を宇治の邸に囲う。
しかし、薫と浮舟の存在を知って現れた匂宮の二人の間で浮舟は心が揺れ動き、宇治川に入水自殺を図る。
浮舟の葬儀から一周忌を過ぎたある日、明石中宮を通じて浮舟生存の情報を得た薫は、浮舟の異父弟・小君に文を持たせ小野の山里へ向かわせる。
しかし尼となり俗世に未練のない浮舟に「所違へにもあらむ」と突っぱねられ、屈辱を味わった薫は「人の隠し据ゑたるにやあらん」と自分を慰めるのであった。
これはと楊貴妃の魂探しの勅命を受けた使者が「臨卭」の道士である。
二人は同じ再び会うことはなかった「天长地久有时尽,此恨绵绵无绝期」。
三、『長恨歌』と『源氏物語』の比較
『源氏物語』においては光源氏は父である帝の妃を愛し、密通してしまった。
『長恨歌』と『源氏物語』は関連があります。
このように完璧な筋の枠組み、著者本人が作品の中で何度もあらわしているように、それは実際には白居易の作品である『長恨歌』の印象とつなぎあわされるので、『源氏物語』の筋の構想に与えた“全面的な影響”を表している。
文芸構造の角度から言って、『源氏物語』の「霧壷」の巻と『長恨歌』とは一致している。
これは不思議ではないが、当時唐玄宗と楊貴妃の事件はだけではなく、東亜各国にとって、重大な事件と注目されていた。
当時「唐風」への心酔と藤原氏による「摂関政治」の制御の下で、日本平安朝の宮廷、およびこの時代にいる各等級の女性たちにとって、玄宗と楊貴妃間の恋物語の変遷と結末は彼女たちをあこがれさせた一方、戦慄することでもあった。
この物語とこの物語を述べた白居易の『長恨歌』は紫式部の想像を刺激し、彼女の心を打ち、かきたてた。
そこから暗示を得て、彼女自身の考え方によって新たな霧壷の哀話を作り上げたのである。
事実、紫式部が『源氏物語』を創作した前後に、日本の中世紀時代の文壇では、”物語”を主とする文学作品の中で、白居易の『長恨歌』のいくつかの印象を溶け込ませたことがある。
日本学者の研究により、『伊勢物語』、『枕草子』、『大鏡』、『今昔物語』、『平家物語』、『太平記』、『曽我物語』などの作品の中から、『長恨歌』の要素を見ることができる。
しかし、これらすべての作品は長恨歌の情調を溶かし込む点では紫式部の「源氏物歌』ほど完成されてはいない。
例え女作者は自分の生活に対する理解と"
物語”の筋の必要に据えそのような文化背景の下で身につけた美的経験を基にしている。
『源氏物語』が白居易の詩句を多く引用することはよく知られている。
なぜほかの詩人ではなく、白居易の詩を選んだであろうか?
当時の平安時代は、他の中国の詩人の名前はよく知られていなかったし、それに、白居易の詩は平易、つまり日本人にも読めるくらいに易しかったので、平安時代に好まれだ。
また、著者の紫式部は幼くして父の為時も驚くような漢籍の吸収ぶりを見せたエピソードが知られています。
当然この文集を始め古今の漢籍に通じていたはずですし、特に、同じ白楽天の長恨歌は源氏物語の素材としてよく指摘されるぐらいですから、白氏文集の内容が引用されたとしても全く不思議はなかろう。
作者は和歌の創作手法を散文の芸術特性に結びつけた。
様々の人物により細かい感情表現を自然の気候や彩りの変化に結合し、朦朧とした雰囲気の中で、読者たちはあたかも自分もその中に存在するように、願わしい状況に遊ぶ。
この巻で白居易の詩を引用して、ある意味では紫式部は白居易の詩に特別な理解をもっていることを明示しているであろう。
おわりに
『源氏物語』は物語としての虚構の秀逸、心理描写の巧みさ、筋立ての巧緻、あるいはその文章の美と美意識の鋭さなどから、しばしば「古典の中の古典」と称賛され、日本文学史上最高の傑作とされる。
物語中、紫式部が『長恨歌』をよく知っていたことが随所に見られ。
『源氏物語』へ白居易の『長恨歌』を溶けこませた時に生じた「紫式部流」の「ひずみ」であり、日本文学と中国文学の間に生じた違い変遷とも言えるであろう。
紫式部の根気と本気など精神的な品性に感心した。
結構難しい本だけれども、日本文化に興味を持っている私にとって本当によく研究すべきものだ。
本によると、世界一番長い長編小説だそうだ。
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謝 辞
執筆にあたっては、多くの先学の研究成果を参考、引用させていただいた。
その主な書目を別記して、厚く謝意を示すものである。
それに、趙春娥先生は私にとっては、日本語を勉強して始めてからの恩師にあたるのだが、この卒業論文についても、原稿の段階でお読みいただき、具体的な助言、指導をあおぐことができたのだが、いろいろな意味で、感無量という気持ちである。
しかも丁寧に校閲してくださったことに、心から感謝の意を表す。
また四年間、日本語を指導していただいた諸先生方に、厚くお礼を申し上げる。